日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆戦後七十三年を向かえた日本の有姿は。

 日本国家国民の為の、在るべき理性的条理を以って為す、具現化すべき良質にする国体遂行の為の政治政策であるべき筈が、変形せし一方向にしか政策をして動かさぬ為、不健全にして不完全なる、全くにする政治社会的機能不全に陥り、剰え、国家社会が何時倒れても不思議では無い状況下に追い込まれて終っているのは、一にも二にも、明治維新(革命)を惹き起こし、欧米社会をして外形的に模倣もし成果こそ収めたが、上記革命成果の余波を借り受けたのだろう、数次に亘る大戦をして策略とも知らずに、二度の勝利をして経験したばかりか、自力での勝利者ともなる錯覚をも体現、遂には、1941年に、欧米の実質的支配者たる<シオニストユダヤ系大財閥資本家群>の謀とも知らずに術策に嵌り、火中(大東亜戦争)に飛び込み、国家社会的致命傷ともなる重傷を負った日本帝国、完全消滅こそ免れたが、再興させるべき日本国家の指導的為政者として、其処に出て来たのもまた、明治維新(革命)を成し遂げし一族の末裔を自負する、<岸政権、佐藤政権、安倍政権>へと繋がる、あの、古に燦然と輝く東北王朝の雄たる蝦夷一族、取り分け、日本民族に対して執拗に怨念を抱く族では在ったのである。此の様に見て(見えて)来ると、何故に日本国家が、其れこそ昭和四十年代を境にして、米国との間に政治経済的主従関係をして一層強めたばかりでは無く、内政的には赤字財政(国債発行に因る借金の積み重ね)をして常態とし、日本国家社会としての健全なる発展の為には、借金の積み重ねは此の上なく”危険”な行為であり、将来の日本国家社会にも悪影響を及ぼす事の必至な愚行であって、理性的条理在る民族が執るべき行為では無いとする執政権者が、自民党小泉純一郎政権や、民主党鳩山由紀夫政権のごく一部の常識人を除く他、与党たる政権政党の執政権者の大方は、唯々、行政官の勧める侭の予算案を採択、(赤字)国債発行をして、基本歳入項目の重要部として位置付けて定型化、今や、借金無かりせば、国家運営等成立する事能わずの状態に迄、日本国家社会は陥ってもいるのである。

 此の様に、日本国家が歩んだ、言わば、百五十年史をして俯瞰し、同時に、現在をも見て来ると、容易に見える事実は、異常に呉れ上がった借金の額(総額1,200兆円有余)が、一方的に積み増し続けている事実と、明治期に在っては脱亜入欧に向かって諸文化を借り受けては模倣し、鎮台日本国家を形成し乍ら、初にする敗残を喫せし後の今は、唯只管に<主>たる米国に、妾の如くに付き従い、若しくは、”草履持ち”の役目をしては甲斐々々しく動き回っては役目を熟し、所望されし暁には、日本国にとって不要不急にする米国産軍需品の大量積み増し(購入)を認め、剰え、米国に代わる軍事的警戒活動をして、海外(日本国以外)にて執行し、代行する迄に、日本国家(自衛隊)は至って(育って)もいるのである。

 一部分でしか無いとは言え、南は沖縄県から、北は北海道にまで至る日本の領土領海領空をして、米軍基地、乃至は米軍施設として(無期限且つ無償で)供与、使用下に付され、斯かる軍事基地や軍事施設でのコストや経費等をも日本国家が負担すると言う、言わば、アメリカ合衆国が究極的に模索し探求し続ける、世界支配化目的の為の、軍事的覇権の推し進めと成功の治めに向け、至れり尽くせりの対応をして、未だに、日本国政府は米国政府に付き従い執り続けてもいるのである。勿論、其の為に犠牲となっている沖縄県を一とする国民の声は、完璧に無視され、異邦人傀儡子宰相たる安倍晋三政権の手で掻き消されさえしているのである。

 森友学園問題や加計学園問題等に見られる、所謂、国家宰相たる安倍晋三(政権)に纏わる疑獄事件発生に関し、此れ程多くの時間を割いて疑惑解明や疑念の追及が為され乍ら、また、国家権力者たる安倍晋三の関わりが尚一層に深まり、剰え、財務省職員に事件関連の犠牲者(死者)すら出しながら、一つとして疑惑追及が成就せず、成就する所か、疑惑の中心人物たる張本人の国家権力者から、揶揄嘲笑されては、此処までおいでと言われるが如く手招きされ、小馬鹿にされる始末の野党陣営と我等国民、また、同様に、沖縄県を一とする米軍基地の有無を論ずる問題に関しても、安倍晋三政権に対する否定的姿勢が国民の過半数以上から出ているにも拘わらず、安倍晋三政権からは、斯かる米軍無用論を撥ねっ返されては無視され、結局は、日本国民が条理に基づいて求め続ける何事も、無視されるか、左も無くば、拒否され、批判をして強行突破されては、異邦人傀儡子宰相たる安倍晋三に、(米国が)思い描く通りに遣られて終うのは、偏に、メディア界を含む我ら道々の民には、悪を追及しては懲らしめると云う、条理在る国家社会力が総じて育たず、欠如した侭に在るからであり、即ち、日本民族から成るモノ言う真の野党が、七十三年後の此処に至っても、大きくは育っていないからであり、基より、日本民族そのものが、戦後、幸か不幸か、米国の主導の下、与党政治家と官僚の手で、事勿れ主義に押し進み、何事に於いても争い事は避け、唯々国民は、与党(官僚)の言うが侭に付いて来れば其れで良しとし、よしんば、日本社会で、大事故や疑獄事件の二つや三つが起き様とも、見て見ぬ振りをすれば良いし、先に進む事こそが賢明なる国民の判断とする、其の、我関せずに措く、無関心を基にした優柔不断にも繋がる、所謂、二択の選択肢すらつくらぬ躾け(社会教育)に国民をして率いた、傀儡政権の被隷属姿勢の為せる業では在るのだろう。
 勿論、鉄は熱い内に打てなる格言は、敗戦後延々と隷属下に措かれる盆暗頭の我等道々の民で在ろうとも、嫌と云う程に聞かされ、其の様な疑獄事件等に関わってばかりいると、飯が食えなくなるなるから、持ち場に戻って仕事をした方が賢明であるとも諭され、基より、力んでもどうにもならない事を、熟知すらさせられてもいる我等は民族で在るのと同時に、社会正義の顕現には、深く関わり合う事もまた得手としない我等日本民族であり、基より、近々に於いて己にも降り掛かる被害がより明白となるまでは、全く動かずの、腰重き、淡泊では在るが優柔不断にする民族でもあれば、打つ手など皆無のもの、かつて、終戦間際に於ける日本列島に於いて、無抵抗下に措かれた都市と云う都市に在って、大編隊を組んでは為されし米軍爆撃機による無差別爆撃を強行され、挙句の果てには、大量殺戮の強行ともなる、所謂、二種類の原爆投下(日本民族をして人間モルモットと看做した)まで決行され、天皇陛下の敗戦の御言葉を耳にする迄は、大惨敗に至っている事実すら知ろうとしなかった日本民族ですらあれば、異邦人傀儡子宰安倍晋三にとっては、当該日本民族をして小馬鹿にしては騙し、晒し者にする何ぞは、赤子の手を捻る如くに簡単なもの、今は亡き伯父(叔父)である岸信介佐藤栄作政権同様に、日本国家をして米国(シオニストユダヤ系大財閥資本家群)に譲り渡し、現宰相たる安倍晋三に至っては、日本民族をして、米国の国家目的たる、所謂、世界支配化戦略の最終章とする、件の、ロシア連邦の制定と平定支配に向け、日本民族をして、漢民族中国と南北朝鮮民族と同様に、軍事的足軽要員としてユーラシア大陸に送り込むのは、いとも容易き事、とは相成るのである。即ち、岸信介佐藤栄作政権に引き繋がる安倍晋三政権は、上述せし傀儡子政権の意味で、紛う事無く、シオニストユダヤ系大財閥資本家群の大役(代役)を担ってもいるのである。日本民族であれば、努々、忘れてはならないのである。

 基より、健全に思考し行動する野党が、紛う事無く育っていれば、傀儡子政権たる安倍晋三政権をして、此処迄、七年ものあいだ野放しにする事は無かった筈だが、姦策を凝らすと言う点では、日本民族より数段格上の存在にも在る米国(シオニストユダヤ系大財閥資本家群)、吉田茂独り、或いは、岸信介佐藤栄作独り、或いは、安倍晋三個人にのみ、権力をして委ねる事は無く、官僚群や経済界にも、絶やす事無く数多くの米国親派を生み育てて来たのが米国(シオニストユダヤ系大財閥資本家群)で在る事を忘れてはならずのもの、基より、あの、2009年より2012年まで政権を担った民主党にも、シオニストユダヤ系大財閥資本家群が育て、送り込んだ人士が、少なからずに居た事を、我ら道々の民は覚えて置くべきで、基より、忘れて良かろう筈も無いのである。即ち、健全にする、或いは、バランスを執って然るべき野党が、一つとして育って来なかった日本の政界、と云う事も出来るが、其処は、米国をして支配し、差配せし者の頭の良き所、伊達や酔狂でユダヤ民族を維持し遣っている訳では無く、況してや、世界制覇を狙っている訳でも無いのである。