日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆慰霊祭への参加を決めた米英

 侃諤二千四年七月二十八日<1021>条を見てみよう。

 <日本国土の凡そ百ヶ所にも及ぶ地域に散在する米軍基地と施設、皮肉にも軍事基地機能の大部分は佐藤栄作時代に返還された沖縄県に在るのだが、第三国の米国に帰属する軍事基地や施設がこれ程多く一独立国家に存在する例は国際社会の何処にも見当たるまい。如何に独立国家日本であるとは云え、異常と思えない思考回路自体が異常そのもので、基より憲法第9条の軍隊保有の否定に基づく戦争放棄条項に端を発している事は言う迄もなかろう。一旦決められた体制の流れであれば、民族が思い描き、且つ、造り上げなければらなぬ国家の将来像に合致しようがしまいが、与えられた侭を当然の形として受け容れ、しかも自らの描いた体制であるかの如くに錯覚し消化吸収して仕舞うのが、これもまた日本民族の長所であり欠点と云う事にもなる。その表われが、自国社会の長期にも亘る異民族支配を無定見に受け容れ、尚且つ、動かし難い百ヶ所もの軍事基地等を背負ってすら平然としていられる所以ではあろう。

 日本国家国民が永久にアメリカ合衆国に拠る被占領統治体制を受け容れ、所謂米国を宗主国として自覚認識し、且つ、自国日本を属国として良しとしているのであればいざ知らず、国学者から容共学者に至る迄、曲がりなりにも日本民族の一人である事を明確に自覚し、国際社会に向かってすら日本国家である事の存在を以って様々な独立の政治経済態様を示してもいれば、如何に現在の日本国家国民の思考回路がチグハグな社会状況に在るかは謂わずもがな、独立国家を定義する国家概念とは程遠い日本である事を、認識せずとも、意味している事は確かである。それで良しとしてはならず、また知らなかったで済まされるものでもないが。

 吉田茂翁から始まる戦後60年にもなる日本、何処でどう道を間違ったかは、過去に思いを馳せれば、歴史学者だけに限らず政治や経済学者もまた認識可能な原因特定にも至るのだろうが、それは突出した経済的発展現象が押し隠した、「政」の質的未発達に拠るものと言えなくもない。

 未だに上下水道の未完な地域は残されているが、川の水さえ飲用水として利用してきた此の日本が、井戸水や上水道の設置に変わってさえ未だ一世代そこそこの半世紀未満のもの、また、吉幾三の歌ではないが、「電気もねぇ、ガスもねぇ、テレビもねぇ〜」時代が去ってからですら僅か30〜40年足らずのもの、第三国朝鮮半島の内戦を契機に日本経済が戦争特需で盛り上がり、それ行けやれ行けで、経済ゲーム活動に没頭した日本社会ではあったし、国政を預かる政治家もまた、日本経済の復興と開発に政治の比重を置いた事も、国家存在の本質を顧みない要因ともなるのだろう。

 「アメリカに追い付き追い越せ」を合言葉に、官民挙げて一所懸命に仕事に精を出し、時には輸出製品と称して「石炭のカス」や不良品を箱詰めする等の不正行為も縷々在ったようだが、押し並べてみれば、日本民族の良質性に基づくそれは一心不乱の、脇目も振らずの経済ゲームへの没頭が為さしめたものではあったろう。官民挙げての外貨獲得が飛躍的に伸びる中で、官主導の全方位外交は経済政策を中心として活発に推し進められ、米国を主たる取り引き相手先とする、所謂、<商社活動を通じて>世界に大きく羽ばたいて行ったのである。勿論、原材料の買い付けと云う点に於いても、官民が一丸となって果たして来た役割は極めて高いのである。勿論、政治抜きで。

 資源の買い付け、加工、輸出のサイクルは、持ち前ののめり込み性と努力の甲斐もあって右肩上がりで上昇、ニクソンショックに拠る1973年2月に於ける固定相場から変動相場制へと、日本の為替相場が移行する迄の期間、外貨を貯め続けた日本ではあったのだろう。それ迄は、四半期毎の貿易収支に一喜一憂し、其処に日本国家動向の指針を置く社会でもあったと云う事である。1ドル360円が308円への切り上げとなり、その後は見ての通りだが、程なく50%以上の切り上げ相場を見た経済評論家の多くは、日本の輸出産業は壊滅的打撃を被ると確信した者も少なくはなかった筈で、政治は飽く迄も刺身のつまの域を脱するものでもまたなかったのである。経済が先歩きし政治が遅れると云う構図は、為替の変動相場制採用時から認識され始めたと言っても過言ではなかろう。

 此処に至る60年間の政治家の仕事はと云えば、官民挙げての経済ゲームに取り組む中で、官主導に拠る法整備に対する印鑑の押し続け作業を副とし、主たる任務は自らの選挙区に対する国家予算の分捕り合戦を専らとするものには在ったのである。それは官主導の青図の作成に則るものであって、日本国家全てを網羅しての整合性ある、つまり、政治家主導に拠る日本国家国民の自主自決と国家理念を基にした、確たる政治経済の進め方ではなかったのである。

 政治家主導政治が叫ばれて僅か20年そこそこの日本、その実態はと言えば、未だまだ有能な官僚テクノクラート集団に拠る、揺るぎなき国家運営体制が悉くに布かれた日本国家ではあったと云う事であり、政治家はと云えば、神輿に乗せられるだけの何の変哲もないオラがクニの大臣や為政者で、その彼等は世襲制を喜んで受け入れた地元の有力者、やる事為す事の須らくに「国家国益」は全く入らずのものは当然で、国は赤字を背負ってでも俺達さえ喰い延びればそれで良しとする、所謂、ネクタイを締めただけのノータリンの二世、三世、四世のデコ助集団に様変わりするものと相成るのである。参議院選挙戦で敗北を喫し、潔く辞めるにも辞められぬ青木参議院自民党幹事長がつぶやく通り、「跡を継ぐ能ある者が(自民党には)見当たらない」は、蓋し本音であり、且つ政治家須らくの近況を言い表わす言葉でもあるのだろう。

 実質的政治の空洞化は未だに日本に続いているのだが、また、それを認めたがらない政治家達でもあるのだろうが、それでは次の質問に答えて貰いたい。自国領土の保全を第三国に委ね、自国民自身の手で護り切れないとは、いったいどう云う意味なのであるのか、或いはまた、第三国の異民族に護られ続ける事に何等の不具合も、恥すら感じないとはどう云う事なのか、更に言えば、日本民族の精神的支柱として、「天皇」と云う御存在を現に戴き仰ぎながら、未だにマッカーサー体制に引き摺られて米国政府を幕府と看做し、米国政権詣でを繰り返す与野党権力者の画一的従属行動を何と説明するのか聞きたいものである。

 自民党の小泉氏、或いは民主党の岡田氏がそれぞれのチームを率い若しくは彼等の党員に命じ、同盟のパートナーと仰ぐ米国を訪問、共和、民主の両党権力者群と会い、日本国家体制良し悪しの意見を聞き、日米両国の政治経済的条理を摺り合わせさえする事に何等の異議を差し挟むものでもない。だが、現状を是認した上での政治であれば、為政者でなくても摺り合わせは可能で、有能な官僚で十分に事足りるのである。コミュニケートを図り、条理在る道に米国を誘う為のものであれば、宗主国に行く事に反対するものではないが、肝心要の国家理念の確たる形成や、国家再建の概要さえ国民に示さずしての大挙しての訪問は、それこそが宗主国に対する朝貢外交の醜き態様、事大主義者ならではの属国的政治姿勢として、彼等は総じて恥じ入らなければならない筈である。

 日本国憲法で、国政に関与する機能を法制上有しないとされている天皇の権能規定ではあるが、機能は有せずとも、「御言葉」若しくは「御意見」を賜るのに吝かであろう筈もなく、青木氏があれだけ嘆く既存政治家の統治能力と資質の貧しい現況の日本社会にも在れば、年に一度、或いは、国政選挙毎に天皇陛下の御言葉を賜り、日本国家の進むべき指針としての御意見を承る事さえ、進んで御願い申し上げて然るべきであろう。

 百ヶ所にもなんなんとする米軍基地と施設の日本国内に於ける存在事実、アーミテイジ国務副長官ならずとも、此処はアメリカの一州であると勘違いしたくなるのも必然で、与野党為政者は何等の疑問すらいだく事なく、当該米国に拠る命令の指示書を至極当然のものとして受け取り、尚且つ、必要不可欠な、それは体制維持の為の受け入れ基盤であると錯覚する為政者が国会に多勢を占めれば、米国が増長するのもまた当然、増々の米軍基地の増強と施設拡大化が一方的に計られたにせよ、政治家そのものが現状に見られる錯覚と幻想に陥っている間は、喜ばしい国家安全保障対策として看做す、腐った思考回路しか働く事もまたないと云う事だ。

 この様な、虎の威を借る与野党政治家が闊歩し続ける日本が、漢民族中国を理性在る条理に諭したり、且つ、覇権政治に傾く江沢民院政政治を諌めたり、或いはロシア国プーチン政権に、北方四島の無条件一括返還と和平条約の締結を申し入れたりしても無駄の上塗り、相手は聞く耳すら持たないと云う事にはなる。ロシア国並びに中国の目線で見る日本とは、日本列島の姿は見えるが日本民族の意思は皆目見当たらない日本国家と云うだけに止まらず、アメリカ合衆国を前面に押し出しただけの虎の威を借る国家、自主自決なき日本の存在としてしか理解する事もなければ、江沢民を諌めての覇権断念の承諾や、プーチン政権にに申し入れての問題解決など、どうして成し遂げる事が出来ようか。

 北朝鮮国との懸案問題にしてもまた然り、和平交渉再開への動きそのものがまともな日朝交流成立開始の緒にはなっても、自主自決を以って為す独立国家としての毅然とした姿勢並びに、理性在る国家理念に基づく北東アジアの在るべき将来構想を日本が示さなければ、駆け引きのみに基づく、日朝双方の権力者の一部を利するだけの猿芝居に終わる事は云う迄もないのである。

 小泉氏の執った機敏とも言える北朝鮮政策、二度にも亘る国際的政治慣行さえなげうって迄の訪朝をそれは指すのだが、蓋し価値在るそれは外交交渉の糸口と成果でもあったと理解したい。よしんば、対北朝鮮小泉外交の裏に、朝鮮民族同胞を条理の道に誘い、且つ日韓両国とともに北東アジア領域に於いて、確たる政治経済構想を策してのものであれば尚良しとするのだが、どうも詰めが甘いと言おうか戦略そのものがないと言おうか、現状の表層的ではあるが日朝間に見られる政治的展開に、或る種の変化すら未だに見られずは先行きを案じさせもする。敢て変化を見て取るとすれば、それは北朝鮮国に拠る日本批判の差し止めが其処に見られる変化と言えば変化だが気休めにもならずのもの、外交折衝に時間の掛かるのはやむなき事としても、少なくとも日本政府は、米国の心証を慮っての待ちの姿勢にだけは陥ってならないのである。何れ時が経てば解るが、若しその様な不明朗で渾然一体とした対北朝鮮外交を、国民にも知らさずに小泉政権が執り、且つ将軍と仰ぐ米国ブッシュ政権にも意見を求めずの策略を用いてのものであれば、日本の国益に繋がる事は先ずない。

 卑しくも、有能なる外務高官が付いていれば、その様な思い付きのみで動く小泉政権とは考え難いが、其処は丸投げを得意技とする彼の事、其れはそれ、此れはこれとして熱発的に執り入れ、北朝鮮戦略を描くそのシナリオなしに動いたとしても然して不思議ではない。戦略なしに二兎を追うもの一兎も得ずの喩え通り、日朝関係はおろか日米関係にも亀裂さえ生ぜしめる事は言うを俟たない。ブッシュ政権に疑心暗鬼を持たせるのは、日本民族としては未だ許容範囲内のものだが、良識在る米国社会の須らくを敵に回し、反日感情を抱かせる必要は更々にない。況してや、日本国民にも示さぬ国家戦略等何等の意味も持たない事は言う迄もない。

 「隗より始めよ」は、小泉政権のみならず日本国民にも須らく当て嵌まる格言だが、経済ゲームの没頭に流され続けたこの60年、堆積した政治問題は、取りも直さずに国体の在り様にも繋がる重大問題にもなる以上、如何に資質なき政治家が、陸続として生まれ国会に蔓延り、巣食っているからとは云え、見過ごしに捨て置く事は日本国家国民を沈没させるのに等しいもの、マムシの目を持つ青木幹雄氏とてこの侭の政治状態で良かろう筈もなければ、日本民族の一人として残された彼の人生もあと僅か、元幹事長の野中広務氏同様、国民に条理を説いて悪かろう筈もない。事大主義に根ざす宗属的政治姿勢からの脱却と、原点立ち戻りに拠る統帥権の取り戻し、並びに、第三国軍隊の完全撤退を国民に説かなければ、有終の美も飾れまい。>とある。

 刻一刻と迫り来る、シオニストユダヤ系大財閥資本家群率いる米国に因る、所謂、広島と長崎に落とされた「原爆投下」の民族的怨念日、斯かる不条理なる経緯を認識しながら、未だに口を噤み続ける日本の為政者達、その様な中で、広島で向かえる今年の慰霊祭には、原爆を炸裂させた側の米国政府代表が、英国代表とともに、”初めて”参加出席するとある。核廃絶を謳い、ノーベル平和賞の栄誉に浴したオバマ大統領ならではの判断とも受け取れるが、此れこそがシオニストユダヤ系大財閥資本家群の功利主義的判断に因るもの、即ち、沖縄普天間基地移設問題で何れは持ち上がるであろう日米間の軋轢と確執の表面化に対する、其れは先制に為す心理戦、英国代表とともにと云うところがミソ、諸手を挙げ、悦んでは居られないのである。