日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆2011年は、小澤一郎氏が執政権を握らねばならない

 庇を貸りて母屋を乗っ取る詐欺ペテン手法の悪辣さは、民主党創建時の主鳩山由紀夫、邦夫兄弟の下に政治的庇護を求めて駆け込んだ、今や総理の座に就く菅直人の、他力本願の事大主義に堕した行動態様に明確に認められるものだが、斯かる悪辣さは洋の東西を問わずのもの、シオニストユダヤ系大財閥資本家群に乗っ取られ、今や政治のみならず経済的にも貶められて足掻き苦しむ、アルゼンチンを一とし、アメリカ然り、イギリス、イタリア、フランス、ロシア、中国等々の国家群然りであれば、中々にして、斯かる国家群を差配して然るべき本来の先住せし主要民族である筈の、非ユダヤ系民族の登場に拠る、自主自決、独立自尊への条理在る台頭と執政移行は、容易に推し進む事もない様だ。

 翻って我が日本の国家社会態様を顧みれば、此れまた然りで、あの日本を駄目にした藤原一族の末裔により、千三百五十有余年もの永きに亘って延々と支配されし偏向した国家である事は謂わずもがな、斯かる、永きに亘る国家社会の支配形態と執政内容そのものに強弱こそ見てとれるが、実態的支配者が藤原一族をして支配せし一群と云う「核」自体は今もなお不変のもの、選良の民と呼ばれる旧五摂家を核とする藤原一族に因る、日本国家社会に対する不条理支配は現在に至るもなお途切れる事なく続いているのである。

 斯かる根源的反日本民族の象徴とでも云うべき選ばれし藤原一族の、即ち、藤原鎌足の子、藤原不比等から開始作動された百済系一族支配者層の不条理性にメスを入れ、今や、澱みによどみ、膿みにうんだ、彼等渡来系選良民族に因る国家社会支配体制と組織の撲滅に向け、無意識裡にではあってもゴーサインを出したのが、百済系、新羅系、高句麗系、伽耶系、ツングース系等々の血が入り乱れる我ら其の他大勢の道々の民の意向、即ち、我ら道々の民と同様に非選良の民でもある小澤一郎/鳩山由紀夫両氏率いる民主党政権に、当該不条理組織に対する執刀の主導的役割を担って貰う事に同意したのが、我ら道々の民では在った筈だが、憐れなる哉、其の我ら道々の民自身の無意識裡が災いとなって藤原一族に間隙を置かれ、小澤/鳩山と云う執刀医そのものを陣頭指揮の第一線から取り外す破目へと追い遣られ終ったのだが、在ろうことか、不条理組織の執刀をこそ希った我ら道々の民を、藤原一族とともに洗脳教唆に加担し、条理への唱道者でもあった小澤/鳩山の執刀医二名を外したのが誰在ろう、斃れし自民党谷垣禎一でも、石破茂でも石原伸晃でも無く、民主党創建時に庇を貸りに来た、現首相の菅直人であり、菅直人の懐刀である仙石由人二名の同調と作為に因るもの、如何に一寸先が闇の政界とは言え在ってもならぬ其れは後ろ足での砂蹴り行為、民主党と云う母屋の乗っ取りをも策した事大主義者の不条理行為そのものだったのである。

 共同正犯の一人、仙石由人が先ず以って不条理の口火を切り、小澤一郎氏に対する自主的判断による離党を要望、遂には、母屋を乗っ取った主犯の菅直人が登場し、わたしの云う事を聞けないのであれば、小澤一郎氏には離党を申し渡すと迄のたまい、共同正犯を構成する他の閣僚陣もまた、発言内容こそ異なるものの、一様に、小澤一郎氏の離党が望ましいとの判断に発言帰着している此の体たらく、盗っ人猛々しいとは此の様な連中の言葉と行動を指して云うもの、何と云う愚劣極まりない閣僚陣に因る、其れは不条理を露わにした言葉では在るのだろうか。信じられない発言であると云うよりも寧ろ、憐れみさえ彼等には覚えるだけでしかない。人一人の、基本的人権とでも云うべき無実の白をすら防御し得ず、また、権力欲を露わにする執着心と閣僚席への居座り希望を以って、社会正義の顕現を、在ろうことか押し潰す様は、醜悪なる人格に彼等閣僚陣が総じて陥っている事を晒し示すだけ、国家社会を条理に誘う、所謂、行財政大改革目的一つ為し得ずに、唯々事大主義のメディア迎合に陥った菅直人と彼等閣僚陣、此れ等愚か者の居座りと禄食み行為こそが、日本国家社会にとっての不条理なる存在でしかないのである。

 寅年の今年を振り返り、卯年の来年に於いて為すべき民主党条理派の、即ち、反<菅/仙石派>の政治的課題が何かと言えば、基より、山積にも在るが、特に、道々の民全体が陥って久しい、即ち、日本国家社会全体が不条理に支配され続け、且つ、洗脳され続けた状況からの覚醒に因る解放が、先ず以って実現されなければならずのもの、斯かる不条理からの脱出無しには何事も不能であって、党としての政権返上すら余儀なくさせるもの、畢竟、其の原因の総元締めとでも云うべき、所謂、検察庁自民党菅直人一派、並びに、マスメディアを支配しては不条理下に差配し続ける藤原一族の末裔に因る、「小澤一郎氏」に対して嵌められた、手枷足枷の解除に拠る原状復帰の解放が速やかに為される事であり、<葦原中津国>への呼び戻しが完璧に成就されねばならずのもの、小澤一郎氏をして、努々、不条理に斃れし蘇我馬子、入鹿父子や、太宰府に左遷され、遂には殺された菅原道真公であるとか、はたまた、応仁の乱の因ともなる崇徳天皇や、明治革命の犠牲となりし孝徳天皇に見られる、あの日本を駄目にした藤原一族の毒牙に掛けられては惨殺されしおぞましき政治社会状態等には、決して送り込ませてもならないのである。

 日本民族は、往々にして熱し易く冷め易い民族であるのと同時に、流され易い民族でも在ると謂われ続けて久しいが、裏を返せば、列島に住まう南北の地域間に於いてこそ其の強弱は認められるが、普遍的には、諦め易い民族でも在る事を知らしめているもの、同祖同血にも在る朝鮮半島の民族、或いは、古代史の楽浪郡帯方郡に住まいし満州民族、蒙古民族、漢民族へと辿って行けば、徐々に消える其れは諦め易さとでも云うべき民族性格、畢竟、彼の地から渡来し、また、帰化せし彼我の先祖、即ち、我ら道々の民の先祖様が、列島から零れ落ちない為の日本民族に強く取り込まれた一種の保身術の習得、斯かる性格が、<小澤一郎氏>を貶めるシナリオを描いて実行した検察庁自民党、或いは、マスメディアと云う司法権グループに易々と従った、所謂、長いものには巻かれろを是とする、我ら80%にも及ぶ道々の民の、社会正義の不顕現すら厭わない性格形成へと繋がって来ているのであろう。

 国家社会のリーダーとして立つ菅直人が、基本的人権すら護持出来ず、在ろう事か、基本的人権をも押し潰し、冤罪のでっち上げ事件を作為する事で敵対人物の排除に向かう犯罪行為に加担、小澤一郎氏の貶めに向かう様は共同正犯と云うよりも寧ろ「正犯」そのもの、権力の濫用を菅直人自身が執り行なって終ったと云う事で悪質、被訴追者側に回って然るべき菅直人は悪党、この様な一小市民の事大主義者、即ち、権力盲者にしか過ぎない菅直人を筆頭とする政権に、条理在る政治行政など為し得る由もなく、況してや、為政者自らにも切り込む事で大きな痛みをも共有する<行財政の大改革等>は出来る術など無かりしもの、日本国家社会再興にとっての邪魔者、障害物でしかない。

 次年度の到来に際して、基より、日本国家社会の条理在る再興と再生を求める我ら道々の民とって、条理在る決断を下さねばならぬ時期の到来はそう遅くはない時期に現われる可能性も高く在する。即ち、我ら道々の民が、小澤氏に謀られた当該問題をして、其の侭の状態に置く事を是とし続けるのであれば、遍くに於いての日本列島に「災禍」がもたらされるのは避け難く、一方、条理に覚醒して不条理からの解放へと進み、無実のハレが迷わずに実現されれば、「幸いと安寧」、並びに、日本民族の向かうべき指針が、彼小澤一郎氏に拠って示され、千三百有余年に亘る不条理史にも幕が下ろされ、天皇陛下を長とし、我ら道々の民を赤子とする、日本民族本来の国家社会形態が、程なく形成されていくのであろう。