日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆日本民族社会の朝日の拝み

 新年明けましておめでとうございます。

 天皇陛下皇后陛下の御健康と御長寿を希い、東宮家を一とされる天皇家の御健康と御多幸を謹みて御祈り申し上げる次第で御座います。また、我ら道々の民に対する安寧と静謐、並びに、僅かばかりの健康と繁栄の付与をも、天津神に御祭祀賜り戴けますよう伏して御願い申し上げ奉ります。

 平成二十三年に突入した今、我ら日本民族、即ち、道々の民が念じるべき事、また、思いめぐらし、若しくは、為すべき事が何かと言えば、社会生活並びに私的生活に於ける良質性を追い求め続ける中で、更なる一層の良質性を熟慮を以って窮める事が肝要であり、即ち、社会正義の顕現、乃至、示現を、何事に於いても行動出立の原点とすべきであり、努々良質性に裏打ちされた社会正義を放棄したり、或いは、回りが大勢に在るからと云って斯かる不正義に呑まれる事を是としてもならない。

 私的生活、社会生活ともに信じるものが無ければ、個人もそうだが、社会もまた不健全で不健康、幸いにして私個人、乃至、日本民族の須らくには、天皇陛下皇后陛下、並びに、天皇家と云う、日本国家、乃至、日本民族の、須らくを表象する御存在が確として在らせられ、古に住まいし我らが先達の御霊の変わらぬ鎮めを奉祭賜り、若しくは、現世に住まいし我ら道々の民、並びに、来世に生まれし子や孫、曾孫達の、不変的安寧と静謐、繁栄をも御祭祀、且つ、御導きされし天皇家の御存在は畏くもあり有り難き哉、また、六十七億人の住まいし地球に在っての我ら一億二千七百万人の日本民族天津神国津神と我ら道々の民の間を、良質性を以って取り持たれる天皇陛下皇后陛下、並びに、東宮家を一とされる天皇家の御存在、実に畏れ多き事、深く平伏し感謝、御礼申し上げる次第で御座います。

 年末に訪れた武蔵一宮氷川神社、当社は、須佐之男命/稲田姫命大己貴命の三神を御祭神とする、二千四百有余年の古に創立された現存する日本最古の社で、境内神社には、摂社として<門客人神社、天津神社、宗像神社>が坐し、末社としては<山祇神社、石上神社、愛宕神社、雷神社、住吉神社神明神社天満神社松尾神社御嶽神社、稲荷神社>がともに坐しますのが、此の武蔵一宮氷川神社である。年末も押し迫っての参拝の所為もあって、境内に向かう古道の両脇では忙しそうに働く露天商の人々でごった返しもしていたが、延々と続く古木の屹立による並木道は、彼我の別なく、温かく包み込み見守ると云う風に、気としても感じさせて呉れてもいたのである。

 それにしても、改めて感じ入る其れは「武蔵一宮氷川神社」の霊験であり荘厳さ、御祭神三座(須佐之男命/稲田姫命大己貴命)、即ち、天皇家の祖であり、出雲王家の祖でもある須佐之男命神の御霊が、厳に、鎮座坐します所以に在るもので、霊験と荘厳さを感じない訳もないのである。

 あの日本を駄目にした藤原一族の末裔が、捏造と改竄を以って作りし「日本書紀」、また、其れを正史として学ばされ続けている我ら道々の民、斯かる偽史も十三世紀の永き時を跨いで漸く解かれ始めようとしている日本国家社会、天皇家の御存在こそ不変では在るが、日本国家出立の事実としての足跡捜しこそが、基より、現代日本民族と社会にとっての肝要なる歴史的原点ともなるもの、天皇家を長とする日本国家起源の源流を求める意味でも欠かせない、其れは列島流入の歴史的足跡なのである。

 現に我らが学ぶ日本の正史を覆す論文は、今や一つや二つではなく、史学者や考古学者、或いは、地質学者や建築家、はたまた、在野に在る諸研究家や小説家等々に拠って、数多の研究成果として著わされてもいるが、此処に、古代北東アジア史に学問研究の焦点を定め、日本、南北朝鮮、中国等に広く現存する古代史に関わる資料に目を向け、現地に飛び、或いは、列島内にて入手し読破、半世紀にも及ぶ永きに亘って研究を修め、遂には日本史の真相解析の足掛かりともなる史実を読み解いた碩学の雄、山形明郷(博士)氏の一書を紹介したいと思う。著書名は「卑弥呼の正体」と題する論文、手にとって読み学んで頂くのが一番だが、我がメモ帳から抜粋して氏の研究成果を記してみたい。

 其の前に、現代社会に於ける、所謂、彷徨える道々の民の因の一つを呈して不条理からの覚醒に至らなければ、如何に良書を紐解いたとしても条理への覚醒と良質性への追求が始まるものでもない。即ち、現代社会が遍くに於いて自信を喪失し、突出するマスメディアの伝道の波に引き摺られ、良しとしながらも得心に至らないのは、其れは、斯かる道々の民が真に深く信じ得るものを見失い、且つ、見失うべくの迷いの道に入っているが故のもので、其の重大なる要因の一つが天皇家の遠ざかりに起因するもの、我ら道々の民の前に落とされし、其れは徒に設えられた御簾の為せる業であって、即ち、あの日本を駄目にした藤原一族の末裔に因って故意に遮断され、今や、シオニストユダヤ系大財閥資本家群をして主と奉る藤原一族に因って、道々の民の視線と耳元を閉鎖、御簾の下しを以って、天皇家が閉ざされたからでもある。

 TVに御映りになられ、新聞等のメディアにも御出坐しになられているではないかの反論を用意する藤原一族の末裔だが、左に非ず、其れは飽く迄も藤原一族が手配せし、筋書き通りの御出坐しであり御映像、天皇家に拠る道々の民に対する、御意思を以ってする御知ら示しとは到底言えるものではないからである。即ち、あの日本を駄目にした藤原一族末裔に因る権力支配の為の「天皇家」として御出坐しされたもので、二重、三重の御簾を、日本民族赤子の前に、藤原一族の作為を以って下ろされているからではある。忌々しき事態は今もなお続いているのである。

 それでは、「卑弥呼の正体」(三五館、山形明郷著)の一部を紹介することにしよう。
清朝期二百三十年余、清史としては完成をみていない。○漢の時代の四郡は、楽浪、臨屯、真蕃、玄莵である。○「魏志倭人伝陳寿著、其の実体は、現朝鮮半島南方方面土着人風聞録と解するのが妥当。○高句麗百済は、濊狛族(わいはくぞく)で、濊族は扶余となり、分離南下して高句麗となり、一部は百済となって分離する。○高句麗から分離した一派が後の百残、即ち、百済となって遼東半島に移る。○新羅国の発祥地は不明だが、北方系民族であった事は確か。○「北史」では、故国に復帰するに、留まりたるもの斯羅となり、また、新羅とも云うとある。新羅は、七世紀以降に云う名称でそれ以前にはない。○「魏志倭人伝」に云う倭人伝とは、古代日本伝には非ず。○今日の朝鮮半島に、「朝鮮」と云う国号が現われるのは1300年代に入ってからで、韓国人と称したのは1894年になってからである。○旧来の定説、古朝鮮=現北朝鮮説は誤りで、古代朝鮮は現中国に交わり、遼河以東の太子河一帯地区にかけて存在していた古代国家。○楽浪郡はもとの朝鮮国で、現中国の遼東に在った。○「古朝鮮=箕子朝鮮」は、現中国の集安市地区に在った。○衛満朝鮮と言われた古代国家が、現中国東北地方の一角に存在していた。○高句麗が、中国側の文献に名を挙げるようになったのは二世紀末頃からで、高句麗百済は元来が同根に在る。○紀元前十二世紀初頭(箕子朝鮮)と、衛氏朝鮮に至る紀元前百年迄を加え、中国古王朝に軍事的に拮抗した国家勢力が、塞外東北には存在した。○朝鮮を構成した民種は、「東胡、山戎、濊狛」+「犬戎」である。

 ●日本の古代史学者は、中国をして事大視した偏見史観に貫かれ、誤断錯覚下に在る。○西漢の第六代武帝が「朝鮮」と云われた古代国家を征服し四分割、郡県とした。楽浪、臨屯、真蕃、玄莵が其れである。○「衛氏朝鮮」は漢民族系である。○衛氏朝鮮の地は、現中国の遼寧省東部から吉林省方面に掛けて存在し、衛氏朝鮮は三代で潰える。●明治政府が朝鮮史を改竄したのである。○「倭、倭軍」を、我が国古代の軍事勢力と勘違いしたことが其の証左、虚構史観(皇国史観)誕生の先鞭を付す原因になった。●須らくの改竄偽造は、軍部、政治家、学者に因って為された。●韓国も、解釈史で汚染されている。○「好太王」碑は、吉林省集安鎮の東方に在る。○高句麗は現在の北朝鮮ではなかった。○「倭」とは、現日本のことではなく、南韓方面の存在勢力を指し、伽羅国を指す。○「好太王」碑の刻文は本物だが、訳文は誤訳。○高句麗時代の「平壌城」を、現北朝鮮平壌に位置付けているが大間違い、「平壌城」は現中国集安方面のことを指し、集安鎮である。○楽浪の地に興起し、三国時代を画した東方の雄が「新羅」である。○新羅三姓の「朴、昔、金」の名が現われて来るのは遥か後世の事、また、新羅の名称が対外的にも認められてくるのは、西暦502年頃からである。○弁辰の属邦「新羅」に結び付けるのは疑問、但し、新羅と称された国家が、現朝鮮半島を最初に統合したのは事実。○新羅高句麗の東、または、東南の地が発祥の地、即ち、現吉林省遼寧省南東の地を云い、長白山脈一帯の地か、それ以東の地に比定される。○伽耶国は、七伽耶、十伽耶存在したが、韓国史では六伽耶と改竄。現在の朝鮮半島の歴史は新羅の統一から始まるのである。○渤海国の旧称は、大震国と云う。

 ○現朝鮮半島へ、軍事的、政治的に介入し得た国は、蒙古族満州族の王朝のみで、中国に因る現中国東北地方への遠征は二度のみ、一つが吉林省の北界へ、一つが黒龍江省南部に在った東京城迄で、鴨緑江以南の地区には入っていない。●現日本も朝鮮も中国も、勘違いの史観、史説を以って良しとし、自国に都合の良いように捏造している。○帯方郡は現在の遼寧省から遼東半島に至る地区を云う。○帯方郡は、395年までは存続した。以降、百済国に吸収される。●百済の台頭は西暦364年〜395年の間で、旧来の定説は誤り、帯方郡の治所を今日の朝鮮半島方面比定したのは改竄された虚構史説の産物以外のなにものでもない。○百済新羅高句麗の三分割は歪曲以外の何ものでもない。○衛氏朝鮮漢民族を根幹とし、現中国東北地方の一隅に興起した国で、朝鮮半島ではない。○百済は、現中国の遼寧省南部から、やや拡大して鴨緑江以南、大同江流域帯に掛けて存在した。○朝鮮半島最初の統合者は新羅である。○高句麗は、支配地が通説とは異なる。○朝鮮半島の発展過程で、伽耶=倭は吸収されて歴史に幕(676)を閉じる。

ー次回に続くー