日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆社会も労働もまったく知らぬ、社会主義労働貴族政権

 延々と続いた悲劇の民が、今や、真逆の荒ぶる民へと成り代わった事を記した。

 政権を現に与っている民主党政府に限らず、既に、道々の民に因って見限られ、且つ見捨てられ、石棺の中に斃れし自民党に限らず、一内閣の執政期間が一年と続かず、小泉政権以降新たな首を挿げ替えるのは何故にか、其れは、一つには、行政府の長の椅子にリーダーとして座るべき人物が、リーダーとしての資質そのものが無いのみならず、政治能力そのものの欠落も去る事ながら、日本民族として追い求めるべき良質性、即ち、其の基本とでも云うべき「社会正義の顕現、乃至、至現」が、政権を担っては一年足らずで去ると云う彼等には、一つとして全く為されなかった、若しくは、熟成していなかったとの証左を知らしめた故を以ってであり、二つ目の事由としては、熟成した人々が斯かる政権に、即ち、行政府を取り仕切る長として、二年、三年と居座られ、且つ、執政を継続される事で、行政組織の活動そのものの奥の院に迄立ち入られ、また、実態を精通される事で、当該長に拠っては、自らの政治理念、乃至、国家社会理念に基づく、配下に置いた当該組織の行政活動や内容そのものとの齟齬、若しくは、乖離、ずばり言って終えば、懸け離れを理解させる不条理性の存在が明確となり、斯かる長の出現に拠る、既存行政組織と活動そのものに疑義が呈され、手入れを余儀なくされる事を懸念し怖れる、一群の存在に因って早期の退陣劇が仕組まれるからではある。扨て、どちらなのであろうか。今や後者に因ってではある。

 戦後の内閣のみに絞ってみても、新日本人とでも云うべき小泉純一郎による執政期間が、中曽根康弘佐藤栄作、或いは、池田勇人吉田茂等に見られる、所謂、行政組織との一体化に在った旧高級官僚出身者とは異なり、民間出自の彼小泉純一郎が比較的長期政権に伍するのは、偏に、行政組織に対する手の突っ込みを懸念する官僚組織の一群に早期後退を仕組まれる暇を与えなかったこと、即ち、道々の民を結果として見方に就ける重要なる政策を、発表と同時に実行に移し、尚且つ、完璧でこそなかったとは言え、国民が納得するだけの目に見える成果をもたらした事にはあるのだろう。

 即ち、其の成果が何かと言えば、郵政三事業を営む公社の民営化等ではなく、即ち、あのシオニストユダヤ系大財閥資本家群に国民がコツコツ貯めて預けた金融資産を、民営化と同時に金庫の鍵をも譲り渡すという、云うならば、売国奴的政策の成就を見たが故に長期政権を得た成果ではなく、また、あのシオニストユダヤ系大財閥資本家群の政治的前衛を担い、<9.11同時多発テロ>画策と其の成功を皮切りに、アフガンに踏み入っては国際社会に於ける占有率八割にも上る”麻薬”の独占領有を狙い、更には、イラクに押し入っては、石油エネルギー資源を奪い取り、イラクに隣接するイランの史上最大規模とも言われる石油開発利権を、日本政府を脅しては剥奪し、シオニストの僕となって久しい漢民族中国へと引き渡したJr.ブッシュ政権の、良き理解者であるのと同時に、稀有な”太鼓もち”型為政者として、当該小泉政権が認められたからではなく、其れは偏に、古の昔から我ら道々の民と同祖同血の民族に有り続け、今でこそ南北分断を以ってする半島内立国を見ている一国、即ち、斯かる朝鮮半島の東経三十八度線以北に立国せし朝鮮民主主義人民共和国から、金正日総書記との間に二度にも亘るトップ外交を推し進めた事で、拉致されし日本人五名と其の家族を見事に解放し、連れ戻す事に成功した事に拠るもの、更に言えば、外交的常識を意に介さず、拉致被害者解放の為に、首相小泉純一郎自身が二度にも亘って訪朝そのものを決断した事に在るのであって、即ち、訪朝間際に於けるブッシュ政権から為された、「訪朝停止命令」自体を、日本民族小泉純一郎が排除し決した事には在るのである。

 今、現に政権トップを担う菅直人に、未解決の侭に措かれた当該拉致被害者解放問題や、其の他多くの課題や問題に取り組み、彼の小泉純一郎氏の執った、キラリと光る政治的決断や、実行力と同様か、若しくは、其れ以上に、条理を貫き通せる、所謂、政治生命を賭した外交、或いは、内政が為し得るかと言えば”ノー”、菅直人は、遣らないと云うよりも寧ろ、遣れないと言った方が適切なる人物、即ち、一小市民の事大主義者に陥って終った彼菅直人、即ち、若かりし頃から米軍撤退に拠る沖縄の完全返還を希望していた其の一人の為政者から、政権政党に押し遣られ、あまつさえ、政権を与る様になったら、今度は一気に常駐肯定論者へと百八十度転換の政治信条を変え、あまつさえ、沖縄県をして異国と迄言わしめた菅直人、其の彼に、日本民族の追い求める良質性に基づく条理在る政治の執行など到底不可能なるもの、為し得る由もないのである。

 政治指導者資質の根幹となって然るべき、社会正義の顕現一つ示し得ぬ菅直人が、唯一成し得た事が何かと言えば、自民党政権時同様に行政も立法も、更には、司法をも、第三帝国官僚政府に其の差配の須らくを任せ、国民に対しては、内面こそ見せはしないが、然も、憤懣のガス抜きが上手く出来ている良きオジサンぶる事を遣って見せ、即ち、具体的に言えば、海流が閉じられて久しく、且つ、原状復帰不能諫早湾問題を、原状復帰に向けてやってみろとの高裁判断に対して、国としては上告せずに従うと言って見せた様に、道々の民の感情に阿るべくの策を執る等、所謂、行き当たりばったりの思い付き言動は目を覆うばかりのもの、一小市民の事大主義者に成り下がった、其れこそが、働いた経験を持たぬ貴族モドキ人間の為せる業、始末に負えぬとは彼菅直人の如き、自称指導者を指して云うのである。

 参院国会での野党発議に因る、仙石と馬淵両閣僚に対する問責動議の可決を受けて、政権閣僚の顔触れを入れ替えて来た菅直人政権、手短に言えば、先の敗戦で立憲君主国家政体を木っ端微塵に吹き飛ばしたのが誰在ろう、あの日本を駄目にした藤原一族の末裔だが、六十有余年を経て元に戻して再興を期し、立憲君主制国家社会体制へと大きく舵を切ろうとしたのが、小澤一郎と鳩山由紀夫両名を、指導者の双輪に擁して率いた民主党、基より、民主党のランドマークとして屹立していた両氏に拠る政権奪還ではあったが、民主党の庇を貸りて母屋を乗っ取ったのが誰在ろう、菅直人と仙石由人であり、並びに、前原誠司枝野幸男の、所謂、メディアの命名に基づけば、社会も労働も全く知らぬ、社会労働貴族の四人組、と云う事にはなる。

 小澤一郎氏を党首の座から降ろし、政権奪還が成ればなったで、鳩山由紀夫氏を党首と首相の座から、更には、小澤一郎氏を党の幹事長職から引き摺り降ろし、其れも、あの日本を駄目にした藤原一族の差配する司法宮、即ち、検察庁と、マスメディアの手を借りて、我ら良質性を求める道々の民の抱き込みにも成功したと判断、躊躇する事なく、民主党の母屋を乗っ取った菅直人と仙石由人、今、其の盗人の主犯格に在る菅直人が、野党に因って仙石由人を葬られた代わりに枝野幸男を幹事長に登用、あまつさえ、小澤一郎氏の行く手を遮るべく、其のこ汚い手足を突っ込んで与謝野馨を党外から呼び寄せたのだが、此れこそが、一小市民の事大主義者に成り下がった者の悪足掻き以外の何ものでも無きもの、小澤一郎/鳩山由紀夫両氏の掲げし「立憲君主制」を基盤とする民主主義国体を完璧に否定し、封印したばかりか、第三帝国官僚政府型社会労働貴族政党として、民主党そのものの看板を塗り替えた様なもの、有り得て良かろうものではない。即刻に、盗人一派の解散を求めるものである。