日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆古代史と現代史、一本の道で繋がっている。

 日本列島並びに朝鮮半島、或いは、旧満州国遼東半島領域等々を中心とする真相、若しくは、実相としての古代史が、研究者としても秀でた能力保持は基より、探究心と勇気すらある歴史研究家の登場に拠る地道な努力を重ねての研究と解析、並びに、その成果発表で、朧気ながらも研究目的の実相そのものが彼等の手で浮かび上がり、既存の、正史の事実を覆すに至る新たな認識として判明する事が何かと云えば、我ら日本民族としての道々の民が学ばされし古代史に関わる、所謂、<日本民族純血種族>なるものは、全くの紛いものでしかなく、しかも、其れは作為的に作られし、(藤原一族用)皇国史観形成の為の正史である事も判明、また、誰の手に因り何の為に作られし民族史、即ち、学舎に於いて学ばされし改竄の日本史であるかが、明々白々にして知らしめられたと云う事ではあるのだろう。だが、残念な事には、斯かる歴史研究家諸兄に拠る研究成果や解析結果の多くが、我ら学究とは無縁の道々の民の目に触れる事は滅多になく、況してや、マスメディアを現に差配し続ける人々に因って、斯かる研究成果が採り上げられる事も無ければ、必然的に、当該研究論文は廃版扱い、若しくは絶版扱いとして処理され、一部の道々の民の目にしか触れる事もない、宝の持ち腐れなる著書として忘れ去られるばかりか、存在した事すら分からぬ史実解析の著作として、其れこそが日本の歴史の中に埋もれていくのが、哀しい哉、現状の姿である。

 我ら道々の民の中には、古代史など知らずとも生きていけるし、よしんば、真実を知ったとしてどうなるものでもなく、また、今日や明日を生きる為の、吾子等の大きく開けた口を糊する糧にすらならないと、史実の真相解明に至る入り口に立つ事さえ放棄、若しくは、忌避して終う人々も現代社会に在っては少なくはなく、言うならば、現に日本列島に立つ自らのバック グランドを其れは全く無視するものであると云う、言うならば、忌々しき現状にある事を証明、畏怖さえするのである。斯く断じる、愚昧に在る小生もまた例に漏れずの一人ではあったが、其れでもなお読書だけは止む事なく続け、仕事の間に間に、或いは、通勤時間を利して手にし続けた書籍の数々、其の分野が何かと云えば、翻訳本ばかりの、云うならば、洋書被れの中身求めずの一人にも在ったと云うべきもので、即ち、東西に輩出した作家の小説等は十代の終わりで見切りを付け、就職と同時に目にし続けて来たのが、残念乍ら、経済書やノンフィクションの類の洋書ばかりではあったのである。斯かる傾向もまた、齢四十にして其の九割方が潰え去り、今に至る、ユダヤ民族本、乃至、日本/朝鮮両国の古代史全般に対する興味へと送り込まれて来ているのである。

 即ち、日本の古代史に触れる(舞い戻る)直接の切っ掛けとなったのが、訳付き洋書そのものであってみれば、洋書への親しみもまた無駄ではなかった訳だが、其の皮切りとなったものが、二千年にも及ぶ永い間、故国を追われては流浪に晒されることを強いられ、行く先々で迫害と差別を受け続け、若しくは、逗留国からは管理監視され、職種は基より、在ろうことか結婚相手までが規制下に付される対象とされ、先の大戦に在っては、不条理にも、ソ連邦の西部を含む欧州域内だけで、総勢六百万人もの民が謀られた虐殺等に因る犠牲者を出す惨状にさえ遭ったと云う、所謂、悲劇的民族史そのものを抱え続ける”ユダヤ民族史”に黙祷、勝手ながら、共感にも似た悲哀の共有性に包まれ、ユダヤ民族本に手を染める切っ掛けともなったのである。所謂、斯かる共鳴による悲哀を粉微塵に吹き飛ばして呉れたのが誰在ろう広瀬隆氏であり、其れは、「赤い盾」に集約される、ユダヤ民族の本性にまで迫る大著作論文集等々にまで突き当たるのである。

 古代史など知らずとも、日常生活そのものには何等の支障も来たさないとの言葉は、推し量ってみれば、高校や大学で、微分積分の勉強や専門学を研究研鑽せずとも、社会生活上で特に支障は来たさないと云う、自らを、或いは、回りの者を無知に囲う捨てゼリフにも等しいもので、此れこそが愚民化を推し進める最たる詭弁、自らは知ってはいても他人は知らずとも良いとの言い分を助長するものでしかなく、即ち、暗愚の世界に良民を押し止めるだけでしかないのである。斯かる本質に気付かぬ侭、日常生活に忙殺される道々の民、即ち、忙殺されると云う事は、自らを暗愚に囲い込むだけでしかないのである。

 二十世紀に至る迄の間、民族全体が不条理下に晒され続けたのがユダヤ民族、ではあったろう。史実では其の様になっている。基より、日本社会に於いても、ではある。だが、斯かる常識を覆す切っ掛けとなったのが、我が友二人の存在、即ち、其の一人は、週刊誌に掲載された「田中角栄研究」で名を馳せた、件の、立花隆氏と血を同じくする人物の存在が有り、もう一人が、故田中角栄氏の極身近に在った人物に関わる息子、斯かる係争問題と我が友二名は直接的には関係無いが、奇しくも、糾弾する側とされる側に位置する当該友人二人を、傍に得ていた事がそもそもの始まりではある。ともに姓名のイニシャルは同じで、苗字から推し量れば、紛う事なく我が友二名は「百済系」の名を持つ友ではあったので在る。

 立花隆氏に因る、時の権力者である田中角栄氏の裏部分の調査は仔細を究め、日増しに道々の民に拠る拍手喝采は高まり、終には、あの忌々しき司法手続きに因る、あの「ロッキード事件」へと引き摺り、生み出しもしたのである。

 憐憫の情を一手に集めて当然としていたユダヤ民族問題と、政治と金に纏わる裏金作りの汚い問題とされたロッキード事件、即ち、立花隆氏に因る時の首相田中角栄氏への徹底的追及は、直接的因果関係を持たないかの様にも見えたのだが、非業の民ユダヤ民族に関わる書籍を読み進めて行く間に浮かび上がって来たのが何あろう、近現代史に於ける、世界の政治、経済、乃至、文化、教育、軍事、国連機関に拠る援助等々に関わる、彼等ユダヤ民族が関わる其の主導性が、強烈に浮かび上がって来たのである。基より、国際社会に於いて施行されるルールと其の改廃や、グローバリゼーション化と云う国際社会に於ける理念作りにも深く関与、其の一方では、タックスヘイブンと云ったブラックボックスを以ってする経済的不可侵領域の領有と差配であるとか、或いは、世界各国の主導者を集めて催すイベント、即ち、ダボス会議の召集であるとかの、所謂、治外法権の指揮掌握と権威箔付け機関への誘いもまた、彼等憐憫の情を一手に集めて当然とする、件のユダヤ民族が、主導し唱導すらしている事が明確になっているのである。

 利発で賢明、行動力も優れ指導力もあれば、世界を主導し唱導する民族となるのは当然で在ろうと考えるのは、良質性を追い求める日本民族の陥り易い罠、少し押し止まって考えれば、何故に斯くも、悲劇の民に在り続けたユダヤ民族が、条理不条理の事象に関わること無く、数多の場面に顔を覗かせ、はたまた、物事を作り、且つ壊し、物事を収束に至らしめて終う民族でも在るのかが理解されねばならずのもの、即ち、彼等が歩みし歴史を俯瞰、歴史的事象をつぶさに検証していくことで見えて来たのが、即ち、既に彼等に与えられた非業の民と云う冠詞は、もはや的を射た概念には無く、価値すらない事を知らしめて呉れているのである。

 故田中角栄氏に作為された貶め、其れは、第一には、米国抜きで開始した、日本独自の資源外交政策を推し進め様とした、所謂、自主自決の全方位外交を執り始めた政治活動に対する、米国に因る待ったの掛けが為されたのであり、第二には、此れまた、米国抜きで推し進めた対中外交の積極的開始が其れで、即ち、米国からの独自的羽ばたき行為が、米国を差配するユダヤ民族から嫌悪され、キッシンジャーを政治的前衛とした一群に因って画策、ロッキード事件として仕組まれたのであって、在ろう事か、罪刑法定主義に依らない違法なる手続きを以って、故田中角栄氏は権力を剥奪され、貶めの排除へと押し遣られたのである。

 故田中角栄氏に対する貶めは、勿論、米国独りでは為し得ずのもの、其処には当然の事として、日本の司法府も立法府も、作為を以って大きく関わっていなければ成就し得ずのものである事は必然で、況してや、罪刑法定主義を押し潰して迄不法行為を押し通すからには、即ち、法律に全く依拠せぬ手法での司法権行使に因る起訴を為すからには、行政権以上の力が無ければ此れまた成し得ぬ業、即ち、司法権を行使し得る者もまた、斯かる事件の背後には在ったと見るべきが妥当と云うもので、且つ、正解なのである。其処に云う日本側の首謀者、即ち、代理人が誰であったかと云えば、三木武夫であるとか福田赳夫であるとか、はたまた、中曽根康弘等の、云うならば、田中角栄の跡目を担う政治的ライバル達ではなく、其れこそまさに、外務省や宮内庁を差配し続ける表向きには高級官僚達、勿論、司法権を掌握する事大主義者の一群では在ったのである。