日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆韓国人と対馬島

 日本と云う国名が成立する以前の太古の時代(紀元前〜七世紀)に在って、就中、七世紀の初め頃までは、大伽耶国(朝鮮半島南部の国々の集合体)の一部にも在ったと思われるのが、対馬壱岐を含む北部九州、また、当該大伽耶国や百済新羅高句麗、更には、現ロシア領土ともなる沿海州方面に居住せし、蒙古民族を含むツングース系民族等々も夫々に、東方に位置する新天地を求めては渡来して住まっていたと思しき出雲地方や、石川、新潟、山形、秋田、山形、青森、北海道等を含む日本海に面する日本列島、基より、生活環境の変化と様々な事情に拠る其れは渡来人の目的でもあったろうが、数十名、若しくは、百人、或いは、其れ以上の規模で新天地を踏み続けた当該日本列島には当然に先住民も居たであろうし、事と成り行き次第に因っては生活を巡る血生臭い争いも、上陸と、乃至は、岩手や宮城等々の内陸部への進出と同時に、起きたであろうし、或いは、すんなりと、先住民に拠って向かえ入れられたものもあれば、真の未開発の地に渡り、悪戦苦闘しては切り開いて住まい、若しくは、自然がもたらす恵みの中で生活を打ち立てると云う、人々や集団もまた居た事は容易に想定出来るものである。勿論、五世紀以降の時代を下っての渡来であれば、大陸と列島間の往還活動も途切れることなく頻繁に為されていたであろう事から、彼我に関わるそれなりの知識も積み増しと共有が為され、朝鮮半島、或いは、沿海州、若しくは、其の他海外からの渡来ルートと帰還ルートの双方も順次に確立、現在の日本国家社会を作り上げる祖先として、我ら道々の民の子孫を列島に遺していくこととなったで在ろう事もまた、容易に窺い知れるのである。

 今、都市部以外の、所謂、過疎化の進む地方に於いて、韓国マネー、或いは、中国マネー等の外資が多量に入り込み、対馬壱岐、或いは、東北地方や北海道に於ける山林や、耕作放棄地、乃至は、多くの私有になる不動産物件が、当該外資マネーで買い取られている現象に対して、不安を基にする憶測をも呼び、当該不安視する人々の中には、山林資源や水資源、或いは、鉱物資源等々を、買い占めた中国人や韓国人に因って、自国に持っていかれるのではないかとの危惧さえする人々も出始め、斯かる山林や河川、乃至は不動産等々を管理管轄する地方自治体に注意を促し、場合に拠っては、売買に規制を強いる法整備を求める動きすらあるのだが、民族国家社会と日本列島そのものを見つめ直すと云う点では好い切っ掛けともなるもの、単なる感情論を押し立てての排外主義にだけは陥ってもならない。

 日本も、二十年以上前のバブル経済期真っ只中に在っては、経済成長著しい現在の韓国や中国マネーの動きと同様に、金融業界から強力に後押しを受けた動かし得る経済ゲームとしてのマネーを、日本国内は基より、海外に於いては特に、米国を中心とした不動産投機に振り向け、NY市の象徴ともされたロックフェラーセンタービルの買い付けを一とする不動産投資や取得に競って参加、ハワイに於けるホテルの買収や、建設や運営を新たに始める為の投資を、其れこそ、手当たり次第に押し進め、動産に在っては、モネやマネ、レンブラントピカソゴーギャンマチス等々、名だたる絵画や芸術品等々を、シオニストユダヤ系が掌握する、ロンドンやNYのオークションハウスに参加、欲しいと思ったら上限知らずの数字まで出し続け、手当たり次第に購入すると云う、所謂、投資と投機を飽くこと無く、其れも無定見に繰り返すと云う、国際社会の中に於いてもまたブーイングを食らう程のギャンブル行為を、日本人、若しくは、日本人同士で遣っていた事を忘れてはならない。また、斯かる結果がどうなったかと言えば言わずと知れた事、即ち、十年も経たずにバブル経済の崩壊(金融引き締め)に因る経済破綻となって表われ、良質性を追い求めるべき日本民族の過半を、借金を抱えた苦境の民へと押し遣り、所謂、政治不況等をも当然に含む多種多様なる貧困国へと日本社会を引き摺るのである。

 アメリカ合衆国の領土須らくを、買い取って余りある巨額な富を築いたと錯覚した日本ではあったが、橋本龍太郎政権によって決断されたされた、所謂、賭博に狂った頭を冷やす目的での金融引き締め政策で、右肩上がりの景気指標は一転、急降下へと方向を変え忽ちにして失速、ロックフェラーセンタービルは元の持ち主でもあるシオニストユダヤ系大財閥資本家群傘下の持ち主に二束三文で引渡し、海外、特に、ハワイを含む米国に於ける手持ちの不動産は其の殆どを手放す破目に陥り、金融資産や動産等に在っては、株も債券も美術品等々もまた其の殆ど全てを手放す事を余儀なくされた、自称資本家気取りの日本民族のギャンブラー達、残ったのが借金と戻る事のない莫大なる額の債権、並びに、政治家に因る国民にケツを向けての尻拭いの依頼だけとは恐れ入谷の鬼子母神だが、其の通り、バブル期に踊り続け、裕福なる貴族的思いを此れ見よがしに味わって見せ付けた、彼等選良民自身が苦しむどころか、其の殆どの苦痛は、踊らなかった、いやいや踊れなかった国民に対してさえ等しく付け回され、今に引き継がれし我ら非選良民の経済的苦痛、精神的貧困そのものとなって表われてもいるのである。

 韓国人、並びに、中国人(若しくは其の他世界各国の人々)に拠る、日本列島内に於ける動産、不動産の買い取りや投資に、即座に違和感を示す何ぞは場違いのもの、基より、水資源や木材資源、鉱物資源等々の国外への持ち出しであるとか、無許可の開発であるとか、逆に、放置であるとかは、日本民族国家社会の理念に基づいて条理在るルール等を設定し、施行すれば済むもの、中国人は兎も角、韓国人に対して迄目を三角にし忌避感情を露わにする何ぞは、良質性を追い求める日本民族としても恥じ入るべき思考でしかないのである。よしんば、韓国人や韓国企業に拠る動産や不動産の買い漁りが在ったとしても、彼の国に於いても同様に、日本人、若しくは、日本企業に拠る売買もまた認められていれば其れこそ基礎的互恵関係は成されていると見るべきもの、排除、或いは、忌避すべき事由など何一つとして無いのである。但し、動産に対する売買は別として、中国人、若しくは、中国資本に拠る不動産への投資は、条件をこそ付して売買行為は規制すべきもの、何となれば、日本人や日本企業等に拠る彼の国に於ける不動産売買の商行為、特に、一般の土地や農耕地や山林等々の売買は一切認められておらず、斯かる互恵関係の欠落から言ってみても、日本国のみが所有権を開放する何ぞは片手落ち、彼の国、即ち、漢民族中国に与える等は互恵の条理に反するだけでしかないのである。

 長崎県対馬島隠岐島島嶼の多い日本列島の中でも朝鮮半島に最も近いのが此の対馬であるが、其処は同時に、一説に依れば天皇家発祥の地ともされ、また日本国歌君が代」にも数多くの史跡や文言が挿入されていると言われているもの、当該対馬を一とする島々に今韓国人が来島し、売買目的で不動産を購入、若しくは居住目的で移り住み、年々其の数を増やし続けていると云う事実に対し、対馬が韓国人に乗っ取られて終うであるとか、秩序を乱されて対馬そのものの自治体が崩壊して終うとか、はたまた、日本語が無くなって、対馬は何れハングル語化して終う等々の、愚にもつかない揣摩臆測と排外的言動が飛び交い、其れこそ、主として、都市部に住まう一部の政官財、並びに、学界の有識者層から声が上がり、民族感情を徒に煽り立てている様は実に醜いプロパガンダの流布とでも云うべきもの、その様な排外的不条理に結び付けて愚民化させる力と時間があれば、中国にでも出向いていって、不動産の外資への開放等を直談判、実現に向かわせてくれば宜しかろう。

 国家社会体制の異なる中国人に対する、山林や田地田畑の売却、或いは、土地全体に関わる売却こそ、安全保障維持の為の法制度見直しの一考を要するものだが、同祖同血に在り、其れも、国家社会体制も近似した韓国人や台湾人に拠る、対馬への不動産投資や居住用、並びに、商売目的での来日と投資は、諸手を挙げて(規制を最小限に抑えて)歓迎すべきもの、否定すべき謂われなど何処にもないのである。少子化現象は基より、人口過疎化と高齢化の押し進む日本列島の隈なくに在って、対馬もまた例外には非ず、かつては六万人もの人々が住みながら今では三万人そこそこの住民数へと半減すら見ていれば、古の昔の様に、同祖同血の民族が御先祖を求めるべくに対馬へと渡り、或いは、九州、四国、本州、北海道等々へと渡り、今や濃くなった半島での血を薄めて貰う活動する事は、日本列島全体を活性化させる為にも大事なこと、盗人や犯罪目的での来日こそ望まぬが、其れ以外の目的であれば喜んで迎え入れるべきであろう。基より、逆の場合もあるのだから。

 動産や不動産に限らず、売買が増えれば消費も増えて活性化、マンションや一戸建てが売れれば自治体には諸税が入り、固定資産税も入れば税収に道筋も付き、自治会費もまた入ろうと云うもの、また、文化の違い等に拠る地元民との地域生活の軋轢に関しては、事前に話し合って済むのもあれば、其の折々時々で話し合えば済むもの、良質性を求める日本民族と日本社会を学んで貰う好い機会であり、逆に、地域住民が異国民の文化をも学ぶ、其れこそが絶好のチャンスなのでもある。

 韓国々民の有識者の中には、日本軍に因る過去の行状に対して(今もなお)反日感情を強く抱き続け、韓国の史学者に拠っては、対馬は(昔は)韓国のものであった等と主張する人々も居れば、また、還せと云う人々も中にはいるが、朝鮮半島の大伽耶国から独立し、対馬を含む島嶼も日本国となって既に十四世紀も経ていれば、其れこそが無謀な主張と云うもの、だが、祖先を同じくし、且つ、血を同じくする日本人と韓国人、日本社会に在っては其れが75%以上にも及べば、還せなどと言われるよりは寧ろ、古の史実を日韓双方で掘り起こして真の正史を追求、北朝鮮国の条理への復帰等を含めての合流に至る、北東アジア連合体に向けて協力し合おうではないかとの問題提起こそ、日韓双方の有識者からは為されて然るべきではあるのだろう。また、日本人もそうだが、韓国人もそうである様に、自主自決、独立自尊を忘れて、と云うよりも寧ろ、棚上げして良しと終っている人々が過半以上を占めている国同士、情けない話だが、此処まで類似していれば、北朝鮮国民もまた同類に在ると認められるもの、国家社会体制こそ異なれども話し合いの素地は共有するもの同士、古に於ける彼我の動向を知れば、政治経済文化等の三国合流すら夢ではないのである。

 北海道のニセコや札幌等に、マンションや戸建住宅を開発し、オーストラリア等の外人向けに販売した其れこそオーストラリア人等には、何等の不都合なるコメント一つ出さず、それどころか、好ましい風情であるかの如くに、新聞やテレビで紹介した大手マスメディア各社、其れが、中国人や台湾人、或いは、韓国人に拠る、日本の不動産投資や売買、或いは、購入や居住となれば、一転して、しかめっ面の論調に堕する様は異常、民族的見下しの性が未だに彼等マスメディアには残されている事を知らしめるもの、強いものには弱く、弱きものには強く在ると云う事大主義者性格、即ち、あの日本を駄目にした藤原一族と其の末裔に因る悪しき性格が、大手マスメディアにも見て取れるのである。