日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆「原発」是非の前提条件

 「玄海原子力発電所の運転再開に関して、私(菅直人)と閣僚(海江田万里細野豪志)との間に見解の食い違いが在ると云うのであれば、あなた(自民党参院議員:片山さつき)自身が、其々の閣僚に質問書を準備して質せばよいではないか、、」との菅直人による開き直り発言が、去る七日の参議院特別委員会であった。だが、あの日本を駄目にした藤原一族末裔の政治的前衛として傍若無人を極め、結果として、条理に覚醒した我ら道々の民の手に因り、政治的に葬られてはヒツギに入れられ、国権掌握への再帰等絶対に赦してもならないとの意思表示すら示されながら、早々と参院に鞍替えし、議員として復活した当該自民党議員の質問に対してのものとは云え、不親切と云うよりも寧ろ、其れは粗雑なる答弁とでも云うべきもの、民主自由主義体制下の其れも議会答弁で、行政府を束ねる総理大臣の口から飛び出て当然とする様な言葉で在ろう筈もなく、また、赦される投げ遣り発言であろう筈もない。

 原発行政を担う海江田大臣は、安全運転の為の定検を無事に済ませる事が間近に迫った事で、玄海町役場と佐賀県庁に赴き、夫々の長に、運転再開に関わる安全確認が得られた事を報告、原発運転の始動再開を要請したのである。基より、海江田大臣を現地に赴かせて迄の始動再開の要請に関しては、首相でもある菅直人自身が決断していた事であり、少なくとも、同意そのものは当然にしていた筈である。そうであるにも拘わらず、翌週六日の衆院特別委員会に於いて菅直人は、独自の判断基準を披露、国民が納得するであろう「ストレス テスト」の導入、並びに、結果を俟つ必要があり、原発運転再開の基準条件としたい旨の発言を、在ろう事か独断で公言して終ったのである。

 菅直人に拠る衆院での前日発言を受けて、片山議員が疑念を抱き、閣僚間の政策のズレを質したのは当然のもの、即ち、玄海原発を抱える自治体には大臣を派遣して運転再開を要請しておきながら、翌週には、ストレス テストの導入とクリアーが無ければ、国民が納得する再開条件に適うとは言えないと公言、菅直人自身が更なる条件を付して、大臣要請、並びに、自治体の長に拠る諒解に待ったを掛けたのである。基より、マスメディアも去る事ながら、斃れし自民党もまた、裸の王様菅直人が牽引する民主党行政の斯かる失政態様を見逃す筈もなく、大変なる混迷政治下に続く舵取りの主として、ゴタゴタ続きの菅直人民主党閣僚を追い続けているのである。

 原子力行政に知悉した専門家であればいざ知らず、聞かされる迄は一度として耳にした事もないのが「ストレス テスト」なるもの、菅直人も大したものだわいと言いたいところだが、菅直人の答弁を聞いているとどうも仔細内容に熟知しているとは思われず、取り巻き連中に因る俄仕込みの受け売りに因る、耳年増の答弁だったのではないかと推察されるもの、3.11事件以来原発事故に深く関わり、日本国家行政組織に頻繁に出入りを始めた、あのシオニストユダヤ系大財閥資本家群の傘下に在る米仏原子力総合企業の直接間接的に関わる入れ知恵が、斯かる事大主義者の菅直人をして動かしめ、大臣に与えし同意をすら簡単に覆し、俄仕込みの斯かる入れ知恵を優先させたのではないかと推量されるのである。

 ストレス テストに関わる仔細内容も解からぬ中で、あれこれ云うのも何だが、原発本体、並びに、周辺装置や環境等に様々な負荷を与え、其れをクリアーすれば、再開に適合していると看做すとはいったいどう云う事なのであろうか。想像するが侭に記せば、原発本体の事故に関わる最も重要なる点が何かと云えば、電源と水源に関わる装置の全面停止であり、並びに、復旧装置そのものの稼働に関わり影響を甚大に及ぼすもの、と云う事にはなるのだろう。

 原発そのものに負荷を加えて様子を見るとは、言うならば、核実験に類する”臨界直前”に至る様子を確かめる様なものとの想像は可能、ストレス テストの場合は、電源を全て遮断し、結果、冷却装置を全て停止させ、核燃料の溶融直前で、補助電源を用いて復活させ、冷却装置の再稼働の有無を見、原状に復する事が可能かどうかの判定や、或いは、ベント装置の作動が適切に稼働するかどうか等が、斯かるストレス テストの中身ではなかろうかと考える。とは云え、日本の各地に散在する原発の立地条件等を考えれば、単なる、タッチ アンド ゴーの様な基礎訓練を以ってする実践テストだけでは、恐らく、意味も価値も小さいと言わねばならないのではなかろうか。即ち、原発が所在する立地の中には、切り立った山を削って道路を造り、人里離れた当該臨海地帯に人工的に設置された原発もまた少なく無ければ、地震等に因る山崩れや崖崩れでの道路の遮断も可能性としては残るもの、したがって、時間の掛かる海側からの復旧活動もまたストレス テストの設定条件に加味しなければ意味も為さず、核燃料溶融のリミットを優に超える、其れこそ数日間を要する様な海側からのストレス テストなど成し得る筈もないからである。

 然るに、耳打ちされる侭に思い付きで公言したと思しき菅直人のストレス テストの導入には、現時点の状況下に於いては意味も価値も無く、勿論、中途半端な科学(原子力技術)成果採り入れの侭に推し進めて良いとも思わぬが、現状に惹き出せる英知を以って最大の安全策を顕わし、且つ、安全対策をも十二分に為し得る中で、原発利用を推し進めていくのが最善の策、即ち、現状維持の中で、ユダヤ民族が創り上げた中途半端な科学(発明)成果を、利用する日本民族が完璧な科学成果に変換、生み出し得るかが、総じての科学者に問われねばならずのもの、よしんば可とすれば、将来的にも原発利用とその継続は認めて良きものとなり、若し、総じての科学者が不可とするのであれば、原発廃止とし、取り止める方向で決断すべきであろう。

 中途半端な科学(発明)成果とは、要するに、核燃料、並びに、再処理核燃料等から発生する無用なるゴミ、即ち、放射性廃棄物に関わる、所謂、格納方法を以ってするしか環境との遮断方法が発見されていない現状の科学的未成熟さを言うのであって、ワクチンの様な、毒には毒を利して病原体の活動を停止させたり病原体そのものを壊滅せしめたりの、完全な科学成果、即ち、発見が、可能性として有るか無いかに関わるのである。

 何れにせよ、疫病神菅直人に国権を握られている間は、身動きが取れず如何ともし難いもの、あの日本を駄目にした藤原一族末裔の配下に在る第三帝国官僚政府が喜び勇み、毎晩のドンチャン騒ぎを目にするだけでしかない。