日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆前原誠司よ大人になりなさい

 昨年六月の民主党々首選に於いて、仙谷由人岡田克也、或いは、渡部恒三とともに、対立候補となる小澤一郎氏に対する、所謂、検察庁から故意に浴びせ掛けられていたネガティブ キャンペーンを借用しては支持者を洗脳、逆に、あれほど強く其れも熱烈に菅直人を声援しては支持票を集めまくり、結果、僅差で菅直人を勝利させ、自らはその後を期して菅直人内閣の外務大臣に就いた前原誠司、勿論、同じ論功行賞として、仙石由人は内閣官房長官のポスト、岡田克也は党の要となる幹事長ポストに就くのだが、此の一年間の彼等に拠る国家社会の舵取りの成果はと云えば何一つ無く、見ての通りの蛇行と停止の繰り返しが在ったのみ、基より、東日本大震災に因る未曾有の大惨事があり、また、在ってもならない人災に因る、其れも、途方もない時間と金の掛かる原発事故が、当該菅直人内閣の下で惹き起こされてもいるのだが、今、其の菅直人を熱烈に支持しながらも、異国人からの政治献金受領が露見して大臣職を辞し一議員となった前原誠司が、反菅直人の旗を掲げ精力的に菅降ろしに動き、あまつさえ、前総理の鳩山由紀夫氏に対して懇願、菅直人降ろしの一員として官邸にともに乗り込むよう説得に動いたとは、世も変われば変わるもの、換言すれば、人を見る晴眼が彼前原誠司には備わっていなかったとの証左にはなる。

 勿論、前原誠司に対する当欄に拠る批判の開始は、あの世界を駄目にしたシオニストユダヤ系大財閥資本家群の政治的前衛であり、詐欺ペテンを以ってする稀代の政治的寝業師とでも云うべきDr.キッシンジャーをして、政治的師として仰ぎ、且つ、政治活動の範としたいと語った時から始まったものだが、批判を不動のものにしたのが、件の事件、即ち、千葉県選出の元議員であった永田寿康君の自殺の記事が引き鉄としたのである。今は獄中に繋がれた堀江貴文君の偽メール事件に嵌められて議員を引責辞職し、次回に期するでもなく彷徨い続け、精神的ダメージ(うつ病)の発症から家庭もバラバラとなり崩壊、親元に戻った挙句の果てに世を儚み、不惑の歳を目前にして自らの命を絶ったのである。

 正義心が特に旺盛で潤沢なる政治資金にも恵まれ、裏表の社会経験と知識を蓄え判断力と創造力すら培えば、紛う事なく民主党を牽引する一人として順調に育っていた筈のものが、兄貴分として慕っていた党首の前原誠司からは、手の差し伸べどころか、疫病神扱いをされ、余儀なくされた党首からの降格を故人の政治的不始末の所為とすらされたのである。ともに未熟と云えば其れ迄だが、少なくとも前原誠司は、何れは国政を牽引しようかと思っていたであろう人物、左すれば、能ある人物を育てるのも一つの役目、失敗したとは云え謀の為せる業、其れにも気付かずに見離し、故永田寿康君をして使い捨ての様に取り扱った前原誠司の指導者資格はゼロ、資質にすら疑義を生ぜしめたのである。

 其の前原誠司が、在ろうことか反感を抱き続けていた前首相鳩山由紀夫氏に近づき、菅直人降ろしに協力して欲しいとはいったいどういう事なのか、不思議でならないのである。勿論、鳩山由紀夫氏からは丁重に断られたとの事だが、一言いわせて貰えば、現に行政府を掌握する菅直人の、ダッチロール政治と云うべきか、其れとも、アナーキスト的独裁為政とでも云うべきかは知らぬが、元来が、社会正義の顕現何一つとして為し得ぬのが失政を続ける菅直人の政治活動の根源に在るもの、政権掌握した途端にあの日本を駄目にした藤原一族末裔の足許に跪き、一小市民の事大主義者に成り下がった菅直人を、条理を以って引き摺り下ろすには、菅直人に因る社会正義の不顕現を立証しなければ、とうてい成し得る由もないのである。即ち、首相経験者である鳩山由紀夫氏の力を借りたり、党の重鎮でもある渡部恒三氏のメディアアッピール力を借り、ともに官邸に乗り込んで辞任を迫ったにせよ、菅直人をして同意させる事など出来る筈がないのである。

 左すれば、どうしなければならないかは言わずと知れた事、社会正義の顕現をこそ前原誠司は為さねばならずのもの、即ち、あの日本を駄目にした藤原一族の末裔が差配する第三帝国官僚政府、並びに、其の配下に在るマスメディア群に因って包囲され、冤罪/でっち上げ事件を、二重三重に仕掛けられている小澤一郎氏と其の陣営に対する不条理の罠と其の存在を、斯かるマスメディアを通じて公言するしか術は無きもの、菅直人や其の背後で糸を引く不条理人にとっては、最も忌み嫌うべき存在でもある小澤一郎氏の不条理からの解放と、表舞台への登場こそが唯一の手段、此れ以外にアナーキストを追放し、日本国家社会を条理に再生させる手段は略皆無なのである。

 前原誠司は、不条理の実体をこそ掴むべし。