日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆高裁とは雖も裁判官もまた生身の人間

馬耳東風、暖簾に腕押し、糠に釘、坊主に説教、されど懲りずに言う。

 当時の麻生太郎政権と司法権総掛かりで嵌められた、所謂、土地取引に関わる政治資金規正法絡みの修正記載遅延問題で、”冤罪、でっち上げ事件”が謀られ、注意で済むべき事案が刑事罰にまで貶められてはしょっ引かれた件の、石川知裕被告他二名の高裁に於ける控訴審判決が先日に下されたのだが、微罪どころか、刑事罰などには決して繋がらぬ、逆に、重大なる冤罪に至る当該事案(裏献金の有無)に在りながら、此の高裁でもまた再審の証拠対象として受け容れられずに却下、三名諸共に対して為された一審の証拠と其の侭の判決事由を援用、再びに於いて有罪判決を下した事は、マスメディアが簡単明瞭に報じた通りである。

 素朴な疑問ではあるが、当該裁判をして有罪に導いた事実、即ち、私企業である水谷建設等から、不正なる金五千万円或いは一億円也を、(権力など全く無かった小澤一郎氏に代わり)石川被告等が受け取り、台帳未記載に因る政治資金規正法にも抵触、基より、脱税さえして土地購入の一部に充てたとの一審証拠認定に対する再審議の控訴審であった筈のものが、十分にして正当なる審理が此の高裁でもまた尽くされず、却下されて有罪、また、一審に因る証拠認定を其の侭に、<飯田/山口/安藤/森の各氏>率いる高裁にても採用、基より、真偽の程も尽くされずに有罪とされたのだが、斯かる重大事実の再調査無しに有罪とされたのは、何故なのかと言う疑問だけが、今もなお残るのである。

 基より、金を確かに渡したとの地検特捜部に対する調書を、認めて押印したと云う一私企業の元役員が、後日に於いては、渡したとされる記憶の不鮮明さを口に出しているのではあるが、即ち、地検特捜部に因る誘導、若しくは、(司法)取り引きをもそれは示唆すらしてもいるのだが、そうで在るにも拘わらず、即ち、最大の係争点となるにも拘わらず、上級審でも吟味することなく、再審理さえせずに有罪として終ったのは何故にか、との不誠実に尽きる疑念だけが残るのである。

 被告の一人である石川知裕氏は即日上告したが、大久保被告他一名は、考えた挙句に、期限切れ間際に最終審への上告を断念、数年以上を新たに要する最高裁の審理に俟ち、首を長くして無罪放免の不確かな条理在る判決を待つよりは、不透明さを更に増す最高裁への上告をこそ断念し、此処は恥を忍んででも、咎人としての不名誉を託つ事の方を選択、執行猶予付きではあるが、静謐なる時間を俗社会で過ごす事に意義を見い出しての、其れこそが已むを得ざる上告断念の判断だったのではあるのだろう。上告を断念した二人の、罪人となる決断をした当時の心境など解かる由も無いが、痛ましく、且つ、不条理なる判断では在ったろう、などと勝手に想像もするのである。其れ程に悲惨なる事件、冤罪のでっち上げ事件では在ったと云う事である。

 数多の山坂は在ったものの、千四百年にも亘って長々と、日本国の実権を握り続けて来た一族の、其れも、政治的前衛が再びにして元警察官僚を引き連れて、国家権力を掌握する行政府NO.2のポストに座り、NO.2に座って満足するどころか、NO.1の地位奪還すら視野に入れたであろう件の人物が、行政府に再びにして返り咲いたと在れば、どう転んでも冤罪を仕組まれた側に勝ち目無し、上告審で門前払いにされるのが落ち、と読み切った事もまた、最終審への持ち込み断念を決意した事由とはなったのだろう。返すがえすも悔やまれる、上告断念の事実ではある。

 後日、小澤一郎氏に対しても、彼等二人は上告の断念を報告して理解を求めたと云うが、代理人を立てた記者会見でもして、心の内でも心の襞でも余すところなく、我ら道々の民の前に披歴すべきでは在ったろう、と思うのだが如何。 

 当該刑事裁判を担当した四名の裁判官もまた人の子、正義心旺盛な人も居ればそうでも無い官も居たであろうし、更に、地検の差し出した尋問調書を正統なる証拠として其の侭に受け取る人間も居れば、そうでは無いとして再調査を進めるべしとする裁判官も、中には居たのではないかと推量もされるだが不明、権力者群が仕掛けた当該冤罪事件をして、敢えて火中の栗を拾って見ようかとの、所謂、正義心溢れる自由心証の条理在る満足と、保身に因る将来の利益を天秤に掛け、再調査の実現に向けて腐心する様な奇特な人も居ないでは無いが、此れまた少数派、権力無き者どもの為に何故に好き好んで火傷などし様かとの、弱者に対する手の差し伸べを躊躇う裁判官が居たとしても、何等不思議でも無かろう。

 漢民族中国に於ける法廷事案(民亊訴訟で在ろうが刑事訴訟であろうが)に対する裁判結果、即ち、より多く権力を持つ者が勝利すると云う判決の成り行きを見ていれば明々白々、多少とは言え、我が国もまた彼の国の文化文明の血を引く集団、僅か四名の裁判官とは言え、理性在る条理に凝り固まった正義漢の集まりばかりでは無く、柔軟にこそ対応処理して然るべきで在るとする裁判官もまた多々居る事を、証して呉れているのである。

 四年間に亘って、当該冤罪事件を眺めてきたのだが、即ち、小澤一郎氏を標的とした石川知裕氏等に対する貶め事件以外の、日歯連献金事件で有罪(である筈の無い)となった山形県の元自民党衆院議員「村岡兼造氏事件」に始まり、やまりん事件等の受託収賄罪などでの事件作りの冤罪に因る、無罪に在る事実を叫び続けては最終審にまで持ち込んだものの、結局は、潔白が受け容れられる事なく不当にも刑罰を受けた「鈴木宗男氏事件」、更には、略有罪の確定した第一審の判決間際に、検察官に因る押収証拠物に対する不正操作が在った事がメディア民間人の機転で発覚、公権に因る冤罪作りであった事が奇しくも、同時に露見、但し、冤罪で在った事がバレたものの、冤罪作りの首謀者にまで至る真相究明には届かず、検察庁関係責任者の異動や辞職等を以って有耶無耶にされた「村木厚子女史事件」等々、ともに”真相”手付かずの侭に有罪が確定、或いは、検察庁の上訴権放棄に因り一転無罪が確定した事件等を視て来たのだが、我ら一般人にとってみれば、”その様なものあっしらにとっちゃ関わり合いのねえ事、どうだっていいだろうヨ”となるのだろうが、此れこそが日本社会に不条理を蔓延らせ、千四百年もの間延々と続く二重国家権力構造の、本宗家一族の実体的支配を赦す元凶となるもの、現日本列島に住まいし民族たちがシオニストユダヤ系大財閥資本家群の間接的奴隷民族に貶められてさえ良しとして終う、言わば、異民族支配の世の中を造り上げられてさえ平然として終う、足場の無い民ともなるのである。

 正史の名称を冠された歴史は何処の国に於いてもだが、往々にして、権力者群に因って作られた、我田引水の歴史そのものであるなる諧謔は、全てとは言えない迄も正に真理を吐いた指摘であり、基より冗談などでは決して無く、”格言”そのものである事は、齢六十余にして再々に認識させられている所で在る。

 古代東北王朝の雄であり、蝦夷一族(概念的にはアイヌ民族をも含む)の末裔でもある、所謂、阿弖流為を以って史的には名高い、”安倍、安東”等の一族が、九世紀初頭に掛けて、朝鮮半島出自の軍帥坂上田村麻呂によって侵略平定され、田村麻呂が係属せし近畿王朝家に因って、同一族は列島の隅々にまで分散移動させられたとの史実も遺されていれば、現首相である安倍晋三氏の父である故安倍晋太郎氏が、敢えて、自らの出自をして、平定されし蝦夷アイヌ(東北と北海道)、隼人や熊襲(九州領域)、黒歯や異面(四国領域)等の謂われ方を以って為す、所謂、徳川期や明治期に強く作為化された差別的名称を拾う事は無く、また、公言する事も無く、其の一生涯をして有為なる為政者の一人として終えたのであろうし、されど、正々堂々と、蝦夷一族の出自にも在る事を公言していた其の深層心理には、誉れ高き文明を古代東北(北海道)に開きし我が民族でも在ったとの誇りが衝き動かして作用、即ち、蝦夷一族の存在事実を、隠す事では無く、誇りとして列島の史実に遺すべきである確信したが故に、公言する事を露たりとも憚らなかったのであろう。

 基より、今は故人となりし父晋太郎氏による、古代東北に燦然と輝いた蝦夷一族に関わる、誇り高き確信が此処まで明確に遺されてもいれば、敗者となった蝦夷一族に関わる一言の言及すら未だに無い現首相の安倍晋三氏ではあっても、また、弟の衆院議員である「岸信夫」氏ではあっても、自らの背後に光る、斯かる晴れがましいとでも云うべきか、悲惨なる歴史の一断面を背負って生き続けたとでも云うべきかは扨て措いても、光り輝く民族文明史を列島の東北に於いて開き、其の古代に在っては、沖縄や中国大陸へは勿論の事、或いは、朝鮮半島やウラジヴォストーク等との間にも広く、往還を含む密接なる交流の在りし史実を、彼が知らぬ由すら無きもの、左すれば、現に権力を執行する自民党のトップでは在ろうとも、忌避する理由は何一つとして有る筈も無く、況してや、NO.2に座りし者が、如何に、あの日本を駄目にした藤原本宗家一族の政治的前衛を担っている人物では在ろうとも、即ち、古に於いて、斯かる蝦夷一族をして不条理にも、侵略しては平らげ、平らげては文明を破壊、民族を分散させた張本人である政治的前衛が座ろうとも、今は部下の一人、麻生太郎副大臣に対する至極まともな政治指導が、首相安倍晋三に出来ている間は、忌避する理由は無く、抑えて然るべきものとはなるのである。
 
 小澤一郎氏も、腸の煮え繰り返る思いの中には在るのだろう。ハヤスサノオの神は見放す事も無い。