日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆荒れに荒れる米国大統領選、日本への影響も

 十一月八日投票と差し迫った米国大統領選、如何に、何でも有りの米国選挙戦とは言え、脳梗塞再発の惧れや肺炎等の既往症が俄かに取り沙汰され始めた民主党候補のH.クリントン女史をして、気力体力ともに充実を必要とする大統領には相応しからずの人物であると、憎々し気に髪振り乱し、白目を剥いては断罪、H.クリントン女史の、斯かる政治的傷口に更なる塩を擦り込んではもんどり打たせて貶め様とする、対立候補たるD.トランプの選挙手法は、公平に見てさえ実に卑劣なる手法と言うもので、我等日本民族の、戦う相手をして思い遣るのを常とする、社会文化とでも言うべきか精神文化とでも言うべきかに在っては、戦う相手が如何に嫌な人物では在ろうとも、身体的乃至は相手の精神的欠陥や弱点をして露骨に攻め入る事などせず、況してや、罵りを以って、戦う相手の傷口や弱点を暴露する事など何一つとしてなく、粛々と、己の目指す政治政策を掲げては、己の支持のみを訴え続けるだけに止めるだけ、斯かる日本民族の慮りを採り入れた手法とは全く異なるもので、相容れずのものではある様だ。基より、日本文化に在っては、選挙後に於ける「ノーサイド!」へと移行する、所謂、相互称賛と停戦引き下がりが有るが、相手の息の根の止めすら是とする、結果、黒白の何れかを好む合衆国戦闘文化では「ノーサイド!」など決して認められずのもの、況してや、お互いをして称え合う事など万に一つも無く、在ったとしても其れは外来文化の受け売りにしか過ぎないのである。

 基より、其れは、日本民族で在ればの為し得る業と言うもので、文化も違えば文明も異なる米国での”殺すか殺されるか”の遣り方であって手法、人種の坩堝たる国家米国に身を投じてから今日迄に至る、所謂、何世代に跨る彼D.トランプ共和党候補であるか迄は調べ上げても居ないが、見ての通り、大統領選で戦う相手の、肉体的且つ精神的弱点や欠点を見付ければ早速に、マスメディア同様に急ぎ駆け付け、傷口や弱点を少しでも暴こうとする其の見苦しき露骨さには閉口するだけ、基より、H.クリントン女史とD.トランプ両候補の身体的立場が逆の立場に措かれもすれば、H.クリントン女史はD.トランプ候補をして腐し、塩を以って相手の傷口に擦り込む事など、絶対に無いのかを問われれば、此れまた否定こそ出来ずのもの、選挙参謀次第では遣らないとも限らずに在る以上、現状、D.トランプ候補の浅ましき政治手法をして、一概に否定し得ずのものとはなるのだが、其れでも尚、D.トランプ候補の遣り方に共鳴を以って応えるなど到底不能なるもの、基より、精神的不具者の疑い高きトランプ候補に対する、共感や同意等示し得る由すら無いのである。

 シオニストユダヤ系大財閥資本家群が実体的に差配するアメリカ合衆国の事、よしんば、肉体的病者である人物が大統領職に就任し様とも、或いはまた、精神的疾患者が大統領職に就こうとも、アメリカ合衆国が進むべき政治的ベクトルに関しては、大統領に対する指針が明示されては与えられしものであって、大統領自身が、進むべき進路を策定しては決断したり、連邦議会に諮り、法制化を成し遂げる等は、実体として有り得ぬものにある以上、即ち、合衆国大統領の枢要部分に於ける職務や責務はと言えば、与えられしシナリオ通りの役割を完璧に遣って退ける技量が問われるだけに在る以上、何も難しい事では無く、勿論、或る程度の理解力を携えた大統領で在れば、手渡されしシナリオに、付け加えや修正をこそして見せる事はまゝあるが、シナリオが描く政策(法案)の本質は不変に措くもの、大勢に於いて国家政策が変わる事も無いのである。

 諸準備期間を含めれば略一年以上と言う長期に亘る期間を、其れこそ休む間も無く選挙戦に明け暮れては費やし、全米各地を駆け巡って来たH.クリントン女史、勿論、同女史よりは一歳年上のD.トランプ候補もまた同じ立場には在り、疲れているのは夫々に同じであり、だから、精神的疾患者よりは、普通の病で倒れた方を称賛、賛美されて然るべきだ等と言っている訳では無く、”古希”をして目前に控えたH.クリントン女史には、相応の休養もまた必要である事が判っただけでも米国市民にとってはプラスとなるものと言いたいだけ、巷では、既往症の判明や疲れでの足許のふら付きを見て、大統領の激務には到底堪え得ないだろうとの判断に傾く者が多いとされている様だが、そうでは無く、精神的疾患者に大統領の職権を付与し、且つ、米軍最高司令官の任務を与える事の方にこそ、最大限のリスクを与えるものと理解すべきで、基より、共和党の候補たるD.トランプは、選挙期間中、ロシア連邦大統領に秋波をおくり、合衆国大統領に当選せし暁には、ウラジミール プーチン大統領とは是々非々で上手く遣って見せるとは言って見せるが、H.クリントン女史より早めに、対ロシア連邦殲滅作戦に打って出ないとも限らずのもの、其れだけの不安定さを、己の精神に抱え込んでいるD.トランプ候補と言う事にはなる。

 相手の欠点や弱点をあげつらい、在ろう事か、ある事ない事、即ち、事実であろうと無かろうと徹底的に相手候補を腐し続け、TVや新聞、SNS等のメディア媒体を借りては徹底的に扱き下ろす様は醜くも在ろうと云うもので、アメリカ合衆国ならではの醜悪なる選挙文化と理解したい所だが、実態こそ未だ成熟途上に在るのかさえ不明のもの、即ち、余りにも酷いデマゴークの吐き捨てであって、名誉棄損で相手候補を訴え出るとか、既に、訴え出たであるとか、はたまた、此れから訴訟準備を為している段階に有る等の話しは、未だ耳に入っても来ていないので、唯々、此の酷い罵声の浴びせ掛けが延々と続くのか、今次の選挙戦で須らくが終わり、次回からは改められるのかは判らないだけのもの、換言すれば、此れ程に原始的で、また、野蛮にする選挙手法を正々堂々と採る国家は、世界広しと言えどもアメリカ合衆国を遺すのみ、基より、合衆国建国以来修正された事のない選挙手法を、未だに、良しとしては踏襲し続け、且つ、其れで十分とする米国で在れば、醜悪さもまた已む無しとする所、選挙戦に関する米国の文化は、現状に見られる、敵失のみを誘う何でも有りの、所謂、理性も働かず条理も停滞せし侭に措かれて是とすれば、何れは早晩、比国ドゥテルテ政権が現に表し示すのと同様の、法は在っても従わず、律があっても守られずの、謂わば、「力」のみが事実として幅を利かす原始国家へと、確実に、アメリカ合衆国もまた後退を見て行くのであろう。

 私用携帯を用いて公文の遣り取りが落着を見たかと思えば、今度は、脳梗塞等に関わる完治を見たと言う事が、俄かに疑問視され始めたH.クリントン女史と、不法行為や不正塗れの過去がチラホラと漏れ伝わり、言葉と行動には大きな乖離さえ在ると囁かれ始めた、マフィア社会との間にも抜き差しならぬ関係が取り沙汰されているD.トランプ候補、両氏の何れが合衆国第45代大統領に選出されるかは、H.クリントン女史の体調不良が素で、俄かに混戦の様相を呈し始めているとも言われているが、大統領選まで余すところ二ヶ月足らずの決戦間近にも在れば、大統領就任式を迎える2017年には、古希を迎える同女史の指名せし副大統領候補にも目を向けて措くべきが、合衆国大統領を選択する米国市民の義務では在るのだろう。民主党の米上院議員であるTim Kaine(58)をして副大統領候補に選んだH.クリントン女史、即ち、同じ法曹界出身人物とは言え、中々にして”遣れ”そうにも見えるケーン氏を副大統領候補に選んだ彼女、一方、共和党候補であるD.トランプが指名した、単細胞で奥行きが無く力頼みの副大統領候補とは異なる、民主党候補は柔和なる政治家にも見えれば、完全治癒や、体調不良が疑われているクリントン女史が、W.H入りを決め、早期辞職を余儀なくされた場合でも、国家運営は健全且つ停滞無しに回るもの、心配無用とする所である。

 選挙戦まで残り二ヶ月を切りながら、未だハッキリとした勝敗の形勢を示していないアメリカ合衆国大統領選挙、相手候補の傷口に塩を擦り込む事しか考えていない、劣勢に立たされていると言われていたD.トランプ候補だが、此処に来て、病体に在る事が懸念されているとの情報に助けられ、投票二ヶ月前の支持率が数パーセントの差にまで縮小、盛り返しを図って来たと言われ始めた其の直後には、己に関わるル―モアが流出、即ち、NY州の一等地に豪華ホテルを建設中であったトランプホテルは、遂に開業の運びとなり、邦貨換算、一泊九万円から一千万円と言う超豪華ホテルを店開きしたとのニュースに対するクリントン陣営に因るコメントは、斯かるトランプ候補の経営する<超高級ホテル>は、庶民をして受け入れずに措く富裕層を相手にしたモノで、中流層以下の人々は一切相手にしない排他的ホテルとなるもの、まさに、トランプ候補の言動と行動には明らかに齟齬と虚言が付き纏っていると指摘、合衆国市民意識とは大きくかけ離れた、言わば、ペテン師の領域に彼”トランプ”は在るのであると、言いたい放題のクリントン陣営もまた見て取れるのである。

 他所の国の事、どちらが大統領に就任しても構わず、良いではないかと言われそうだが、左にあらず、日本にとって、何れの候補がより好ましい存在となるか否かが決まろうとすれば、放置などふのうなるもの、即ち、安倍晋三の様な、所謂、合衆国命の傀儡子政権にとっては、クリントン、トランプ両候補の何れが第45代大統領に就任しても、指示通りに動くだけで在れば、民主党候補のクリントンであろうが共和党候補のトランプであろうが、どちらでも良さそうなものだが、安倍晋三自民党員、乃至は、公明党員にとっては是とすらしても、日本民族にとってはそうはならずのもの、D.トランプが大統領職に就いた場合、安保法制に直々に絡む、所謂、米軍駐留経費の全て、乃至、寄港地や離発着地を日本国に置く米軍関連経費の全負担を強いられる事と相成り、更には、<TPP>の取り消しに米議会を走らせるどころか、対日関税政策の付設と言う狂気的対日バリヤーの構築すら推し進め、欧英友好政策に加えてロシア連邦を含む、所謂、D.トランプ政権を以って新たなる、「白人至上主義」国家社会創りが始められる可能性無しとせずにも在れば、日本民族一億総奴隷化に向けての加速化は、倍加を向かえる事と相成るもの、基より、「東京オリンピック」どころの騒ぎでは無くなるのである。

 一方、病体に措かれているのではないかと疑われ、政治的弱点の様相すら呈し始めてもいるH.クリントン女史が、大勢の危惧を覆して大統領職に就けば、ロシア連邦の平定とシベリア領土の領有支配、並びに、スラヴ民族の大量浄化を決行して最終章とする件の、シオニストユダヤ系大財閥資本家群策定下に成る世界支配化戦略と其の成就は、所期目論見通り、迂遠にして、且つ、遅々としてでも推し進められ様としているもの、即ち、日本民族にとっての民族浄化は早まる事こそ無いものの、安倍晋三政権、乃至、新たなる傀儡子政権へのバトンタッチだけは巧妙にして続けられ様と言うもの、即ち、漢民族中国の下で動く足軽要員化を近い将来に於いて俟つのみ、と云う事にはなるだけである。

 左すれば、何れ不条理を託つ命運に措かれる日本民族にとって、上記何れが望ましい大統領になるのかと言えば、二人ともにノー、日本民族一億総奴隷化と被誘導への道に、所謂、断念と云う区切りを付けて呉れるのは、H.クリントン女史でもなければD.トランプにも非ずのもの、即ち、シオニストユダヤ系大財閥資本家群がこの世から消え去ること以外に、条理在る道への舞い戻りは不可能となるもの、基より、傀儡子宰相たる安倍晋三が退陣したにせよ、完璧に、日本民族は独自の理性在る判断が取り戻し得るかと言えば、此れもまた無理ヘンに駄目と書く様なもの、大政党の自民党には傀儡子要員は廃れる事すら無いからである。