日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆地方自治全体の改廃を含めた組織見直しが肝要

 「赤信号みんなで渡れば恐くない!?」なる逆説的比喩のフレーズは、今もなお様々なる権力(人間界)行動に当て嵌められては蔑まれ、或いは、揶揄され続け、代読し流用されてもいるのだが、斯かる言葉の用いに隠されてもいた虚偽や隠蔽の事実、或いは、不正や不法を認識する作為や不作為の事実が、為す術なく白日の下に晒し出されもすれば、何と知性的ギャップの著しい、正邪の明確なる不法行為をしでかした族ではあるわいと、つくづくにして感心、此れが、我ら道々の上に立っては理性在る条理を説き、場面に因っては、裁判官や行政官さえ仕置き可能なる権力を与えられしあの議員達のする事か、との嘆息すら引き出して見せる始末の悪さには在る。

 国会議員のみならず、其れは地方議員(都道府県や市町村にまで至る)にも当て嵌まろうと言うもの、残念ではあるが事実と言うもので否定し様はまったく無きもの、記者団に因る件の、政務活動費の不正疑惑追及の記者会見で、泣きじゃくる弁明と憐れみを乞う姿勢を以って為す迫真の演技を(視聴者に)遣って見せながら、其のあまりにも馬鹿々々しい素振りの表現手法と内容の滑稽さに、つい、二歳に満たない孫娘までが、彼野々村竜太郎兵庫県議(当時)の、ワーワーキャアキャアを以って為す身振り手振りを交えし記者会見を観て、キャッ!キャッ!、ハ!ハ!ハ!と、面白がった様子だとの報告すら入った事を、今にしてもなお鮮明に思い出しもするのである。

 何処どこの誰だれの不祥事が、民事/刑事的にも片付いたと思ったら、今度は富山県市議会で勃発、勿論、政務活動費等に関わる不正受給に対する問題なのだが、不正疑惑の追及に抗し切れずにゲロ、出て来るわ出て来るわ、其れこそ、殺虫剤を掛けられた時のゴキブリの様にバタバタと、短期間に9名もの議員辞職届が出て来たかと思えば、富山県議会にまで斯かる流行病が飛び火し、3名(?)の県会議員迄が、わたしも政務活動費の不正会計に手を染め、県民の税を横領した事を告白、県会議員を辞したとの事である。此の数週間を以って、斯かる9名の市議や県議の辞職を招来した富山県、潔い議員を多く抱える富山県であると言うべきか、其れとも、セコク、且つ、チンケな、人間のみしか議会に登壇する者が居ない富山県の実状で在る、との言われ方の何れが正しいかは判らぬが、恐らくは前者では在るのだろうが、市議会の9名や、県議3名を含む12名の、少数の議員辞職を以って、一切合切の不正行為が此れで綺麗サッパリと無くなり、片付くのかと言えば、ノー、「日本共産党」や「社民党」、或いは、「生活の党と山本太郎とその仲間たち」など政党の一部を除けば、推定有罪に有る夥しい数の不正行為は芬々と臭うもの、此れで終わるものでは無く、基より、南は沖縄から北は北海道に至る、日本全国の議会にまで手を広げて調査すれば、其れこそ47都道府県の須らくが不法不正浸しで在ろうし、横領紛いの、其れこそが不実記載領収証で溢れ返っている事では在るのだろう。

 ただじっとして過ぎ去る批判の嵐を俟つだけの、セコク、チンケな日本列島の権力者群、基より、「日本共産党」や「社民党」、或いは、「生活の党と山本太郎とそのなかまたち」等の、所謂、潔癖にする少数政党は除外しても良いのであろうが、如何な不祥事の発覚に於いてもそうである様に、政務活動費の不正流用でも他を圧する「自由民主党」は勿論の事、新たな党首の座を射止めた蓮舫新党首率いる「民進党」でさえ、不正流用に手を染めた自民党をして批判出来ぬ”同じ穴の狢”態様にもあれば、与野党第一党である自民党民進党には、日本の政治経済に関わる期待の「き」すら掛けられず終いの情態には在るもの、あと十年、若しくは、二十年かは不明だが、此処暫くは、日本国家社会に社会正義の顕現姿勢は戻らず、期待するだけ無駄と言うもの、実におぞましい社会になって終ったものである。

 基より、傀儡子宰相政権案に基づく、所謂、自民党総裁任期延長をして是とする党規約改定すら来年度には用意されてもいれば、自由民主党を選択せし40パーセントにも喃々とする日本民族もまた、益々にして、問題解決能力を無くすべくの方向へと、総じて追い遣られのは必定と言うもので、また、権力政党として選ばれる可能性乏しき野党支持者はと言えば、自由のみならず労働対価も、益々にして狭められて気が滅入るだけ、其れこそ7年前には、異才なる政治家とでもいうべき、鳩山由紀夫/小澤一郎両氏が率いる「民主党」を、日本民族の大方が選んだ時の様な、言わば、地鳴りのするが如き、時の権力者(自民党)の一挙にする自民党の崩落音を聞き、稀有にして手に入れし権力だったのも束の間、下野せし立法府の少数の徒となった元与党の策略を看過して終ったり、或いは、権力を錯覚する余り、内紛を起こしては僅か3年足らずで政権を返上、国民の審判に因って再び、定位置とでも言うべき野党の席次へと押し戻された愚昧なる権力者(菅直人野田佳彦の二名)を登壇させし民主党(現民進党)、理性的条理在る国民にとって、傀儡子宰相安倍晋三の長期政権の敷設では、日本国家国民の体力や資産は永らくは持たず、早晩にして食い潰す筈とは薄々気付いていても、中々にして動けず金縛り状態に措かれてはいるのだろう。

 政治活動とは直接関わりの無い茶菓代の領収証¥ 4,000に、4を手書きで付け足しては、¥44,000の政務活動費として都道府県や市町村の会計へと請求、税金の猫糞どころか横領まで決め込んだ富山県の市議達。正直さを以って職を辞すれば良いって言うものでは無く、列記とした其れこそが犯罪ですら在れば、官憲に頼んで訴追して貰い、然るべくの罪の償いをこそすべきが、権力を行使する政治家としての筋道と言うものである。

 とても一人では怖くて、手を挙げて名乗り出たり、不正を認めたりする事など出来ない。偶々、市議会議長に因る不正の露呈と認めが同時期に為され、更に、アイツもコイツもが、議長の不祥事の認めをみて観念し、陸続として不正に手を染めた事をゲロ、議員辞職届を為し始めたのを間近に見れば、同じ質の悪さを以って不正会計処理をしている後ろめたさの在る「自分」にも、何れは、メディアや市民団体に因る不正追及の嵐が時間を措かずに吹き荒び、結局は逃れる事などかなわぬものと観念したのが、議長の不正の認めと議員辞職届を間近に見た、総計8名の彼等議員たち、と言う事にはなるのだろう。勿論、此れで、市議会に於ける須らくの不正行為がキレイサッパリに掃き清められ、更に、新たな市議会選挙を介して、人身一新を図られ、富山市議会にも条理が取り戻されるのであろうと見たい所だが、欲深き人間どもの遣る事、”絶対”に、真っ新なる罪無き「富山市議会」に改まる事など在る由も無く、何れは、福禍は糾える縄の如し、禍の継続も無ければ福の招来と其の継続もまた、同市議会には無いと言う事にもなる。

 本来であればブタ箱入りして当然の、不正会計に手を染めた市議会議員達。不正に手を染める其の根っ子に在るのが、議員報酬が余りにも低過ぎるからで在ると、早速にして、議員報酬改定に向かう地方自治体も在るのだが、報酬改定を目指す其の多くでは、市民に対する報酬改定の説得材料として掲げて云うには、月額60万円の報酬では生活費まで捻出できずに赤字(赤字)の連続、政務活動費に手を付けたくなろうと言うもので悪気など無かりしもの、だから月額70万円に議員報酬を引き上げるのは当然の事で、高々10万円程度のこと大した問題では無いと宣うのだが、満足いく生活費獲得の為に、議員と言う「職」を選択する等はもっての他である事を、先ずは認識すべし、よしんば、金儲けをしたいのであれば、他の職業を探して就くべきが筋と言うもの、議員等は、基本的にはボランティア活動に在る事を自負すべきであって、労働対価(報酬)を得る為の一職業である等と、勘違いしてもならないのである。

 即ち、地方自治体の財政に余力が在れば話しは別だが、余力など一つとして無く、況してや、地方自治体の末端(市町村)でさえ借金経営を是として年次予算を組むのを当然としている昨今、其れこそ、国政や都道府県行政の力で行革を断行、制度改革を大胆に推し進めるべき秋では在るのだろう。勿論、大袈裟に時節を捉えれば、国の法理念をも見直す時期に日本国は至ってもいる、と言う事なのだろう。基より、相当の時間は必要とする。十年、、十五年、いやっ二十年、、、。