日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆過ちの訪米を実施した人物、やはり疫病神ではあったか

 同邦人に対してで在ろうと異邦人に対してであろうと、はたまた、自国の権力者に対してで在ろうと非権力者に対してであろうとも、直接的、乃至間接的にせよ、長時間にして、彼等が表し示す一人間としての言動や行動を見聞、何かしらの印象を積み重ねたりもすれば、己と比しての価値分析は扨て措いても、彼等に関する長所や短所を挙げる様に求められれば、熟慮の上に、複数点は並べ立てられるであろう当該二項目への分類、其れこそが二八蕎麦ならぬ、二分の長所に対する八分の短所指摘を以って表されるだけ、残念乍ら、短所や欠点をして長所や美点を上回る事は殆んど無きもの、何処の国や如何なる人物に対してで在ろうとも同じ傾向を辿って示されるもので、基より、長短の何れかに移動する比率こそ変わろうとも、結果として、思案吟味されては選ばれし”長所”の数が、吟味される事無く出て来る”短所”の数を上回る事だけは決して無いと云う事には尽きるだけなのである。勿論、短所、乃至は長所として表される個々の項目もまた、重大性、緊急性に於いては、短所が指し示す事象を否定し、且つ、其れを上回るだけの価値は、長所とされて掲げられる項目の何れにも与えられる事は無きもの、となるだけなのである。恐ろしい哉、此れが権力を握る人物に対する評価実体ではある。

 今、韓国に於いて、未確認でこそ在るが、パククネ大統領に関わる国家反逆罪とでも言うべき数々の不正事案が表面化、パククネ大統領自身、青瓦台への居住以来、国家権力者として顕すべき長所こそ見せた事も無いが、基より、在任期間中の三年半に於いては、中々にして、己の欠点をも見い出させては来なかったのもまたパククネ大統領自身、其の意味では、短所少なき権力者であるとされるのと同時に、印象薄き人物であり、乃至は、特筆すべき成果も見られぬ、彼女もまた国家権力者の一人でも在ったと、評価されてはいたのだが、此処に来て、急転直下にする内部秘匿情報が流出するに及び、政治的には荒波こそ立たずの、俗に日本社会に云う所の、昼行燈に比肩される様な、或る種、存在感の薄い政権運営を担う人物の一人がパククネ大統領本人ではあったのだが、何の事は無い、着せ替え人形ならぬ、腹話術師が操る、件の口パク人形役を、パククネ大統領自身が演じていたとは、韓国社会に於いても驚きの事態ではあったろうし、また、前代未聞の国家的不祥事でも在ったのだろうが、最も驚くべきは、自らが信奉する、操りの<主>である人物をして、韓国検察庁に囚われては<主>の後ろ盾役に蓋をされ、為に、なす術を無くし、次に為すべき行動指針の頼み事すら出来ずに右往左往し続けると云う、パククネ大統領の現状にも在れば、今大統領自身に出来るのは、唯一、任期中の大統領が有するであろう不逮捕特権を行使して為す作為的にする押し黙りと、国家予算編成と其の執行に向けての動きが在るだけ、基より、何処まで国会議員に対し、大統領としての意が通じて適うかは未知数、況してや、前例すら無き数多の、此処までに露見するどす黒いパククネ政権の手になる不法行為が掲げられれば、大統領特権こそ在ろうとも、行使するのは殆ど無理と言うもの、いやっ、無理と見たい所、自発的に大統領職を辞すると云う事では無く、議会に拠る、弾劾裁判の設置が為されると云う、最悪なる事態を韓国社会は向かえざるを得ないと云うことでは在る。口に出して言うにはおぞまし過ぎると云う事の様だ。

 貧乏神を背負った侭に居座るパククネ大統領に因る、度重なる訪米に対する入れ知恵、更には、直近に於いて決した、北朝鮮に対する喧嘩腰の檄の飛ばしや新ミサイル防衛網(THAAD)の米国からの早期導入と其の敷設、或いは、其れ以前に遡る、朝鮮人慰安婦問題に対する日本政府との最終的決着とする政府間合意や、乃至は、対日経済関係の強化策を選択せずに、漢民族中国を以って適合せし金持ちの相手とする、自国政治交流の強化を含めた経済交流を尚一層に推し進めた、謂わば、日本国民から見れば、???が大量に付く、所謂、漢民族中国への急激なる接近と、習近平国家主席に拠る頭の撫でられもまた、パククネ大統領が政治的に心酔する<女主>から出た、其々にする行動指針の一節で在ったとすれば極めてゾッとするもの、況してや、指南役として崇拝する一<女主>が、如何なる範囲の人物群にまで広めていた、パククネ大統領に因る解の求めに在ったかを想像すれば、我が日本民族北朝鮮民族とともに独立し、一国を建国し乍らも、同祖同血にも在る韓国民族とは言え、法治主義をして危うくする無法の押し勧めは受け容れられざる行為、異国にとっては危険過ぎて一般的対話すら出来なくなると云う事にも繋がるのである。

 一方、貧乏神を背負った日本国の傀儡子宰相安倍晋三は、夫人ともども政府専用機で17日早朝NYへと飛び、日米安保条約の破棄すら公約の一部とし、TPPの批准はノーとの宣言をする傍らで、日米貿易に関しては、其れこそ、関税の大幅改訂に因る見直しすら米国市民に対して確約して見せた、件の、来年の米国に於いては、紛う事無く<貧乏神と疫病神>を一緒に背負う事となる、D.トランプ次期大統領(但し、正式就任は2017年1月20日の予定)との会談に向けて旅立ったが、恐れずに言えば、現職の大統領であるオバマ氏も現に在住し、また、対立候補として、総合得票数では百万票もの差を付けて圧倒しながら、選挙制度の綾や妙を以って敗退に帰したH.クリントン女史も在住する中で、また、其れより何より、百万票の差を以って、D.トランプ候補にノーを突き付けた、「三億人強」を擁する米国市民が見詰める真っ只中に、手揉み、足摺りでにじり寄る日本の傀儡子宰相安倍晋三の映像を追う彼等の脳裏に、どの様に焼き付くかが問題とはなる所、D.トランプに与える好感度を期する印象も重要では在ろうが、主役は米国民でも在る事を無視した宰相安倍晋三、米国市民をして”軽いっ!”と言わしめるであろう事は疑いを入れない。

 米国と云う不条理国に因る、恒例のとでも言うべき*上納金の巻き上げが為されたばかりの国へ、恐らくは、己の措かれている地位と立場が其の様にさせるのであろう、一人の手下よろしく、出所間際の、未だ見ぬ雇い主の顔を拝むべくにのこのこと出掛けては自己満足、真っ先に面通しが叶ったと、中身などは扨て措いて欣喜雀躍する、貧乏神を背にしては浮かれる傀儡子宰相安倍晋三、よしんば、日本民族の一人であれば余りにも迂闊で軽薄にも過ぎる行動と言うもの、況してや、米国内に於ける、今次の大統領選に対する芳しからざる(勝者が敗者の得票総数をして百万人規模で下回ると云う、選挙制度としての欠陥露呈)結果を受けての、少なくは無い民衆に因る、米大陸各地でのデモンストレーションの発生や、全米五十州の中でも特に、どちらかと言えば民主党を支持し続ける温和なる州と目される、カリフォルニア州ポートランド州等に於いては、身の毛も弥立ち、吐き気すらする今次のD.トランプの大統領選勝利で、合衆国からの離脱独立すら真顔で論じ、小規模とは言えないデモが敢行されている中で、敢えて、米国の傀儡子に措かれた安倍晋三とは言え、米国民の殆んどから見れば、彼は紛う事無き”日本国トップに座るエライ人”の筈、其のエライ人が、健全なる米国市民の感情をして逆撫でするかの様に米国へと飛来、ニヤツキと手もみ足摺りでD.トランプに接触する様を見せ付けられれば、過半以上の米国市民並びに民主党、或いは、H.クリントン女史をして支持した共和党議員の何割かは、傀儡子宰相安倍晋三に対しても去る事ながら、彼を以って表象する「日本国」をして、良からぬ心象を植え付けて終った事では在るのだろう。極めて遺憾なる事でもある。

 *米国に於ける、トヨタ自動車に対する、「サビの発生はトヨタ自動車の技術的欠陥、腐食事故の原因となるもの、故に、罰金を支払って和解する様に、、云々」との、司法裁判官に因る和解調停案を受け入れたトヨタ自動車、和解金と言う名の其れは強引なる、米国流”銃の押し付け/ホールドアップ! ”に因る、国家ぐるみの脅迫行為なのだが、即ち、3,400億円にも上る支払い命令(恐喝)と其の合意が、今回もまた為されたばかりの米国に、在るまい事か、ルンルンのニコニコ顔で飛び込んで行く日本国の首相安倍晋三、奇異に映らない方がどうかしていると云うもので、差し詰め、成果有りとして記者会見に臨んだ安倍晋三に、斯かる奇異にして疫病神たる宰相の称号を、是が非でも付与したいものである。毎年々々、兆の桁にも手の届く莫大なる金銭を毟り取られ続ける日本企業、売り込み活動に勤しんで見せる現政権だが、本来に為す政治活動は一つとしてし得ず、況してや、恥じ入る事すらしない安倍政権、と云う事なのだろう。

 羞恥心どころか理性も知性も全く見られないD.トランプ次期大統領に面談、有意義なる会談が為し得たとの我田引水にする記者会見まで遣って退けた傀儡子宰相の安倍晋三、斯かる、勇み足とでも言うべきか、太鼓持ち紛いの行動とでも言うべきかは扨て措いても、D.トランプが次期合衆国大統領に就任する事で、日本国が不利益を被るばかりでは無く、まともに彼の政権公約と向き合えば、過去七十年有余に亘って足掻き続けて来た「米軍占領形態下の日本国」に決着が付き、日本国からの米軍全撤退が実現、日米安保条約も完全廃棄が見られる可能性無きとせずのもの、其れこそ、日本独自の安全保障の構築に拠る、新たなる日本国憲法の制定もまた可能となるもの、況してや、D.トランプの登場で、第三次世界大戦もまた後退する可能性すら益せば、ロシア連邦との間の各交渉事にも光明が射そうと云うもの、悪い事ばかりでは無いのである。

 但し、日本国も韓国も、来年度の米国も、其々の行政上の長が、貧乏神、乃至、疫病神を背後に抱えている長等で在れば、其の神様の性格からして”友好、協調、親睦”等は、残念乍ら無縁で、図られずのもの、基より、貧乏神や疫病神の降りぬ状況からすれば、すれ違いや無視は連綿として続くもの、緊張感だけは連綿として続くのである。