日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆事と次第に因っては、日本国家の真の独立が実現する。

 格段に付く軍事力や経済力の差を以って、押し通す事の不能なる異国軍に対する自国テリトリーからの退出の申し出で、其れを、言えもせず、伝えられもせずに悶々と耐え忍び、七十有余年をして我慢し続けて来た事で、今では、彼の国に従順なる姿勢を示すどころか、言われるが侭に動く傀儡子宰相をすら生み出し、第三国支配者の思い通りの遣りたい放題を続けさせる我が日本国、七十有余年をして漸く、斯かる頚木とでも言うべきか、はたまた、手枷足枷とでも言うべきかは与り知らぬが、上述せし支配国、米国に於ける異端児大統領の登場で、俄かにして支配国たる米国からの解放が、現実味を帯びて来たと云う事にもなるのだろう。基より、米国からの完全にする解放と言う事にはなるが、次期大統領D.トランプに因る、公約としていた感すら窺える檄の飛ばしに関する、大統領選勝利後に於ける全面否定や完全沈黙、乃至は修正発言すら見受けられもすれば、アメリカ合衆国大統領就任後直ちに議会を招集する中で、対日外交に関わる、所謂、日米安保条約の時限立法を付した破棄と其の通告、並びに、米軍(陸、海、空軍並びに海兵隊)の、日本列島全域からの全面撤退と、背広組の完全撤退に関してすら口を閉じ、或いはまた、北朝鮮国の核兵器使用を畏怖するのであれば、米国(軍)が為す、現行無料で保障する核の傘利用の断念をさせ、日本国は独自で核兵器を開発し準備、対抗措置として講じれば良かろうとの、大統領選挙期間中に指摘していた事実もまた撤回に赴く可能性大とする所、但し、完全にする撤回も否定も未だ見せていない現実からすれば、非現実的指摘では在ろうとも、僅かでは在っても可能性すら遺してもいれば、有り得る事態と云えなくは無いもの、其れこそが、日本国家社会の判断に委ねられると言う事にもなるのだが、日本民族に因る戦後初めての、其れこそが、”自主自決”と”独立自尊”を以って為す国家安全保障政策に対する民族の向かうべき道の模索であり、乃至は、実現すべき手法手段ですらあれば、日本民族として選択すべき、新たなる、理性在る条理を以って示される可能性すら、D.トランプ一個人の動き方に因っては、与えられないとは限らない事にもなるのである。

 元大統領ブッシュ政権時代のネオコン群をして、己のブレイン(側用人)群の中核に据え措く傀儡子宰相安倍晋三ですら在れば、アメリカ合衆国に因る日本国支配の経緯を知らぬ、政治的歴史音痴のD.トランプとした侭に据え措くのも一つの手法、基より、日本国憲法を一とする、国家社会法制の整備や、現状に於ける、日本国の社会実態と法制度内容との矛盾する存在の事実、其の須らくの大本には、アメリカ合衆国の日本国戦後政治への最大の関与が在るのだが、斯かる日本国の三権分立の戦後史には全く手を付けぬ様に注意、くれぐれも、其の須らくは、第二次世界大戦末期ともなる中で、アメリカ合衆国が二種類の原子爆弾を日本国(広島市長崎市)上空に投下、戦時生活真っ只中に在った、朝や昼に行き交う人々の頭上500mに於いて非情にも爆裂させ、太陽の熱源にも迫る温度で、二十万人の生身の人々を瞬時にして炭化せしめ、H.トルーマン大統領命令に因る大量虐殺の下に措いて執行、更に、数十万人をして永遠の苦痛を受ける被害者へと貶めた事を以って、アメリカ合衆国以下の連合国軍は、総じて、其れも無傷で、勝利が得られたのであるとの言われ方は、其の侭突き詰めずに棚上げにし、日米の戦後政治史も、七十一年にも亘る、今に至る日米間の経緯も歴史も全く知らぬD.トランプが激昂しては詰る相手とする日本の、「寄らば大樹の陰の愚かな存在の日本」であるとか、はたまた、「国を護って貰いたければ、米軍駐留経費の全てを賄うだけの金を出せ!」であるとかの、此れまた、米国が、米国の為の覇権行為の一環として為す駐留や駐屯の事実を一つとして知らず、はたまた、米国経済の為になす軍事的支配に通ずる、所謂、駐屯や駐留、乃至は、日米安保条約の締結をして、其の須らくに於いて米国を利する歴史的事実にもなっている事にもまた、一切手を付けないで捨て措く手法も在るのである。

 己の歩むべき道を勘違いせし日本帝国を打ち負かし、日本帝国時代の法制や非民主自由主義的旧習をして破棄、捨て去り、「天皇家」を中核に据える新たなる立憲君主制国家、即ち、民主自由資本主義国家社会制度を採り入れたゼロからの出発へと、アメリカ合衆国を中心とする連合国軍が、日本国をして導いて呉れた事に感謝はするが、何も好き好んで、自主自決権、乃至は、独立自尊権の表象たる、国家安全保障政策に関わる自主制定や遂行権をして、新たな社会形態に突き進まなければならない日本民族(自身)が制定したものでも無ければ、我が日本民族たる道々の民の長に在られる「天皇陛下」の御意思に基づかれる、諸法制の改変や行政の大改革、所謂、社会制度の全面的見直しが図られたものでは無く、戦勝国たるアメリカ合衆国が、其れも日本国をして実体としても統治していた件の、連合国軍最高司令官としてのD.マッカーサー元帥が中心となって、新たなる日本国憲法の起草や、諸制度の全面改革等に当たる人選を為し、アメリカ合衆国でさえ成し得なかった、所謂、人類社会の理想的仕組みとも言える、憲法(内容)の制定や、社会組織の改変、或いは、法制度全般に関わる整備し直し等の敷設をも成し遂げ、結果として、七十年後の今、一つとしての戦争をもせず、且つ、加わらずに自国をして措く事で、乃至は、新たなる憲法に則る事で、不戦や非戦を貫徹、日本国家は、異民族の誰一人たりとも殺める事をせず、また、自衛隊員が、異民族からも殺められる事無く国際貢献を叶える事が出来ているのである。其の通り、覇権主義に走らないのも、核兵器を持たないのも、海外に武力集団をして送り込まないのも偏に、戦後日本国に敷設し、且つ、社会制度として課した国家憲法の制定と、新たなる諸法制を採り入れた制度の改変や整備等、其の須らくに当時のアメリカ合衆国が関与しているもので、次期大統領たる存在に在るD.トランプは、対日関係をして悪意を以って述べる前に、十二分に日米史を学び、理解しなければならない筈である。

 齢七十歳の古希を迎え乍ら、日本国に関する知識は基より、大まかでは在っても、国際社会に関する知識もまた文字通りに蓄積無く、1980年代でストップした侭の状態に在るD.トランプ次期合衆国大統領、当欄でも、口角泡を飛ばさんばかりに言う所の、所謂、「無知に勝るテロル無し。」なる言葉を多用もするが、D.トランプはまさに当該格言に合致し符合してみせる可能性のある人物の一人、国家権力者に上り詰める事となる彼は、恐ろしい人物になる虞の在る大統領の一人と云う事でもある。基より、大統領選最中に見せた、彼の公約とでも言うべき檄の飛ばしに見られる言葉に関して、一切の修正も更正も見せずに、此の侭に突き進めばとの条件こそ付くが、1980年代ですっかり止まった政治的歴史観の垣間見える彼の事、如何に勉強をし直すとの反省の姿勢を見せたところで、元来が勉強嫌いなD.トランプの事、教えられても忠告を受けても上の空、聞く耳持たずは言う迄も無く、我田引水に陥る、”了解!”の発言のみで終焉、一期四年は、無知識と悪辣なる性格が綯い交ぜとなる其の場しのぎの、所謂、行き当たりばったりの政治経済活動が推し進められるのであろう。

 早速にして、次期大統領を表敬訪問した現政権を率いる安倍晋三、現状に於ける自らの宰相としての素早い行動を自画自賛し、得意然として見せた安倍晋三ではあるが、此れには当然の事として、異論もまた差し挟まれていた事は言う迄も無く、政治的フットワークが軽いと、良き意味で解したマスメディア群と政治評論家諸氏では在るが、中には、当欄の様な、へそ曲がりで天邪鬼子ならぬ、捻くれし人間もまた少なくは無く存在、貧乏神乃至は疫病神を背にしては燥ぎ回るしか能の無い、傀儡子宰相安倍晋三をして確かに腐し、唯々、日本国家社会の近い将来をして、大いに危惧する道々の民もまた居る事を忘れてはならないのである。また、上述した様に、無知にして無能なる(失礼!)では無く、知らずして知りたくも無い、次期大統領トランプ氏の日米間の戦後史観を基にすれば、国家の本質として顕現すべき、自主自決、独立自尊をして、真に日本国は、勝ち取る、或いは、創り上げる機会が遣って来るとの、淡い期待をこそ抱くべきもの、基より、傀儡子たる現状の、隷属的国家日本との意味では無い。