日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆プーチン大統領の来日に寄せた一言。

 貧乏神と疫病神を同時に背負い続けた侭、国家宰相玉座を支配する安倍晋三内閣で在ってみれば、日露和平条約の締結と北方四島の無条件一括返還の実現は、無理ヘンに駄目と書く様なもので、そもそもが今頃になって、旧島民を官邸に招いては言明してみせる、所謂、「ワタシの世代で、日ロ間に根差す所の動かずの問題には決着を付け、解決に向けて見せましょう」との見栄すら張ってみせるが、此れもまた、北朝鮮国に因る日本人拉致問題に対する、拉致被害者ご家族を目前にし、胸を張っては幾度となく繰り返した、空手形発行の押し付けと同様のもの、万度に目の前で切っては渡した不渡り手形並みの言動、オオカミ少年のお触れならぬ、メディアを通じて為す三文芝居の演技とでも言うべき中身無き言い分であって、総合的判断の入り口に於いてさえ不可能にする風呂屋の釜(湯うばかり)態様には在るもの、今次もまた不渡り手形の掴ましに終わる詐欺罪の公算大で在る事は必至、米国の次期大統領たるD.トランプが、其の公約に従えば、就任後直接的に為すで在ろう「対日強硬政策の発令と実施」が、所謂、経済政策を主体とする、日本国家に対する条理無き突き放しの決断実行で在るとか、言うならば、日米離反現象が如実にして見られなければ、決して為し得る業で在ろう筈も無く、現状の侭たる、所謂、安倍政権の何処を切り取っても同じ絵柄が見られる、シオニスト型千歳飴政治事象は、日本国安倍晋三政権に因る、言われるが侭に為す、淡々とした対米隷従姿勢の継続のみを映し出すだけのもの、況してや、シオニストユダヤ系大財閥資本家群傘下の企業群が虎視眈々と狙ってもいた、其れこそが、日本民族一億総白痴化政策とでも言うべき、アウトロー自民党軍団を使って為さしめる件の、「カジノ賭博解禁法案」を、ドサクサ紛れの国会会期末を以って立法させる何ぞと似たもの、まさしく、傀儡子宰相たる安倍晋三政権の真骨頂とでも言うべき民族貶め政策そのもの,外界に於いて現に取り沙汰されてもいる、シオニストユダヤ系大財閥資本家群傘下の原発利権保有三社の一方の雄たる、仏国「アレバ社」に対する、日本の大財閥(三井、三菱、住友、芙蓉/日立)に属する、巨大企業の資本参加話しと併せて見れば、傀儡政権たるズブズブ振りの政治経済、或いは、ドップリと浸かるあからさまさにする隷属振りを見せ付ける事とは相成るもの、所謂、安倍晋三政権に因る、原発推進政策からは決して抜ける事を不可能とする其れこそが拡大化政策と言うもの、即ち、日本国が原発事業に関わる国際社会のリスクを背負い、且つ、リスク発生に因る負担項目の須らくをして引き受けると言う、言うならば、原発版「シジフォスの神話」に置き換えて想起類推させるが如きもの、安倍晋三が現に執り続ける、非日本人的振る舞いの上述せし行動と其の連続からも、日本国家国民の為に遣るとは到底思えない、急拵えにする諸政策の法案化と其の実践が、現安倍晋三政権の突き進む政治的行動からは、どす黒く滲み出ては浮かび上がるもの、まともでは無い事が明らかとなるだけである。

 此の15日に来日予定のロシア連邦国家元首であるウラジミール プーチン大統領は、日ロ間に横たわる懸案事項で、今迄に触れた事の無い問題解決に至る、本質と認識に差の在る根深さに付いて触れ、指摘して見せた事が何かと言えば、隷属的日米関係の現状逃避を棚上げにした侭には何事も前には進まないとし、そうしたロシア連邦に対して日本政府がよく口にする、其れは内政干渉で在って余計な事であるとして突き放し、況してや、戦後十一年を経過して合意した、所謂、1956年12月12日に発効を見た件の、日ソ両国の首脳である鳩山一郎とN.フルシチョフが、調印目的の為にモスクワにて集い、「日ソ共同宣言」に基づく協定書にサイン、和平条約締結に向けての日程的プロセスを示す他、北方四島の内、二島部分の返還を含む、大よそ、八項目の合意内容を成立させ、「協定書」として発効すべく、日ソの二国間合意を見たにも拘らず、日本国家は、批准為し得ずとして通告、其れも、ソ連邦に拠る、日本国からの批准同意は紛う事無く下されるであろうとの確証の下、十年にも上る間、ソ連邦の拒否権発動に因り、新たに名称を変えた「国連」への再加入に関わる門戸も閉じられた侭となっていた日本に対し、日ソ共同宣言の合意で、ソビエト側の拒否権は取り下げられ、日本は「国連加盟」に成功した事にもなるのだが、加入した途端に、日本国側からは日ソ共同宣言と其の約定である協定書は批准できない旨を通告して来たのである。何れが信義則違反であるかは明白になろう、とウラジミール プーチンは、解消されぬ疑念として日本国に対して抱いても見せるのである。

 現在に至っても尚、日ロ問に横たわる問題解消の名案は、日ロ双方の主張する条理の乖離と対立で、何一つとして受容されずの侭に据え措かれ、況してや、現ロシア連邦政府から見ても、日本国家の立ち位置としての現状は、ロシア連邦国を除外する形での、米欧諸国をして政治経済の軸足に置き、傀儡子宰相安倍晋三政権を擁して日本国を主導させ、且つ、軍事的安全保障政策上もまた、益々にして隷従姿勢をこそ米欧に示して良しとさえする其の日本国に、何故にロシア連邦が恭順の意を示して迄、(米国や英国と同様に)戦争で手に入れた北方四島の領土をして、無条件、且つ、一括返還の合意を為し得る必要が在るのか、況してや、破って(破られても)当たり前なる和平条約の締結を、日本国との間でも結ばなければならないかの必然性など、ロシア連邦には何処にも無いとしたい所、基より、日本国家国民が有している、実体経済牽引の原動力ともなる産業技術力や金融資本力、並びに、良質性と質実剛健にも在る日本民族の、高い人間的総合力に鑑みれば、*日ロ交流もまた望まれぬ筈は無いともするのだが、ロシア民族をして下位に位置付けては当然と看做し、且つ、理解し措き、思考乃至行動等は全く受け容れられずのものであると断定する、所謂、欧州民族並みの、日本国家国民に拠る、お世辞にも芳しいと迄は言えぬロシア連邦国家国民評、確かに、日本国が、まさに顕現している様な先進的技術こそ乏しいロシア連邦では在るが、自給自足は十二分に可能なる国家国民である事を忘れてはならずのもの、況してや、馬に喰わせる程に多数の核兵器を、米英と同様にロシア国も保有、いつでも使える体制下に措き続けるロシア連邦で在ってみれば、態々不利なる条件下に自国を措き、況してや、相手の意にのみ沿う何ぞの不合理性は持ち得ず、有り得ずのものである事をこそ、日本国家国民は知り措くべきでもあると、プーチン大統領は、山口県宇部空港を目前にして飛ぶクレムリン機(大統領専用機)の中で、思考している事ではあるのだろう。

 *日ロ史の真実や事実等、基より、其の多くに関しては、ロシア民族の中核をなす六十歳代以下の国民には、殆んどと言って良い程に伝わっては居らず、況してや、学ばれても居らずの態に措かれてはいるもので、所謂、実態的には1854年から始まる、日露外交史の始まりとでも称して良いのであろう、即ち、日本国江戸(徳川)幕府の法律(命)に従い、艦長プチャーチンが指揮航行する艦船”ディアナ”は長崎港へと入港、中々にして日本国の政府要人と会えぬ為に北上、漸く、西伊豆戸田村(へたむら)漁港周辺へと錨を下す事を許され、当時の幕府勘定奉行でも在った川路聖護一行を待ち受け、日ロ外交の始まりともなる国交開始を求めての直談判とはなるのだが、生憎にする天変地異の発生、即ち、群発地震の一つでもある「安政東海大地震」発生に因る災禍でディアナ号は海底深くへと沈没、犠牲者こそ出したが約500名近くの海軍兵士は其の七割近くが残り、軍人の一部は、英国船籍の船腹を借りて帰国(途中英軍に因る拿捕の憂き目に遭い、被収容者に変わったとされてもいる。後に釈放。)、戸田村に残されし五十名弱は、巨大船舶の建造になど携わった事の無い、戸田村民を一とする近隣住民の力を借りて為す代替船の建造を俟ち、漸くにして漕ぎ着けた「日露和親条約」の締結とともに、無事にロシア帝国に向けての帰国を果たすと言う、所謂、日ロ外交史の始まりとでも言うべきものだが、斯かる日ロ史の史実一つすら知らない、或いは、知ろうとする興味すら湧かない、現ロシア民族の何と多い事かは想像して余りあるもの、基より、日本民族もまた他人事には非ずに措くものだが、彼等ほどに酷くは無いと言う事では在るのだろう。勿論、艦長プチャーチン提督が率いた、件の、沈没せし”ディアナ号”に話を戻せば、ロシア帝国に帰る事を止め、日本国の戸田村に永住を決意、日本人女子との間に家庭を持ち、今世紀に続く、静謐にする人生を送られてもいる人々も少なからずに居られると聞くのである。(扶桑社「ロシアから来た黒船」著者植木静山氏作品内容の一部を参考とした。)

 何かしらの外的要因が加わら無ければ、決して進展する事の無い日ロ関係改善、基より、文化も異なれば、戦争に対する概念も異なり、社会正義の顕現たる概念すら異なる日露両国国民では在る以上、向かうベクトルを同じくして交わる何ぞは、日ロ二国間では半永久的に有り得ずのもの、勿論、そう在って欲しくは無いが、事実は事実、”無知に勝るテロル無し”と言うが如く、民族文化的立ち位置そのものが異なれば向かう目線もまた異なるのは当然と言うもの、一方の言い分に関して言えば、国際法たる戦争法に則るべくの形式を須らくに踏まえた、武力での奪取をして正当(正統)にする行為でもあったと自画自賛、他方は他方で、如何なる場面に置かれても日ソ両国は中立を保ち、相互に対する武力を行使せずとする、日ソ二国間合意形成の下、斯かる条約を以って双方を律しながら、在ろう事か、ソ連の条約反故と不履行、並びに、武力による侵略と略奪に因って奪われた、其れこそが、日本国の排他的領土領海領空への不法行為の正当化と言うもので在って、国際法を以ってしても決して容認される事では無いとするもの、此れ程迄に異なる、日ロ二国間の言い分が根源に在り、即ち、国際法たる「戦争」解釈に、明らかなる認識の乖離や齟齬すら見て取れれば、噛み合う議論など出来る由すら無い事が判るのである。

 【左すれば、慌てず騒がずに捨て置いてさえ良しとし、困らずにも在ると見栄を張るロシア連邦国で在れば、友好関係へのアプローチは基より、経済交流の樹立、乃至は、活発化もまた断念し、取り止めて静観すべきが筋道と言うもの、基より、斯かる姿勢は、日本側から推し量っても同様にする所で、ロシア連邦が現状変更を求めず、また相も変わらずの<不遜にする>態様を以って接触して来る以上、此れまた、日本国と同様に、同位置に座して静観し続けていれば済むだけの事である。即ち、ロシア民族が抱え込む文化は、行為としての戦争を一つとっても解るもの、戦士はロボットで在り、不条理なる命令に逆らう事の出来ない機械、基より、戦時下に於ける報酬は皆無に近く、其れの埋め合わせは相手(国)からの奪い取りを以って充当して良しとするもの、基より、其の相手が品物で在ろうと、人間で在ろうと同じで在り、奪い取れれば其れで良し、奪い取れなければ捨て去り、身籠らせた侭に放置すれば良しとするもの、此の点では他の民族にも同様の事が言えるが、条理の底上げを未だに見ていないロシア民族には、特に目立つ、「力」を唯一とする不条理なる精神文化は、今も尚途絶えてはいないのである。】

 左すれば、日本国はロシア連邦を、ロシア連邦は日本国を、夫々が干渉無き侭に見詰め続けるだけで良いのであろうが、即ち、日ロ両国民が、此れからどれ位の期間、”睨めっこ”をし続ければ良いのかは判らぬが、其れこそが上述に言う、日ロ両国民が気が済む迄の期間、国交を完全に遮断し、経済交流も見合わせ、基より、文化交流すら途絶させて良しとさえすべきもの、愚者を覚醒させるには方法は二つ、一つ目は掛かる手法の採り入れで為すべきもの、基より、戦争を仕掛けられると言うリスクは伴うが、躊躇ってはならずのもの、もう一つはと言えば、何処までも長引き、あまつさえ、解決の糸口すら見えぬ中での、頭の良い方からの、条理を以って為す交渉継続のアプローチが其れ、気長にする説得交渉を以ってすれば、成し得ぬものは一つとして無しとの信念の下、五十年で在ろうが百年で在ろうが、腰を据えて取り掛かるとの決断と其の更新こそが肝要、領土不返還の中の停滞下に措かれても、武士は喰わねど高楊枝の姿勢だけは崩してはならないのであろう。

 賢明にするプーチン大統領の事、日本国の、英知を含む総合力を借りなければ、自分をして喪った国家が如何なる、守銭奴の跋扈する国家へと急変し、スラヴ系民族をして主体とするロシア連邦が、崩壊の前兆を見、程無くしての民族浄化ロシア連邦の瓦解を見るかは、現に、米国を一とする国際社会の変化が表し示してもいる所ではある。