日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆韓国での政争の具として持ち出される「慰安婦問題」  

 大韓民国パククネ大統領自身の公務活動や行動に関わる、所謂、未確認ではあるが、不祥事の発覚が本で社会的混乱の極み真っ只中に措かれし韓国、また、此の春には弾劾裁判も俟たれる韓国社会で、其れも、現職大統領に対する、法を以って為す職権解除命令、並びに、逮捕を見越した、次なる大統領選挙候補者として名乗りを上げた人物は、任期満了に拠り昨年末を以って国連事務総長の座を辞したパンギムン(72)、渦中の事件惹き起こしの主人公に措かれるパククネ大統領の所属する、現与党の大統領候補として立候補する旨を正式に表明した其の韓国で、基より、当該選挙に向けての目的が在ってのものであろう、韓国民の有する記憶の箱に仕舞い込ませたばかりの、不忘に措くべしとする対日怨念を、再びにして取り出させては、韓国民たる一般大衆に注意喚起させるべく強要、今し方まで絶叫すらしていた、<反パククネ!、反コネ社会!>から一転、<反日!、嫌日!、忌日!>を素にする言葉に変えては為す檄の飛ばしに誘導、あまつさえ、クタバレ日本と日本民族!、の唯一点にのみ絞り、激昂に流れ続ける韓国市民の怒りの吐け口へと変え様とする、おぞましき記憶の箱解除の試みは成功、以前程の盛り上がりは欠くにせよ、注意を逸らす其の実効性だけは表し始めているもの、基より、日本国家国民にとって、日韓二国間の約束事を破られた事は極めて遺憾此の上無い話し(の蒸し返し)ではあるが、我等日本民族の持つ性格と同様に、熱し易く冷め易くもある、且つ、激昂し易く涙脆い所すら在る、言わば、極端に流れ易い資質や性格さえ有する百済韓民族、当該民族をして政治的に統御し、乃至、制御するには難を極めるもの、比喩こそ芳しくは無いが、救いの手が伸べられる事の無い、溺れし犬に向け、四方八方から石礫を取っては投げ付けて狂気乱舞、傷付けを謀ろうとしては悦び勇む、手の施し様の無い彼等、水の中では、血を流し足掻き続けては泳ぐ力をすら次第に無くす犬をして、殺せ!殺せ!の大合唱、斯かる檄の飛ばしを再びにして煽るが如きもの、激昂せし中では何を言っても無駄で在り、止められずに在る事を現わし示すのが韓民族の性格と言うもので、此れを政治的に最大限に利用し活用したのが、韓民族政治指導者群に因る「日本民族悪玉論」の取り出しに因る日本叩きであり、落ちる所まで落ちた国家体制の、其れこそが<日本国を利用した>起死回生に向けた展開なのである。

 歴史を学ばずとも推測可能とする所は少なくは無く、基より、漢民族朝鮮民族にもまた同じ事が言えるのではあるが、特に、韓民族日本民族と言う、所謂、其の似通った顔付きや体形、或いは、排他性を以って為す風俗や風習を重んじ、教育をも尊重、且つ、金銭崇拝に陥り易く、何不自由なく暮らす、頭の悪い金持ちの坊ちゃんやお嬢ちゃんに限って言えば、持たざる者をして、須らく、小馬鹿にして良しとする傾向のあるのが、朝鮮民族日本民族の類似性、勿論、熱し易く冷め易いのもまた両国民の似通いし性格では在るのだが、もう一つ似通いし民族性格を採り上げて言えば、災禍として受けた不条理の事実は、民族が存続し続ける以上、決して忘れ去る事は無く、代々にして引き継がれては呪い続けると言う、所謂、粘着質とでも言うべき恨み辛みの強さは、殊、朝鮮民族日本民族の間には、おぞましい位の共通にする執念深き性格として、民族須らくに広く根を張り、生き続けてもいる事を忘れてはならないのである。

 韓民族にとって、日本民族に因って為された過去の、自国民に対する不条理なる仕打ちに対する怨念を伴う記憶、所謂、日本軍が、朝鮮半島に上陸せし当時に於ける侵略戦争に在って、多くの韓民族婦女子に加えられた日本軍兵士に因る辱め、即ち、韓民族婦女子をして、日本帝国総掛かりで騙しては慰安婦へと追い遣り、あまつさえ非人道的状況すら継続して作り措き乍ら、戦争に負ければ負けたで、日本国は、斯かる不条理行為を認めもせずに捨て置き、謝罪する様に韓民族より指弾され続けながら、心からの謝罪一つ為さず、あまつさえ、1965年に締結された日韓基本条約に於いて、斯かる「慰安婦問題」は朴政権との間に於いて処理済みであると(勝手に)言う始末、漢民族は、斯かる日本政府の不条理性は到底受け入れられず、基より、日本政府の中でも特に無礼極まりない安倍晋三に因る、十億円を以って元慰安婦に対する慰めの拠出金と為す、心に響く謝罪の言葉一つ無き高飛車にする見舞金の上乗せとするかの如き振る舞いと、朴元政権の実娘たるパククネ現大統領に因る、日韓手打ち式の表しとする証拠金等、どうして受け取れ様ぞ、との記憶の箱が再びにして開けられたのである。

 「慰安婦問題」に関わる、謝罪や賠償金拠出の有無、乃至は、其の多寡だけでは決して律し切れない、反日嫌日、忌日に誘う民族問題、と言うよりも寧ろ、斯かる民族間の歴史に根差す、切っても切れない血の交わりが惹き起こす、何れが兄で何れが弟かの、何れが賢で何れが愚であるかの、言わば、憎しみに遭遇すれば必ずや暗鬱にまで至る、不可逆にする序列に関わる根深い問題すら、両民族間に数多に滞積してもいれば、総じての一億二千六百万人の日本民族が、韓民族の歯牙に掻けられ、全員くたばらなければ、”遅れ”として感じ取る韓民族には収まる気配は全く見られずのもの、其れ程に難しい、日本国側から提案しては求める、謝罪や賠償を以って為す韓民族に対する鎮まりの願いでは在るのだろう。

 第二次世界大戦に於いて敗戦国となった日本、本より、黄色人種日本民族を使っての人体実験に及ぶべく、種類の異なる原子爆弾を広島と長崎に投下され、総数二十万人以上の無辜の民を瞬時にして炭化させて殺戮、数十万人の負傷者を出した日本国、戦後久しく経つ中で、原子爆弾を投下されるのは当たり前であったと悦び叫ぶ韓国民族がいたにせよ、決して、怒りを継続させる事だけは無かった我等道々の民、基より、韓民族に対しても、吉田茂翁を一とする歴代の国家宰相は、戦争への関わりを余儀なくされた被害国と国民の須らくに対して、先の大戦に際しての、日本国の仕出かした過ちと謝罪の行脚を為し続けた中で、当然に、隣国である韓国と韓国国民もまた其の対象国の一つとして選択され、深い謝罪と詫び、並びに、賠償金拠出の対象国として為された事は言う迄も無い。