日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆韓国での政争の具として持ち出される「慰安婦問題」 (2)

 戦争と言う不条理事象をして、一度たりとも実体験を踏まぬ日本民族が、略過半数を占めるに至ってもいる現代日本社会だが、其の様な状況下に在って、二十世紀初頭に於いて為さしめし我が先人達の、所謂、欧米列強白色人種群に因る、植民地化されては奴隷扱いされしアジア大陸に於ける黄色人種族群をして、須らくの解放を以って民族独立を成し遂げると云う、今でこそ、崇高なる理念の実践でも在ったとは云え、日本民族独り善がりの、其れは”善意”の押し付けではあったとの理解に措かれてはいるもの、即ち、朝鮮半島や中国大陸への軍事力を携えては為す進出であり、或いは、他のアジア大陸へと駆け込んでは、同様に、軍事進出を為した訳だが、基より、其れは、隷属的支配をアジア領域内にて配分し固定化すべくに振る舞っていた、所謂、帝政ロシアを一とする欧米列強白色人種群が当該アジア領域に於いて展開していた、覇権に因る植民地化政策を基にする、横暴なる軍事支配を阻止するべく、実力行使を以って立ち上がったもので、勿論、正義心をして全面に押し出す日本民族に特有の、後先を考えずに為す条理の突き動かしがさし示す、其れこそが、間に割って入る、支配阻止を目的とする仲介行動ではあったもの、即ち、韓民族朝鮮民族、或いは、満州民族漢民族等の、欧米列強に因る被支配からの救出を一とするアジア領域の、黄色人種圏同胞群をも救援すべく、軍事支援を以って動かなければならない事を早々に決した当時の日本国ではあったもの、基より、斯かる救援開始ともなる其の第一歩は、同祖同血にも在る韓民族朝鮮民族を以って、帝政ロシアに因る侵略阻止を図っては繰り広げられていた、不条理なる振る舞い(韓民族から見ての侵略戦争)からの解放と、傲りから出たのであろう、言わば、同祖同血に依る同族化の試みではあったもの、基より、韓民族にとっては迷惑千万此の上無い、日本民族に拠る、身勝手なる行動であるとの認識にはなっていたもの、斯かる日本国に因る朝鮮併合は、其れこそが、反日や忌日を明確にする分岐点とはなるもので、また、独自理念に基づく日本軍の実力行動は、朝鮮半島を一とする、アジア領域に住まわれる人々をして、窮乏や困苦に貶めたり、また、在ってもならない殺傷行為を数多にもたらしたり、婦女子をして辱めに貶めたりの、一部兵士群に因る、不法行為を以って為す明らかなる危害の加えや、災禍の、異国民に対する数多の加えもまた否定し得ずには在るもの、且つ、斯かる不条理なる斯業は、後世に残されし敗戦国の日本民族としても、謝罪しても謝罪し切れずには措くもので、基より、韓民族漢民族を一とする、アジア領域内の多くの異国民族群に対し、不忘にする不条理行為を与えたであろう事に関しても、後世に残されし我ら道々の民もまた、史的事実として覚え措くべきは当然の事ではある。勿論、当該兵士等をして父や叔父(伯父)に持つ、身内の一人として言えば、如何に、戦争体験を全く踏まぬ我等道々の民では在っても、決して忘れてはならずの史実、其れこそが不条理行為の加害者たる血を引く、日本民族一人としての宿命でもある。

 基より、”彼我の国に降り立つ災禍は糾える縄の如し”、一方にのみ降り立つ災禍とはならぬ事をこそ、共に、且つ、同時に、日韓両国民は知り措くべきでもあるのだろう。

 日本国は戦後に於いて、特に、韓国が激して已まずの「慰安婦問題」に関しては、少なくとも隠れ続けて来た人権侵害問題として表面化、明らかにされ、基より、指摘されし時点に於いては、事実否定や回避する事無く日本国は真摯に対応、基より、実態をこそ究明し続ける中で、史的事実として認めた、日本軍兵士が関わる不条理事象に関しては、国家責任である事を公に表明し、且つ、謝罪、日韓条約締結の中で、ともに、解決をも見た事にはなっているもの、だが、其れ以外にも、韓国政府自身が確認してはいても、韓国国民には殆んど伝わらず、且つ、知らされずに措かれると云う、何ともおぞましい実態もまた在れば、主客転倒には在っても、日本政府が登壇しては途切れ無き懺悔や謝罪を常に試みさせられると云う、何ともあからさまなる、屈辱的とでも言うべき所作の度重なる要請を受けてさえ、彼等の思い通りの謝罪を為し、頭を下げては深謝して見せると云う、言わば、此の半世紀に於いては休む事無く続けさせられては来たもの、斯くの如く、我が国の歴代政権に因る、韓民族に対する心から為す謝罪や懺悔は、国民ともども、間断無く続けられては来たもので、其の意味では、”日本民族が、己の為した韓民族に対する悪しき事実を、忘れる事さえ無ければ、此のぐらいで勘弁して遣っても良かろう!”との、韓民族に拠る配慮の声も聞こえて来るのでは無いかとの、後世に遺されし我等道々の民に拠る淡い期待もまた何度かは抱いたものだが、其れこそが淡い期待でも在った様で、益々にする、反日嫌日、忌日を以って為す表しは燃え盛るばかり、其れどころか、言葉だけでは飽き足らずとさえし、あまつさえ彼等韓民族は、物理的手段を用いては為す件の、”少女像(ブロンズ像)”をして、あらゆる場所に設えては飾り、況してや、米国や中国の多くの人々が行き交う所にも多数飾っては、反日嫌日、忌日を押し進めて自己満足すると云う、言わば、日本国家国民の須らくが、クタバッて死ぬ迄の間は、とことん迄に為す少女像の新たなる敷設を以って、永遠に呪い続けて遣るとの意思表示すら、韓国と韓民族は日本国家国民に対して示し、赦さずとする宣告をしたのである。

 事実、其れは、我等の親や叔父/伯父等の、今は亡き肉親等が起こせし不条理なる出来事では在ったのだろう。基より、在ってもならぬ出来事として、戦後に生まれし我等後世の民もまた、韓民族漢民族、或いは、其れ以外の黄色人種群に対する、先人達の為した斯かる不条理なる行為を、後世に生きる我等もまた詫び、懺悔するのを当然ともするのだが、一面に於いては、後世に遺された、其れこそが被害者たる彼等韓民族等もまた広い心を以って、加害者たる大日本帝国や帝国民族の為した悪行は赦さずとしても、後世に生きる日本国と日本国民には、不忘の許に置けば、此の位で赦して遣っても良かろうぐらいの、器量や度量の大きさを以って韓国民が示したとしても誰も批判はせずのもの、其れ所か、日本民族は勿論の事、第三の目を以って日韓史を見続ける人々にも、韓民族の度量の広さをこそ認めさせる事にも繋がるのである。

 だがそうはならなかった。と云う事は、政治家とは言えども韓国民が、安らかなる眠りに就かせようとしている其の真っ只中に措かれし記憶の箱を、敢えて取り出し、日韓間の不条理事象として高々に掲げ、反日感情として煽ろうとさえし、大統領選に目を向けるべく取り出したもの、基より、当該問題は今し方に於いて漸く、日韓両国政府に於ける何度目かの、其れこそが、最終を冠した決着を付けし筈のもの、「韓民族婦女子慰安婦問題」の取り出しと慰安婦をイメージさせる少女像の再設置に見て取れる、約束の反故を繰り返す韓国政府の無責任性は如何ともし難きもので、いかに、国際的普遍性を以って顕し示す、民主自由資本主義社会体制が根付き始めて間もない未成熟なる韓国社会に在るとは云え、国家間で取り決めし契約条項をして、気に入らぬ人物群が現れたからとして、平気で契約を踏みにじり、在ろう事か、契約の証として受け取りし「証拠金」をして、相手国である日本に返せば、些かの問題も無かろうとの、感情優先主義を主張すれば、此れはまさに、民主自由資本主義社会理念とは全く相容れずの、基より、法治国家とは到底看做せずにも在る、社会正義全く無しの、其れこそがその場凌ぎで須らくを律しようとする徒党の体裁と云うもの、21世紀にも在る現下に在って、其れこそがグローバル化著しい国際社会に於いてすら続く、特異性や排他性の主張、乃至、狭量性や狭隘性を以って現わして平然とする民族ですら在れば、また、条理にすら反応し得ぬ、おぞましい性格を有する民族たる事を自覚し得ぬ国家韓国でもあれば、過去には加害者(国)となった後世に遺されし我等にも、付き合い方を見直し、考え直す場面には追い遣られてもいようと云うもの、基より、我が先人達の為した、韓民族に対する不条理行為を認め、謝罪を尽くしては賠償をも為し、後世の我等に引継がれし今に至るも、日本国民に拠る、不変に措いては深謝の念を抱き続ける事実をして認めようともせず、在ろう事か、韓民感情なだめの為のサンドバッグとして、或いは、政争のために為す自己PR(正義の使者として)の材料として、悪玉日本国家国民である事を、条件反射として韓民族に植え付けた件の、「慰安婦問題」と「慰安婦像」を引き出し、韓民族の面前に持ち出しては晒す、韓国の国家権力者を狙う面々、万度に繰り返される斯かる仕儀、本より、事実が事実であれば致し方無く、また、詫びもせず、ビタ一文の賠償すらせずに置けば、馬鹿だの阿呆だのと罵声を浴びせられ、国旗を焼かれ、卵を投げ付けられても致し方は無いが、そうは非ずの日本国家国民、我慢にも限界は在ろうと云うもの、敢えて、こちら側から全面的国交断絶をこそ通告する必要こそ無いが、積極的に為す交流の差し控え位は、そろそろ執っても良い時期に差し掛かってもいる事ぐらいは、同祖同血にある漢民族に対してとは云え、気付いて貰う時期には来ているのではあるのだろう。

 ”仏(鬼)の顔も三度まで”の喩えに在る様に、如何に、韓民族と同祖同血に措かれし日本民族に在るとは言え、実体的には自立し独立せし日本民族でも在れば、韓国に於ける、政変に窮する度ごとの、日本国家国民に因る、韓民族に対して不当にも科した、在りし日の過去帳を開いては、特に、不条理なる咎の項目を引き出しては呪文を唱えて狂気乱舞、政変が治まる迄の間は、神憑りに陥るとでも言うべき、言わば、己の政治的我田引水に押し遣って反日に突っ走る様は、日本民族ならずとも見苦しくは在り、おぞましくさえ映るもの、勿論、反日感情から離れられずの人々に因る、個々の家や住居空間を借りて為す、其れこそが呪いで在り呪術の唱え、乃至は、狂喜乱舞ですらあれば未だしも、公共の場所を借りた、反日嫌日等を指し示す、慰安婦像の設置であるとか、徒党を組んでは為す、日本大使館や領事館に向けての、石礫を投げての棄損や破壊の繰り返しであるとか、はたまた、日本国旗の焼却や滅却に至る行為であるとかは決して赦されざるもの、如何に感情抑え切れずに在るとは云え、日韓二国間で決着せし問題(過去帳)を事ある毎に取り出し、俺達だけは決して認めてはいないとの理由のみで、「慰安婦問題」や「慰安婦像」を翳し、反日嫌日、忌日に走って良しとする様は、韓民族をして見苦しく、且つ、憐れの中に韓民族自らを措くもの、本より、民主自由資本主義法治国家を主張する国に在っては、赦されざる行為そのものでも在る事を、韓民族主導の大韓民国こそが自覚し再確認して措かなくてはならず、特に、韓民族の政治家や外交家を自負する者に在っては、総じて、普遍性を以って為す理性在る条理に従い、己を律しなければならないのである。

 斯かる、万度にする、韓民族からの問題提起を契機として、日本国家国民から返す言葉として、離反されて結構、国家断絶して良かろうと迄は言わぬが、此の侭にする韓民族不法行為を見逃せば、決して韓民族の為にはならずのもの、本より、日本民族の為にもならずで在れば、対抗策は執って然るべきもの、理解に至るかどうかは不明だが、無視も軽視も重要、頭を冷やして貰う時間の経過こそが重要なのであろう。日本民族にとって、最悪なる場面到来の、複数のシナリオぐらいは考え置いて然るべきものである。基より、日韓戦争等で在る由も無いが。