日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆没落間近か、民主自由資本主義国家社会 (1)

 「民主自由資本主義」を唱え、且つ、律令を定め、国家社会体制に根付かせて運営執行する国家は、二百ヵ国余りの国連加盟国の中では略多数を占めており、此れから先、増える事は在っても減る事の無い国家社会体制の重要なる形態、とはなって行くのだろう。だが、斯かる「民主自由資本主義」を唱える国家群の中に、此処に来て、政治経済社会的にでは在るが、俄かに軋み音やきな臭さが生じ始め、所謂、国家社会体制として主導的役割を果たして来た国家群の中に、即ち、自由にモノを作っては売り、利益を稼ぐばかりか、金を貸しては反対給付としての利息を取り、知識を切り売りしては対価を頂くと言う、日常生活に関わるありとあらゆる資本主義経済活動が、個人に限らず、組織、団体、法人、地域社会、国家等の間で滞りなく為され、即ち、貨幣を以って為す経済が支障無く営まれ、其れこそが国際社会全体を網羅する中で活発に執り行われて来てもいるのだが、十八世紀半ばに於けるイギリス帝国に始まる、「産業革命」の勃発を本として誕生したともされている当該資本主義、あれから二百数十年、過ぎ去りし当時から現状へと移る、手を加えられし民主自由資本主義の歴史を俯瞰、見遣り比較もすれば、此れ程に速く、且つ、世界的に環境を変え乍らも発展を遂げ、即ち、歴史を以っての記憶を含む、網膜に映り脳内に遺る事象や現象が全くにしてガラリ一変、信じられない程に様変わりしたものでは在るわいと、改めて驚きもするのだが、今に至ればいたったで、よくぞ此処迄、大きな修正も更正も為さずに、「民主自由資本主義」社会が、発展し堪えて来たものであると感心するばかりではある。

 「資本主義」経済が、英国に於いて俄かに芽を付けし十八世紀中庸(二百数十年前)には、世界の人口は大凡八億人強であったと推定されてもいるが、芽吹き花咲く其の後の資本主義社会に在っては、アフリカ大陸も同じ過程を辿る事にも成るのだが、欧米諸国や日本や中国(万里の長城より以南の領域)を一とするアジア諸国に於ける、植民地支配を根底に措く、民族が異民族をして支配すると云う、言わば、弱肉強食社会を形成、其の僅か二百年余りの中で、革命や騒乱もまた数多く惹き起こされ、或いはまた、第一次、若しくは、第二次世界大戦の惹起を一とし、ベトナム戦争湾岸戦争、アフガン侵略や、イラク侵略戦争等に因って、はたまた、現状に見られるシリア内戦等に因って、無情にも、延べ億単位もの人々をして黄泉の世界へと逝かせ乍ら、発達せし国際社会として、或いは、民主自由資本主義社会下に措ける、貨幣経済華やかりし現下に於いて、事実として有する、国際社会の総人口はと言えば、百倍近くにも及ぶ七十数億人とも言われる膨大なる数の人口を抱えた国際社会にも成っているのである。

 此れだけ数多くの人間を彼の世へと送り出しながら、僅か二世紀半の時間経過の中で、人類は百倍近くへと其の数を増やし、特に、民主自由資本主義をして良しとせず、全うせぬ有色人種群に於ける人口の増やしは、平均値をこそ大幅に上回るもの、左すれば、資本主義の発展と人口の増加の間には一つとしての相関関係すら認められずのもので、逆に、現況に於ける、所謂、先進主要国と言われ、若しくは、超富裕国と目される国家群に於ける人口減、所謂、少子化傾向の増加は、押し並べて言うとすれば、資本主義の発展に因る、成るべくにしてなった必然的結果と言うもので、資本主義をして主導的に牽引、実践して来た数多くの人々すら気付く事も無かった、其れこそが、民主自由資本主義社会をして破滅へと導く、墓場への道の選択では在ったのである。

 確かに、資本主義に関わる、国家個別的とでも言える、所謂、持続可能を前提として繰り広げる国家自身の、多数に修更正しては設えた新編にする経済的ルールの実施、或いは、社会的ルール改正や政治的ルール改正等の実施も見られぬ事も無かったが、ルール改正を執り行うにしても、斯かる執り行いをして阻害し、実効性を持たせぬ程に、表社会と同程度の、乃至は、其れ以上の存在ともなっている、所謂、裏社会組織が操る資本主義倣いの存在があり、更には、表社会に於いてもまた、裏社会に於けるルール無視状態その侭に捨て措けば、紛う事無く「資本主義」経済社会そのものが破綻を来すのと同時に、激減のみに向かう国家人口に因り、国そのものが国家の体を成さなくなると言う非常事態をすら惹起、近い将来に於いては向かえもする、と言うことに成るのである。

 1972年に、米国主導で経済制度の仕組みをして、国際主導的なものへと改変させた漢民族中国、また、1991年にはソビエト連邦の実質的崩壊で新たな政治経済的社会の仕組み改編が要求され、此れまた、経済制度は米国主導の下で為され、民主自由に基づく「資本主義」社会経済制度を採用、仕組みの一部は資本主義改編以前のものとなる為替固定相場制の採用をこそ、韓民族中国はしてもいるが、資本主義社会制度の過半に於いてはともに共有、基より、「民主自由資本主義国家社会体制」を揺るがし兼ねない、若干の、不具合部分をこそ未だに残し、且つ、抱えてもいる両国、簡潔に言えば、共産主義国家社会制度は其の過半をして放出を余儀なくされ、「民主自由資本主義国家社会体制」の移行、承認へと繋がり、政治制度のみでは決して立ち行かない、実体的社会体制の消滅へと其の姿を変えて行くのである。

 今、中国や北朝鮮等の一部を除く国際社会の大勢は、政治形態的に見れば、「民主自由資本主義国家社会体制」を布き執ってもおり、基より、無尽蔵にする天然資源等の有無や技術開発力、乃至は、一次資源、二次産品、三次技能等の転売で得た余剰貨幣で、即ち、余剰資本等を駆って押し進める巧妙にする流用に拠り、自給自足を以って為す国家群以上の、生産活動を一とする経済諸活動を展開し得る国家群も少なくは無く見受けられもするが、二百数十年にも亘って順調に伸び続け、発展すらして来た資本主義経済は、二十一世紀に入った今まさに、修正見直しを必要とし、人為的に手を施すべき時代に至ってもいるとさえ断定し得るもの、其の兆候がまさしく、D.トランプをして米国大統領に押し上げて選出、英国民をしてEUからの離脱に向かわせ、日本国をして国家経済を借金地獄に落としては蒼褪めさせながら、政府はと言えば、平然として借金を増やし続けると言う、何とも奇妙なる、何時崩れてもおかしくは無い国家社会を、数多くの国々を生み出しながら、其れ等、異常事態を見せ付ける国家社会の中身がどうかと目を遣れば、「民主自由資本主義国家社会体制」を何れの国も執り乍ら、共通する社会態様がまさしく認められるもの、当たり前と言えば至極当たり前で、無放任の侭に於けば、何れは欲に絡む資本主義の持ち合わせる、其れこそが性(長所であり欠点にもなる)と言うもの、即ち、上述せし何れの国家社会にも見て取れるのが、大なり小なりにする”経済的格差社会”の発生と拡大が在り、並びに、富の蓄積と富裕を恣にする事で、「資本主義」が良質裡に抱える発展拡大を、結果として阻害している事に全く気付かぬ、個人資産家の莫大にする増加が、二大因として摘出され、且つ、掲げられるのである。

―続くー