日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆シナリオ通りに行けば主人公はハッピーになる筈だが。

 国会(衆参)予算委員会の質疑の中で、宰相安倍晋三が野党質問に気色ばんだか、それとも、たじろいで曰く、「(私立学園の設立に絡み名誉校長職を受けた)妻の行動は、私人の枠内のもので、国からの採用辞令も無ければ命令書も無く、故に、公人のものでは一切無く、また、犯罪視されるのも不当で、実に迷惑である!」と激怒、其れに対して野党の質問者(参院福山哲郎議員)は言葉を返し、「私は、安倍昭恵氏を犯罪(者)等とは一言も云っておりませんよ、ただ、ご婦人が被害を受けたのではないかと心配するだけなのです。」と、逆に慰められ、あまつさえ、諫められもしたのである。基より、森友学園に関わる名誉校長職への就任問題、即ち、宰相夫人安倍昭恵氏の名誉校長職就任挨拶(演説)に付き添った公的ボディーガード?五名に関わる、公人待遇か私人かの問題に関してのもの、更に言えば、宰相安倍晋三個人が、当該国有地払い下げ問題に深く関与したのかしなかったのかの質問(質疑)の中での、其れこそが一コマではある。

 最低でも二十億円前後で取引される事の可能な、広く纏まった優良不動産(国有地)を、僅か一億数千万円(資産評価額の14%と言われる)と言う不当に安い金額を以って財務省に因って払い下げられ、而も、排他的に払い下げられもした奇々怪々なる事案となっているもの、勿論、誰から暴かれた此れは犯罪の臭いのする事案であり、宰相安倍晋三のご婦人が関わる当該事案であるかは判らぬが、一つ一つ仔細が判るに連れて見えて来るのは、複雑に入り組む構図に組み立てられている事で、仕掛けが見え難くなる事を敢えて教えている様な事案としているもの、即ち、成り行きに因る不正事案の出来事などでは無く、あらゆる場面に於いて、作為乃至不作為を以って為すシナリオが、複雑に編まれては構成され、多くの演技者をも投入しては演じさせると言う、所謂、巧妙にして狡猾なる詐欺ペテン手法を駆使した、総掛かりで為す国有地の剥奪劇であり、其れこそが、学校法人を舞台として為す大掛かりにする国有地簒奪事件、其れも、国家行政府最高権力者たる公人の名こそ一切けしこまれて終ったが、ご婦人名が頻繁に出てくると言う意味では、国家ぐるみと思われても可笑しくはない、想像力を掻き立てさせられては余りあるもので、公的有名人の名を借り、本物の職に就く役人を借りては為す、新たなる詐欺事案の芝居と其の演じではあるのだろう。国家権力者同士で為す不条理劇、此れが罷り通れば、防ぎ様など在る由も無く、検察も裁判制度も無用の長物とはなるのだろう。其の惧れは具現化されつつある。基より、異常事態では在るのだろう。北朝鮮ミサイル発射が指し示す、不条理事象の比では無い。

 宰相安倍晋三は、当該国有地廉価払い下げ事案に関して、自分も妻も一切関わってはいないし、国会で取り上げられるのは極めて迷惑至極であると激昂、顔を赤らめてまで言うのだが、また、其れとは逆に、斯かる事案に絡み、俺も(自民党代議士)関わったかと問われれば、関わったとも言えるしとする代議士も出て来たり、更には、俺も(自民党代議士)オレも(自民党代議士)そうだと、自民党代議士三名が手を上げ、事の経緯のさわりの一部分を抜粋して述べるが、異口同音に彼等が云うには、金絡みの不正行為には一切関与しておらず、同僚政治家や役所を紹介しただけに止まると言うもの、基より、彼等自民党政治家が、国有地の払い下げ問題に関して、直接間接的に政治力を以って関与したにせよ、売買シナリオのどの部分のどの章に組み込まれて担当したのかが、今の時点では不透明に在る以上、政治家をして証人喚問するのは時期尚早と言うもの、基より、当該役務(不当廉売劇)を落札者と共に主導し、且つ、遂行したと推定される、担当役人でもある公務員の業務内容と、決断を下した其の事実関係が詳らかになった時点で、上記関係政治家三名を国会召致すべきが順序と言うものではあるのだろう。但し、司法機関(検察等)が先に動く場合は此の限りでは無い。とは云え、飛ぶ鳥を落とす勢いに在る安倍晋三政権の、其れもご婦人昭恵氏と、与党自民党三名が複雑裡に絡む”国有地払い下げ事案”、正義心高き大阪地検特捜部とは云え、2009年の不当にする件(小澤一郎氏陣営に対する冤罪でっち上げ事件)の、東京地検特捜部仕立ての事案とは異なり、藤紋の印籠を目の前に翳されては、最高検そのものが慮る事で、身動き一つ出来る事も無かろう。

 当該疑獄事案の真相解明に関して、関係者(学校法人代表、財務省や関連省庁の当時の国有地払い下げ決裁者)に対する、国会での証人喚問(若しくは参考人質疑)等の必要性を野党陣営が求めた件に対して、案の定、政権与党である自民党は受け入れず絶対反対を取るとの拒否姿勢を示し、理由として翳すには、罪無き無辜の民をして軽々にして国会に喚問したり呼び出したりの、威圧等を以って為す聴取は一切認められずのものとし、即ち、(動転する可能性のある)証人発言に、まさかの虚偽の事実が認められれば、相応の罰を喰らう事と相成る「証人」席へ呼び付けて座らせるなど言語道断のもの、だから駄目との、事由にもならない理由を付して、自民党は市井の民の招致を全面拒否して見せたのである。基より、自民党の政治家にとっては好ましからざる招致である事は明々白々のもの、此の事から明らかとなって推し量れる事実はと言えば、国家をすら手玉に取る形で、国有地の「不当搾取」をしたとまで疑われる人物をして、国会へと呼ばずに措き、況してや、司法権に於いても見逃された侭ともなる事で、犯罪性の芬々と臭う当該事案をして、国家権力者である日本国政府自民党権力者群)が、社会悪そのものを野放しにすると宣告している様なもの、自民党公明党、或いは、与党自民党に摺り寄る政党であれば上々の出来事として、不招喚をして処理もするのだろうが、国家社会正義の実存を信じ、三権の運用に対する、権力者に拠る、平等や公平公正性等に根差して運用される行政を信じて已まない国家国民にとっては、国家権力者群に因る、不条理の現わしに因る社会正義のへし折りそのもの、此れこそが、「天皇家」と日本国民に対する裏切り行為、冒涜そのものとはなるのである。

 八百万神様宣わって曰く、「華々しい異彩を放つ東北王朝蝦夷一族の末裔たる、直系の子孫をこそ絶やす事にも成るが、安倍晋三をして、山口県民は地域代表として国会へと送り出し、其れも、通算七年もの間宰相の座に就かせ、今でこそ明らかとなった、即ち、米国の傀儡子たる県民安倍晋三をして、首相職に担ぎ上げた自民党(員)に、持ち分の清き票を投じたのは、そもそもが、騙され易く、強いて言えば、選択肢の乏しい中で犯す、何時もの過ちの選択視を有する国民ではあったろう。だが、其れを良かれとして選んで措きながら、後から、アアでも無いコウでも無いと言っては、その様な、与えられし政治力しか現わし得ない被選択者たる安倍晋三に向かって、難癖をつける何ぞは身勝手なる言い分と言うもの、パククネ女史をして大統領に選んだ韓国民族然り、また、D.トランプを大統領に選んだアメリカ合衆国々民然りの、まるっきり同質にする身勝手なる体たらくに日本国も在れば、彼等韓米両国民も艱難辛苦し乍ら、現にじっと耐え、神に謝罪を乞うているので在るから、其処は、貧乏神と疫病神を背負う権力者を選択した先駆者たる、お前たち日本民族にもあれば、被選択者たる安倍晋三の遣ること為す事は、須らく黙過して耐えるべきもの、惨憺たる日本国家社会に陥ろうとも結果は甘んじて受け容れるべきが筋で義務、つべこべと今頃に言うのは身勝手に過ぎるだけ、現状を否定する権利さえ持ち合わせてもいれば、司法権の行使力を持たない道々の民は、次の選挙戦で行使すべきもの、即ち、持ち分の一票に変えて現わし、否定して見せるべきが道理と言うもの、立憲君主制下に措ける民主自由資本主義社会<日本国>に在っての、其れこそが日本民族の正しい遣り方ではある、と。」、八百万神様も、観念されたかの如くに言って下さるのである。

 八百万の神様、そうは申されますが、また、疑獄事件では無く無実に在る「国有地廉売払い下げ事件」であるかも知れませんが、黒白を付けず此の侭に当該事案を放置すれば、既に発生している可能性のある同様の疑念在る、国有地の払い下げ事例であるとか、或いは、現状並びに今後に於いて発生するであろう、狡猾を以って為す類似的詐欺事例をして、看過、黙認して良しとする様なもの、其の様な事態にでも陥れば、国家社会が忽ちにして荒むのは必定と言うもの、其れで無くとも、貧乏神と疫病神を背負っては他国用執政に勤しむ権力者が蔓延る日本社会、静謐にして平和なる、且つ、公正にして公平にする社会の積み上げなど、此れから先も望み薄には在るもの、言うならば、弱肉強食を是とする独裁社会に追い込まれる様なもの、左すれば、立憲君主制国家社会日本に於いて、望ましかろう権力体制では無いのです、と断言して徹底調査こそして貰いたい所だが、国会の予算委員会で、決裁した当事者たる国交省の役人も、或いは、財務省の役人もともに、現内閣法制局長官のふてぶてしい物言いとは異なり、答弁に於いて、真面目で頼りな気にも映り、而も、自らの生活が掛かっている様にも見えれば憐れそのもの、其れで無くとも防戦一方で色を無くす場面も見て取れ、嘘を吐くのも四苦八苦の状況にも在れば、此れ以上の追及は酷くには在るもの、更に言えば、宰相安倍晋三も妻を庇い、松井一郎府知事も元知事を庇い、其の他元大臣を一とする自民党員の三名もともに現役総裁を庇い、必死になって自己弁護もし、其れも異口同音に、悪さは決して遣っていないと言い張っている以上、此れ以上追い詰めるのは酷と言うもの、成り行きを見守るのもまた打開に至る道筋と言うもので、此処に至っても尚、<地検特捜部>が寸分たりとも動かぬ情勢下にも在れば、八百万神の申される通り、天網恢恢疎にして漏らさず、に未だ在る事を信じ、我等道々の民ぐらいは、事の推移を見守れば十分、と言う事なのでしょう。勿論、職掌からすれば、<検察庁>だけは除外の対象にはなりますけれども。