日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆何と往生際の悪い日本人で在る事よ。真に、日本人?

 元麻生太郎政権時(2008年9月〜2009年9月)には、漆間巌(72)と云う、マムシの如き鋭い目を持つ元警察官僚のトップを内閣官房副長官の公職に据え、野党陣営を重点とした公安活動(監視活動等)に当たらせ、後には、宰相麻生太郎自身の、漢字の読み間違いや奔放にする政治的傲りが祟り、国民に拠る社会正義の呼び戻しに因って、ともに下野させられたのだが、代わりに、自民党から政権を手渡される事と相成る件の、鳩山由紀夫/小澤一郎両氏が主導せし「民主党」を、下野させられし腹癒せも在っての事だろう、裏権力を、其れも巧妙に利しては当該民主党主導者両名を苦しめ、遂には、漆間巌の力が生きたのであろう、地検特捜部すら動かす警察権の動かしが功を奏し、僅か三年余りで、小澤一郎陣営に逮捕者まで出す「冤罪、でっち上げ事件」が成立、基より、菅直人野田佳彦を一とする当時の民主党幹部等の不作為を以って為す、地検特捜部に対する批判の声挙げずもまた、冤罪でっち上げ事件を成立させる一因となるもの、結果、国権執行の座から、屋台骨を外された民主党政権をして挫折に向かわしめ、野田佳彦政権をして完璧に引き摺り落とす事にも成功するのだが、一にも二にも、民主党の追い落としと自民党復活の原動力を担ったのは、他でもない、追い落とされては嫌と云う程に屈辱感を味わった、世が世であれば伯爵たる麻生太郎の功績大と為す所、即ち、元警察官僚<漆間巌>の功績大とする所で、現政権を掌握する安倍晋三をして復権させ、政権与党に返り咲いては国家権力を自由奔放に弄ばせ、恣にさせては此の世の謳歌を一段と強める、此の安倍晋三(62)本人の力や尽力では全く無いのである。苟も、日本民族を自負する道々の民だけは、努々、勘違いしてはならないのだろう、即ち、国家権力を掌握する現在に至る其の須らくが、*安倍晋三の政治家個人としての指導力、若しくは、統率力が為し得る業であるとの理解は、全く当て嵌まらずのもの、勿論、一つとして誤解してもならないのである。

安倍晋三が政権に返り咲く2012年の直前には、面識在る日本維新の会橋下徹松井一郎)の度重なる強い要請を受け、日本維新の会の「党代表」に就いて呉れるよう懇願され乍ら、自民党で再起は果たせるとの確かな自民党の党勢を下に、「維新の会」移籍は”穏便”且つ”丁重”に断わった経緯が在るのである。即ち、2012年末の総選挙で、自民党は再びにして圧勝を手にする事にも成るのだが、若し、自民党総裁安倍晋三に代わる事無く、谷垣禎一氏の侭に総選挙に突入していれば、恐らく、今頃は「日本維新の会」の代表として国会に議席だけは有し、森友問題も無ければ、加計学園事案も出でず、況してや、ジャーナリスト山口敬之に降り掛かる、凶悪犯罪揉み消し疑惑すら持ち上がる事も無く、ゴルフ三昧や温泉三昧、或いは、美食三昧に没頭、打ち興じていた事では在ろう。即ち、現自民党党首に比べれば、知性も教養も高く二枚も三枚も上の人物で、且つ、自制心を強いる其の自分に対してすら厳しく、且つ、政治経済的弱者にはより優しいと云う、言わば、理性的条理は決して曲げる事も無い、現にリハビリ途上の谷垣禎一が、よしんば、政権を握っていれば、既に、第一次、第二次安倍晋三政権下で、何十名かの不法行為者を閣僚並びに行政府スタッフの中に出している、浅ましい迄の不祥事は、ゼロと迄は言わないが、半減以下には済んでいた事ではあるのだろう。

 政権放棄後僅か五年で、返り咲きを果たした第二次安倍政権(2012〜)、爾来、コンビを組む官房長官の椅子に座るのが菅儀偉(68)であり、国家宰相たる安倍晋三(62)との、主従を指し示す組み合わせともなるのだが、今まさに安倍晋三政権に対して降り掛かる、其れこそが、悪辣にして不法不正にする、言わば、”学園疑獄事件”や”権力濫用疑惑事案”の閣外流出は、え〜又もか、此処でもかと、D.トランプを凌ぐ頻度でメディア間を席巻、コンビたる安倍政権に対して信を措いたとする、所謂、政権支持率60%以上の安倍信者群をして数%下げる、在ってもならない50%台の数字として現れたと、某公共放送では公表したのである。

 僅かとは言い乍ら淡い期待を賭けては、今や遅しとして次を待つ麻生太郎先生にとっては、実に気の毒で深刻な事ではあるが、安倍晋三政権に現に降り掛かる、疑獄事件や疑惑事件、或いは、政府内スタッフ群に因る口出し関与も在るのではないかと想定すらされる、強姦罪等揉み消し疑念等々が疑われている厳しい政治状況下にも在る安倍政権だが、前政務次官たる中川俊直(元自民)議員が、下半身問題が連発して明るみに出されたにも拘らず、議員職を辞する事無く、無事、国会議員の残留に成功し、議員報酬数千万円を手に出来てもいる様に、人の噂も七十五日の伝を担いで実施、政権を与る安倍晋三が、同様に、知らぬ存ぜぬを貫き通し、よしんば、此の侭に通常国会々期閉会を向かえれば、結束力も知恵も無く、基より、自刃の覚悟さえ薄き<民進党>幹部の政治的拙劣さにも助けられ、秋の臨時国会々期を向かえる次なる日には、優雅なる王様よろしく、ゴルフ三昧、温泉三昧、美食三昧に明け暮れては体力を養う、安倍晋三政権の溌剌とした”国会登場”場面を向かえるだけ、勿論、麻生太郎先生も斯かる光景を目にする筈で、基より、傀儡子宰相たる安倍晋三に降り掛かっていた上述せし諸問題はキレイサッパリに捨て去られ、基より忘れ去られては、中東問題か、或いは、米国D.トランプ政権の去就問題を巡っては振り回される中で、内閣改造を以って新たに為す安倍晋三に因る高らかなる咆哮を、即ち、日本民族をして、家畜人間奴隷牧場へと追い遣る、との宣誓をする安倍晋三の姿を、再びにして見る事と相成るだけ、故に、葉巻と洋酒を生き甲斐とする伯爵麻生太郎にとって、草臥れては待ち望む権力玉座の回帰が、再びにして手にし得る時間は殆んど無くなると云う事なのである。

 此れだけの悪巧みが露見し乍ら、また、状況証拠のみならず、悪巧みを指し示す行政府下関係省庁の記録、所謂、数多くのエビデンスが披瀝されながら、斯かる証拠品たる出所の有無を調べる所か、関係省庁に在籍した、エビデンスに記載在る人物、乃至は、関係省庁の元最高責任者たる事務次官の証人喚問要求には一切応じぬと、言明して已まない安倍晋三政権と番頭の官房長官菅義偉。如何に、自民党安倍晋三総裁の友党たる「大阪維新の会」や「公明党」両党に拠る篤い信任が、安倍政権には在り、更に、衆参両院に、其の両党を含めれば、三分の二を遥かに越す議席をも抱える事になる現在、第一次民主党政権時には全くにして成し得ず、逆に、徐々に野党への下野へと追い詰められて行く、所謂、国家権力の使い方わからずにでは無く、国家権力の濫用とも見紛う多数決の原理、乃至、三分の二の絶対原理を以って圧す安倍晋三政権の手で、在るものは無しとされ、或いは、黒は白とされ白は黒とされ、あまつさえ、世の条理が覆されて終うばかりか、安倍晋三にのみ突き従う者のみが国家社会に跋扈すると云う、言わば、魑魅魍魎の族のみが闊歩する奴隷社会にでもなれば(いゃっ、なっているのかも知れない)、究極的に喜ぶのは、子々孫々を抱えぬ安倍晋三と、シオニストユダヤ系大財閥資本家群が在るのみ、基より、あの日本を駄目にした藤原本宗家一族、即ち、其の末裔をして自負する、世が世であれば伯爵の栄誉定かなる麻生太郎先生でも無いのである。

 即ち、十七世紀初頭には既に確立してもいた、社会正義を基底に据えた権力者の事後処理と其の清算手法、即ち、弱小とは言えども、藩を構える権力者群であれば、己を含めた藩の権力者群に、作為、乃至、不作為を問わず、重大なる過ちが露見した時点での言葉の発しは欠かせずのもの、所謂、”武士”に二言は無しとして、「天皇家」、若しくは、幕府と藩民に対して謝罪、割腹を申し出、介錯人をして側用人(差し詰め、今に云う菅義偉あたりか)に下命、藩(官)邸内で白装束に身を包み、自刃に至る儀式を粛々として執り行い、主亡き後をして別藩(麻生太郎副総理)にでも頼み措く、所謂、書状をして認め、過ちを犯した当該「藩」に対する、御沙汰の渡しをこそ俟ったので在る。ところが、二十一世紀の今はどうかと言えば、道々の民に選ばれたからとの事由のみを振り翳し、且つ、道々の民の無知蒙昧に付け入り、悪法を制定しては国家権力を恣にして弄び、あまつさえ、無駄無意味にする弁解を多用、有言不実行を是として已まない傀儡子宰相たる安倍晋三にとっては、何を言っても馬耳東風状態に措き、社会正義取り戻しの効果無く無駄、基より、不敬にも、「天皇家」をしてさえ差配し得ると豪語する、傀儡子宰相の安倍晋三にとって、<主>たるシオニストユダヤ系大財閥資本家群以外に怖いもの全く無し、左すれば、七十五日の嵐の過ぎ去りを待つか、はたまた、国権をして再びに濫用、総務大臣辺りに目配せし、TVメディアに対する通信免許に関わる許可権を翳し、学園問題から強姦罪揉み消し問題にまで至る、「安倍晋三政権」に憑りつく問題の須らくをして、採り上げても良いが、永い時間に亘っては為さぬ様にとの、「斟酌」並びに「配慮」をして、此れまた、目配せを以って”読み取るべし”とは、経営者群に対して為すのであろう。

 斯かる総務省の根回しが在ってかは不明だが、TV映像への露出を少なくし始めた、件の、元文科省事務次官前川喜平氏(62)と、国家宰相安倍晋三、若しくは、菅義偉官房長官を含めた二名の行政権者との場外論争を見ていると、何れの言い分が正しいのかは勿論の事、何れの言い分と其の言語構成力に正論性が汲み取れ、更に言えば、国家社会的指導者(一方は現職、他方は元職だが)としての資質や能力が感じ取れ、尚且つ、政治家として相応しいかを推し量れば、偏見や予断を排除してさえ、淡々と、且つ、理路整然と、感情やジェスチャーを排しては事実のみを語る、前文科省事務次官たる前川喜平氏に、社会正義の”軍配”は挙げられるもの、勿論、官房長官たる菅義偉の発する前川批評なる「偏見や予断」を以って、見比べてすら、前文科省事務次官たる前川喜平氏の論と言い分に、国家社会正義の軍配は挙げられるもので、此れこそが、覆る事の無い事実披瀝そのもの、人間性の差と言って終えば其れ迄だが、一方は社会的生死すら覚悟した中での真実の披瀝であり、他方は、国家権力の現状維持を期するが為の虚言の上塗りに因る袋小路への追い遣られですら在れば、基より、国家権力を以ってしか為し得ない正論の否定ですら在れば、知らぬ存ぜぬに始まり、物証見当たらず、PCに遺るデータも皆無、況してや、証人に該当し得ずの人物をして証人席に据える何ぞの事例は過去にも無しとして、拒否や否定、或いは、不同意等々を繰り返すしか逃げ道の無い安倍晋三政権、在ってもならない不条理をして温存するしか生き延びる手法を無くした安倍晋三政権、と云う事でもあるのだろう。

 合衆国大統領のD.トランプに因る不法行為疑惑と、内容こそ異なるが、不法行為に関わる疑惑と云う点では瓜二つの問題を抱え込む安倍晋三政権、基より、日米両国の支配者たる<主>が、シオニストユダヤ系大財閥資本家群と云う、同一下の組織にも在れば、国家権力者として表舞台で為す演目の構成や脚色が、似通う事が在って当然のものと考えられるのである。況してや、一方は、精神的疾患が大いに懸念される、背中には、貧乏神と疫病神をして一緒に抱えし、合衆国大統領のD.トランプで在り、他方は、其のアメリカ合衆国のエージェント群により、セリフのみの指導を受ける事で政界をして斯くの如くに生き延び、況してや、六年もの間延々と、指図されるが侭に、日本人が好みそうな政権を以って管理掌握、不条理政治経済活動を私的に為してさえ、上記、巧妙に為す管理掌握手法に隠れ。遮蔽し得て来たもの、基より、<主>に因る、斯かる政治的介入や台本の手渡しが全く無かリせば、彼安倍晋三は第一次政権を以って頓挫した侭の帰らざる組、2012年以前には既に、政治家としての終焉を見ていた事では在るのだろう。勿論、存在感の軽重こそ異なるが、現状の安倍晋三もまた、貧乏神と疫病神を背後に抱え込む、世が世であれば異邦人の一人、日本人には成れてもユダヤ人には成れないのである。

 状況証拠の突き付けどころか、安倍晋三一派に因る、国家財産簒奪テロルの実体的証拠すら、数多に、其れも、簒奪事案を管轄せし元事務次官に拠って、確証を突き付けられながら、逃げ回るしか道も能も無い、菅義偉をして官房長官に擁する安倍晋三政権、合衆国大統領D.トランプ以上に其の立場は危うい場面に追い遣られている、と云う事の様だ。最早、条理在る逃げ道など何処にも有りませんよ、安倍晋三さん!。