日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆愚行と狂気そのものを振り撒く安倍晋三と其の一群

 都議選投票間際の前日となる7月1日に、元総理の麻生太郎同様、縁起の良い場所と定めた秋葉原に停車させし自民党街宣車壇上から、自民党都議選候補者の為に応援の檄を飛ばした宰相安倍晋三、其の彼に向かい、”安倍晋三辞めろ!”であるとか、”共謀罪を取り下げろ!”であるとかの、罵声を浴びせ掛けていた聴衆達に向かい、相当に頭に来たのだろう、彼等を指差して、「こんな人達に負ける訳には行かない、、、!」等と怒鳴り返し、群衆の挑発を受けて立ち、街宣車の天辺から応報して見せ、手厳しく言い放って見せたとある。基より、指示代名詞を使っては見下す、安倍晋三特有の言い回しは何処かで聞いた様な言葉でも在ったなと思いを巡らせれば、確かに在った、即ち、或る日の記者会見でブチ切れた特務大臣が、二階派総会で壇上に立った今村雅人が其の人なのだが、「あちら(東北地方)で(大災害が起き、こちら側でなくて)良かった、、、」なる、日頃から頭に措いていた九州人特有の、東北民に対する蔑視意識を基にする発言を吐露、記者団に、”あちら”なる、見下げし発言の真意を問い質されては逆上、本当の事を言って何が悪い!(このバカヤロウども!)なる言葉遣いと目付きで件の記者を恫喝、挙句の果てには大臣職を棒に振って終った”今村雅弘”なるエテ公大臣の、不用意なる発言を思い起こしたのである。

 ”類は友を呼ぶ”なる格言を、斯くもまざまざと間近で、且つ、食傷気味に、我ら東北生れの民に対して厚い思いを抱く道々の民に対しても、嫌と云う程の多弁を駆使、隠れ乍らにする蔑視感を嫌と云う程に見せ付けて呉れた政権は、実態は扨て措いても、中曽根政権を以ってしてすら、現国家宰相である安倍晋三政権を措いて外には思い付かぬもの、其れ程に酷い立ち枯れし幹に集まった、彼等胡散臭い徒党集団の存在には在ろうと言うもの、基より、一部官僚群にとっては猟官運動成し易き場所とでも言うもの、全体として見ても、徒党が巣食う場の様相すら呈しても居たのだが、斯かる不条理にして不道徳にする体制は、安倍政権が再登板せし2012年末以降に拡散し、定着せしもの、勿論、半端者が集合せし傀儡子宰相安倍晋三率いる政権と言う事にもなるのだが、必然の結果として、大臣職にのみ止まらず、副大臣、並びに政務官や副政務官等にまで至る、所謂、不条理下に措かれし人材が数多に並びもすれば、まともなる人物を探し出す事の方こそが難解を極めるもの、似た者同士、類は友を呼ぶ其の主体者たる人物が、よしんば、実に立派な人物で、後ろ指を差される様な不徳塗れの人物では無く、況してや、条理に基づく有言実行を一つとして違える事なく推し進め、何事に於いても適え得る人物であり、決して虚言だけは吐かず、勿論、国民をして裏切らずの人物の下に集合し得てもいれば未だしも、現下に国権の指揮を執る政権はと言えば、不徳のぬるま湯にドップリと浸かる安倍晋三と、権力者としての彼が選択せし、類は友を呼ぶ所の友たる閣僚陣、乃至は、内閣府陣営に因る政権運営ですら在れば推して知るべし、条理在る再生を期待する方が、土台無理難題にはなるもの、2009年当時に於ける国政政党たる「民主党」と言う、<鳩山由紀夫/小澤一郎>両氏が率いて台頭して来た様な、条理在る国家社会の再生可能性高き政党が、他にも在ったと思わしめる様な既存政党、特に野党は、今現在はと見回せば何一つとして見付からずのもの、勿論、「2009年」当時に於いて「日本共産党」と言う政党が存続はしたのだが、我等道々の民にとって、当時の「日本共産党」に対するものの見方は、二十世紀初期に於いて現れ出で、二十世紀後期まで続く事となるソビエト連邦をイメージするもの、其の、強権にして強圧的国家社会体制とでも言うべき、或いは、共産党一党独裁的国家社会体制とでも称する、畏怖すべき国家社会体制を造り上げる政党で或るとして摺り込まれ、シオニストユダヤ系大財閥資本家群をして、己の<主>に措く、安倍晋三の言では無いが、共産党は”恐ろしい存在である”との其れこそ印象操作が在ったが故に、一千四百年もの間、「天皇家」をして日本国の家長として育ち、現下一億二千万日本民族をして、赤子として育った我等道々の民にとっては、中々にして受け容れられずの政党が、此処に云う「日本共産党」では在ったのである。

 恐らく、昨年度初にして開かれた、天皇陛下が御出座しになられての通常国会での開会式典、よしんば、其れ以前に見られても居た通り、志位和夫委員長を一とする「日本共産党」の国会議員の面々が、例年通りに、政党理念に基づくが故として、国会開会式への出席を拒否しても居れば、恐らく、小生もまた政党としての「日本共産党」をして無視、若しくは忌避、勿論、潔癖にして融通が利かず、頑固にして愚直過ぎる有能なる人材が日本共産党には揃ってはいても、立憲君主制の君主たる「天皇家」の御存在をして敵と据え置く思想を継続、即ち、王侯貴族をして敵とし、排除して当然とすべき思想は、十九世紀初頭には既に、シオニストユダヤ系大財閥資本家群の前進となるロスチャイルド家により生まれ出しもの、基より、米国の傀儡子為政を模倣し体現さえする格好の、安倍晋三政権もまた同様にも在れば、論外には措いた筈、所がである、即ち、上記通常国会での、天皇陛下が御出座しになられての国会開会式で、何と、志位和夫委員長を一とする「日本共産党」の議員の全てが総て出席しては揃い、天皇陛下を御迎えしての起立に拠る、「国会開会の辞」を、頭を垂れて拝聴したのである。即ち、後には共産党員のリクルーターに問い合わせては確認する事にもなるのだが、確かに、PRこそしないが、「日本共産党」は立憲君主制下の現国体を認め、且つ、君主たる「天皇家」の御存在をして確かに国民全体の象徴たる御存在として留め置く理解をこそ受け容れ、即ち、一般国民と同様に、日本共産党もまた党員も、「天皇家」をして尊崇の象徴体として国民全体の<長の位置に措く>事を認め、且つ、受け容れた事を、あの日の2016年1月末には確認してもいるのである。

 此の10日に、被疑者安倍晋三抜きで為された衆参両院に於ける閉会中審査(衆議院)で、香川県出身の自民党議員平井某かに拠る質問が荻生田官房副長官にもなされ、即ち、「、、、最後に、色々と関与が言われている荻生田氏に質問します。率直に言って、(実際に、あなた荻生田氏は加計学園問題に深く)関与が在ったのか無かったのかを明確に答えて下さい!」の質問に、荻生田副長官ボソボソと曰く、「私も、政務官を始め、特に、文教問題に関わる仕事を永く務め、其の為に、文科省等には役職者を一とする職員には知り合いも多く、其の為に彼等の相談に乗って応える(答える)場面も在ったりはしたが、(加計学園問題に対して現に勘繰られている様な悪さ等)決して(わたしは)してもいないし、関わってもいない。」と否定して見せたのである。加計学園問題には、自分は関与していないと否定して見せ、如何にも、疑惑は非常に迷惑であるとでも言いたかったのであろうが、逆に、上記答弁は、荻生田副長官の(安倍晋三に代わる)深い関与と其の存在の実体をこそ知らしめたもの、即ち、文科政務官等の永きに亘る務め、或いは、文教族政治家としての永年に亘る関わりの中で、文科省幹部職員等の多くの知り合いの有しと、彼等からの相談の受け付けや回答の手渡し等々の事実披瀝等々、此れだけの状況証拠が多々揃えば、荻生田議員が現に受けている疑惑をして、本物として看做すには十二分になる自供の吐露、ではある。

 元香川県知事を参考人に招いた政府の思惑、所謂、加計学園疑惑問題の主人公である安倍晋三の<寝技>とは無関係のもので、即ち、都合十年間にも亘って加計学園とともに進めて来た、香川県に拠る加計学園在りきの政策であって、安倍晋三等は無関係に在る、と言う事を強調していたのだが、まさに、香川県元知事の宿願の成就と、安倍晋三に因る策の巡らしに因る実行は、結果は同じ出口にもなったが経過は全く別なるもの、元知事の願望が叶ったからでは無い事をこそ、態々参考人に招かれて発言した元知事は知るべし、基より、犯罪者をして覆い隠す脇役に招かれ、喜んで了解した事をこそ恥じ入るべきである。基より、加計学園の誘致成功に関わる、土地代や上物等の建設価格、或いは、大学運営に関わる莫大で、且つ、継続的補助金の投下実践等が、何処から生み出され、また、何処から投入されて来るかを考えれば、元知事こそ悦び燥いでも良いが、まともな国家行政を信ずる国民にとっては大迷惑、無駄なるものに対する莫大なる予算の結果投入は、更なる国家財政赤字の積み重ねともなるもの、何故に斯かる国家総掛かりの不条理政策など受け容れられ様ぞ。

 何一つ目新しいものが出ず、野党陣営からも、参考人として招致した者(前川喜平氏)からも、全く出ずに在れば、臨時国会を開いてまで特別委員会を開催する必要性など全く無いと言い放った自民党議員の竹下亘、此の、まさに、愚びたる自民党の代名詞とでも言うべき、虫酸の走る醜悪なる顔を差し出しての悪態の放ちを耳目にすると、如何に自民党嫌いに凝り固まった小生では在っても、林芳正や後藤田正治、或いは、石破茂等々にとっては此の上無く酷いもの、箸にも棒にも掛からぬ連中に因って何れは支持される彼等を想像すれば薄気味悪きもの、日本の政治的指導者として嘱望される彼等には、可能であれば、「日本共産党」にでもリクルートされて移籍、政治経済的第一線で活躍して欲しいところである。

 安倍晋三問題は未だ続く。