日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆前川喜平氏の政治的関わりが期待される。

 自身の思考乃至思想に基づく言動や行動が、此れ程までに酷く拙劣で醜く、且つ、一方向にさえ己の指し示す行方も定まらず、政治活動的手詰まり感さえ帯びて来ている合衆国大統領D.トランプ、本々が大統領選挙制度上の<綾>に因る大統領ポストの獲得と云う、確かに、彼をして合衆国大統領に選んだ”形”の合衆国市民では在るのだが、そうでは在っても、現状に於いてさえ彼に不満を抱える市民の過半、就中、其の一般的市民の日常的動きはと言えば、のほほんとした生活を満喫する態様にも見え、何処の国の大統領の事か知らんとする、他人顔が多数を占めている様にも見え、不満を持する一方では悠々自適の生活を送る様は、実に異常であり不気味にさえ映るのだが、また、此の様に言えば、余計な事で要らぬお世話であると逆襲され兼ねず、こちとらの事を心配するよりは、寧ろ、我が米国の支配者の言うが侭になるしか能の無い、お前等の国のボンクラ総理大臣や、常態的に問題を起こし続ける、此れまた節操無き軽薄なる政治家達の行動や発言をこそ心配すべきが先決で、正すべきが肝要であろう、と言われそうだが、残念乍ら正鵠を射ているもの、まさに其の通り、左すれば、此処は平身低頭して謝罪、合衆国の皆さん余計な一言を云って済みません、次回の選挙戦から我等道々の民もまた心を入れ替え、鬼の目を以って政党や候補者を選択、一票を投じる事にし様とでも言って措きたい所である。

 だが、そうは云っても、米国に於ける政治経済的状況の推移如何に因っては、我が国の宰相が米国の傀儡子政権として現に存在している以上、弥が上にも、日本国家国民の頭上に強く影響が及べば、狂気的大統領に因る指揮や差配をして看過見過ごしになど出来る筈は無きもの、況してや、日本国民が総じて抱く国家社会条理、即ち、理性的に為す条理の表しと其れに基づく社会正義の顕現等に関し、何一つとして現宰相は、民族的”反応”を示さずに措き、更に、民族的条理在る反応を示す処か、嘘八百を逆に並べ立てては、不条理の推進と擁護に走る<現政権>の政治の有り様は、極めて犯罪的で在り、且つ、重苦しく、道々の民の肩に圧し掛かるばかり、基より、静謐さを求める道々の民が、現状の不条理をして看過、見過ごしにしている訳では無く、また、のほほんとしている訳でも無いのだが、其れは、首班(主犯)たる宰相のみならず、閣僚陣は基より党員に至る迄、安倍晋三と云う日本国民の仮面を被る其の政治的実体に迫れぬ侭、個人的利の追及のみに措かれているが故に、目を逸らし、気付かぬ風を装っているだけ、まさに、共同正犯の体を指し示しているもの、左すれば、傀儡子宰相安倍晋三が発する、”右へ倣えっ!”、”直れっ!”、”回れっ右っ!”、”全体進めっ!”なる一連の掛け声に、唯々突き動かされては動く様こそが、極めて異常にして不安をこそ抱くもの、基より、誰一人として、”何故に右に、何故に左に、或いは、進まなければならないのか、”の、向かうべき目的地を問わずに措き乍ら、進むかに対して不安一つ感じない自民党員全体の無反応振りを見せ付けられれば、其れこそが空恐ろしくもなろうと云うもの、”国家権力の濫用”と云う、所謂、司法権をしてすら私的に流用する自民党の、在ってもならない過去の政権を思い起こせば、身の毛の弥立つのもまた無理は無きもの、左すれば、反トランプ活動を推し進めるまともなる米国市民には、揶揄に対する赦しをこそ乞うものである。

 ミレニアム期突入以前より、自浄作用まったく働かずの危機的状況に陥って久しい自由民主党に関して言えば、傀儡子宰相安倍晋三と其の政権をして安定期に入ったと錯覚している様にも見えるが、実は、そうでは無い事は現状の安倍政権をこそ見ていれば理解は出来様と言うもの、左すれば、政権そのものが不条理性に根差していると判明した時点で、志有る党員の手で、即刻にして、”玉座”から引き摺り降ろし、新たなる条理在る新政権をして早々に樹立して見せると云う、確とした信念と強い意気込みを内外に示し、乃至、約束事を以って国民の前に、貧乏神と疫病神を排除する事を示さなければ、次に向かえる総選挙こそ安心だろうが、即ち、民進党の済し崩しの瓦解に因り、第一党の地位をこそ自民党は占め、公明党大阪維新の党と共に政権与党の座を繋ぐ事も出来様が、直ぐ様に持ち上がるで在ろう国際的不条理の音に対応する軍靴の鳴り響きが本で、解散総選挙はまたもや必至となり、自由民主党もまた、二度とは政権与党には戻れずの政党とはなるのも必須、との推定もまた出来て来るのである。基より、此処五年以内には聞こえて来る、其れは軍靴の足音と云う事なのではあろう。

 一地方選挙では在ったが先の都議選で見られた、言わば、既成政党とでも言うべきか、其れとも、権力経験政党とでも言うべきかの政党が悉くにして「ノー」を叩き付けられ、著名人率いる新たな政党(員)が過半数を占めると云う選挙結果が見られた様に、政治的には完全に敗北し、終わった観すら呈する、国政を担った経験すら在る既存政党の民進党、基より、都議選での、瑕疵一つ無しに措く中での大惨敗は、総括のみならず、解党的出直しの決断すら無用とするもの、斯かる政党に在って、党首蓮舫女史をして不当不正に総括、訳の分からぬ理由を付しては代表の座から引き摺り降ろし、次なる党首の座を巡る争いに立候補した、所謂、色褪せし二人の顔と代表戦参加の意気込みを聞かれて、ともに言い分聞いて感ずるのは、好ましき理由を付して為すべき、言わば、代表の座を求めるべくに動いた、真っ当にする理由一つ見られずに措かれたのは残念至極と言う一言に尽きるもの、基より、前原誠司(55)と枝野幸男(53)と云う、齢こそともに五十台前半と若く、政治家としては此れからの人材で在ると云う側面を持つには持つのだが、与党民主党に在りし当時の彼等は、ともに政権(鳩山由紀夫菅直人野田佳彦の三政権)を担っていた当時の党幹部であり閣僚陣、就中、前原誠司は、政権獲得間際に在っての党首まで務めた経験も有し、一方の枝野幸男はと言えば、菅直人政権時の官房長官職をも務め、且つ、件の、原発事故に関わる事となる、当時の宰相菅直人の現場見聞をこそ優先させた誤判断に基づく行動の為に、防ぎ得た可能性すら捨て切れぬ<原発爆発事故>をして誘発させ、莫大なる損失を福島県民に与えたばかりか、福島県民十万人以上をして未だに流浪の民状態に措いている、所謂、元官房長官枝野幸男は戦犯の一人に該当する筈の者、其れこそが現与党である自民党閣僚陣に繋がり、遍くに於いて東北人をして小馬鹿にする、或いは、小馬鹿にし続ける九州人閣僚の不適切なる言動を誘ったり、原発は(ウィルスの様に)うつるものであるとか示唆してみたり、アチラ側で(原発事故が)起きて呉れて良かったであるとか、はたまた、原発事故被災地に戻るか戻らぬかは、独り福島県民自身が決するべき個人的責任で在る何ぞの、極めて不穏当にする発言にすら繋げていくと云う、所謂、原発事故当時の閣僚で在り政党幹部ですら彼等二人は居たのである。基より、民主党をして奈落の底へと引き摺った、所謂、社会正義の顕現一つ現わし得ずに措く、恐らくは別になる事由を知ってか知らずかは扨ておいても、紛う事無く、政治的不条理性は潜在させた侭に措き続ける彼等二人、国民が離反した事実要因など全く知らずに放置するもので、自覚無き戦犯の一人でしか無いのだろう。何れが代表になるにせよ、今の民進党に生き永らえる術は殆んど残されてはいないのだろう。

 確かに、有能なる政治的人材をして、今もなお少なくは無く党内に抱え、見捨てるには忍びない気もする民進党と云う事にはなるのだが、何しろ、民主党をして政権政党に押し上げた政治的実力者たる、<小澤一郎/鳩山由紀夫>と云う稀有にする両政治家、世が世であれば、自民党安倍晋三麻生太郎何ぞは問題とせずに措き、政治能力的にも自民党の両名をして凌ぎさえする斯かる政治家二名をして、タンデム体制に就かせては国政を執行させ乍ら、旧自民党政権の仕掛けた、不法を以って為す常套手段たる貶めの罠にまんまと嵌った、国政を預かったばかりの民主党、即ち、司法権に帰属する官憲が作為せし件の、政治家小澤一郎を標的とした「冤罪、でっち上げ事件」の術策に嵌められた事で、本来に於いては民主党(幹部)そのものが社会正義の顕現に向けて動き、一致団結して事実解明に走り、己の党を率いる両権力者、所謂、タンデム政権を司る鳩山由紀夫/小澤一郎両名に、官憲が指摘する様な非や過ちが認められ、党内調査結果を以って確かに在った事が確認されれば、政治的手続きを踏んだ上で、官憲の手へと引き渡されれば未だしも、民主党幹部群は、官憲の手を借りて為す民主党政権貶めの術策をして、薄々と不条理なる異臭を感じ取る所か、芬々として臭い漂う、「冤罪、でっち上げ事件」と云う罠の悪臭すら感じ取り乍ら、司法府や立法府に対してすら異を差し挟まずに野放し状態に遣らせては黙認、在ろう事か、菅直人岡田克也、或いは、野田佳彦等に至っては、最高幹部たる<小澤一郎幹事長/鳩山由紀夫内閣総理大臣>をして、党から放逐しては国権の関与に与ると云う、言わば、一生一代掛かってすら、彼等三名では到底在り付ける事も不可能なる、国家権力執行の地位に目が眩み、官憲(旧権力者群+最高検察庁幹部群)の為す、不正不法を以っての作為的貶め劇に加担、不法不正行為者に対する何等の対抗策も手段もとらず、あまつさえ、不作為を以って見過ごしにすると云う、在ってもならぬ、我一切関知せずの姿勢を示し、其れも、国民の前で白昼堂々と、”官憲を利した一昔前の暗黒政治”を認めたのが誰在ろう、両巨頭の追い出しに成功し民主党菅直人であり、其れに続いた野田佳彦、荒ぶる神速素戔嗚命は東北地方をして、原発事故並びに大地震や大津波の災禍に措き、近隣諸国との間に不協和音の波風立てにすら走らせる事にはなるもの、社会正義の顕現一つ成し得ず、其の様なかったるい政治しか出来なかった民主党に、日本国民の誰が、野田佳彦に続く民主党に、再びにして投じ様とでも言うのか、其の様な愚びたる思考を有する者など、道々の民には一人として居らず、今、七年目を向かえた、瑕疵一つ無き安倍晋三政権には見えたが、此処に来て現れた、所謂、彼の不穏当にする政治手法をこそ、此れでもかとばかりに目の前で見せ付けられている道々の民では在るが、現安倍晋三は次回の選挙では認めずに措きはするが、で在るからとは言えども、民進党に其の代わりを託すと云う事には決して繋がらずのものではあるのだろう。

 基より、司法権が未だ積極的に動かずに在る中で、森友学園問題や加計学園等の不正を以って為す疑獄事案では、民進党も地道なる調査を開始しては続行、国家行政最高権力者安倍晋三の直接関与が疑われる、明々白々たる不正不法行為の実現に関するもの、即ち、国有財産の詐取であるとか、国権を嵩に掛けては為す凶悪犯罪の揉み消しであるとか、所謂、国家権力者としては最も遣ってはならない、自由奔放に為す不法行為や不正行為、其の疑惑を民進党は、寝食に費やす時間すら惜しむ中で解明を続け、宰相安倍晋三個人に帰属する疑獄事件として調査追及、今も尚、厳しく、証拠固めを推し進めている民進党の中堅幹部群、就中、桜井充議員(61)であるとか、玉木雄一郎議員(48)であるとか、所謂、理路整然としていて弁が立ち、物怖じせずに堂々と敵将と渡り合い、勿論、私的にも清廉潔白(に見える)にする当該政治家群が、現民進党にも少なくは無く居もすれば、確かに、民進党に一票を入れたくもなろうと云うものだが、覆水盆に返らずは日本民族にとっての正統にする格言で在り覆し得ずの俚諺と言うもの、恐らく、今次の民進党代表選挙戦の様に、社会正義の顕現何一つ為し得なかった在りし日の、其れこそが、政権与党民主党をして下野へと追い遣った、戦犯と称して然るべき二名が、即ち、前原誠司枝野幸男が、次なる代表選に名乗りを挙げる様では、国家国民の賛同や同意すら受けると云う事は先ず有り得ず、何れが勝利を収め様とも、其の次に向かえる事となる衆院選挙戦等を以って、実体的にも消え去る命運をこそ託つだけでは在るのだろう。

 寧ろ、民進党が遣るべき事は、党首の首の挿げ替え等では無く、野党へと下野を命じられし時にすら避けて通った、所謂、政治能力不足の露呈に因る一連の、国民をして頭を抱えさせる事になって終った件の大迷惑で在るとか、即ち、爆発せずに済んだ可能性すら残す、原発事故(メルトダウンに因る水素爆発)にまで至る、宰相菅直人に因る一連の政治的不作為や、或いは、水素爆発に因る放射性物質の飛散拡大が招いた、福島県民十数万人をして未だに漂流させ続けるディアスボラ状態への追い遣り等、最期の政権与党を担った民主党野田佳彦の、此れまた、遣りっ放し等に対する政治能力の無さのみならず、民主党全体に見られる事となる、所謂、政治的無責任性を大いに知らしめて終った、特に、菅直人等を一とする幹部群に対する「総括」すら何一つとして遣らずに措いた現民進党、その様な名前を替えただけの、不良爺ジイを数多に抱えた政党に、誰が貴重なる一票など投じ様ぞ、日本民族をして舐めて貰っては困るのである。

 次、若しくは、其の次の政権を担う「受け皿」となる政党はと言えば、民進党でも無ければ公明党にも非ず、基より、日本維新の党でも無ければ、此れから立ち上げ予定の日本ファーストの会でも無いのである。若しかすれば、元文科省事務次官であった、政治家向きの「前川喜平氏」をしてリクルートが適い、衆議院議員候補として採り込み得た政党が在れば、紛う事無く、自民党に次ぐ第二の政党へと上り詰めるのであろう。基より、リクルートされるかどうかは判らずにも在る政治的逸材「前川喜平氏」だが、一つ言える事が在るとすれば、安倍晋三が現に率いる自民党には、リクルートされる事は先ず無いと云う判断だけは成立する様だ。