日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆自由自在、遣りたい放題の傀儡子政権

 国権を有せし在りし日の民主党(員)自体に、必要最小限たる社会正義の顕現が何一つとして現し得ず、権力争いを基にする内部亀裂を押し進めただけの政党が民主党であって、其れが本で見離されもしたのだが、よしんば、当該無力や無能に変わる、賢策の提示や権限が一つとして無かりせば、最早、生き残るのも時間の問題の様にも見えるのが現「民進党」、勿論、2012年末を以って終焉していて当然の政党民主党ではあったのだが、其れでも尚、一歩譲って、其の存在を是として認め、而も、自民党公明党をしてともに唸らせる程の社会正義の顕現や、自民公明両党をして平伏させるべくの国家施策等の提言でもしてすらいれば未だしも、何一つとして良策を提言しては講ずる事も出来ず、基より、提案する事も無ければ党内にて問題提示する事もせずに措き、与党の挙手起立要員同様に、唯々国禄を食み続けては国会の門を潜るだけの菅直人野田佳彦をして重鎮の座に居座らせ、大事そうに抱えている民進党であれば、已む無き、其れこそが衰退への道とでも云うべきもの、一方、偶々にして、先の都議選で大勝した小池百合子都知事の知恵と知名度を頼りに、即ち、政党「都民ファーストの会」を都議選直前に結党、而も、僅かな期間でこそ在ったが、55名にも上る政権第一党の都議会議員の送り込みに成功、斯かる都議選の成果をして、国政選挙でも同じ事が叶うのでは無かろうかとの準え事を策し、即ち、二番煎じの預言者風情の仕掛け人当たりからゴーサインの示唆をも受けたので在ろう、国政に絡む新政党起こしを起案された小池百合子一門、所謂、俄かに新党造りに動いたのは、自民党を離党せし若狭勝衆院議員と、時間差を以って民進党を離党した細野豪志衆院議員の両名、どういう形で新党設立に向かうかは未だ不明にも在るが、巷間言われている内容から推し量れば、都議選に臨んだ時と同様に、小池都知事の知恵と知名度を拝借しての、新党の立ち上げにはなろうと云うもので、所謂、「国民ファーストの会」か「日本ファーストの会」なる政党名の掲げで在るかは、それこそ知る由も術もともに無いが、其の様な名称にはなろるのだうとの推測は成立するもの、即ち、十二分なる時間をこそ与えて終えば、国民は、「民進党」をして気に留める事こそ無いのだろうが、紛う事無く、小池都知事の絡む斯かる政党設立を気に留めるのは、森友問題や加計学園問題、或いは、強姦犯の見逃しや解放、並びに、無罪放免の作為等々の、所謂、国権濫用の可能性をすら十二分に残す、不条理事案の実現や覆い隠しが現実問題として存在しもすれば、渦中の人物たる傀儡子宰相安倍晋三をして、衆院解散の宣しに導くのもまた已むを得ずのもの、即ち、早速にする国政政党の新たなる立ち上げをこそ画策したのは誰在ろう、傀儡子宰相安倍晋三をして動かす一群と言う事にはなるもの、彼等は、機に乗じて早速にして動き、都知事小池百合子陣営の政党造りの態勢(党員、資金、党是党則等々)が完璧と迄は行かずとも、或いは、「民進党」の勢力図が下降曲線を辿り、従来の支持者が離反して終っている現状をこそ重視、且つ、代替政党を決める前に利する事を決断、大義名分が在ろうと有るまいと、ズルシャモやズルシオの遣る事と蔑まれ様が褒められようが、或いは、国税八百億円をして無駄に散在させ様とも、此処は一発、錯覚序に、再び「国権」を乱用、「天皇家」の力をすら悪用、現衆院議院をして解散に至らしめ、新たな選挙戦に措くのも国家宰相が執る国権の常道で在ると、傀儡子宰相安倍晋三が再錯覚下に措いたにせよ、不思議でもなければ全くの間違いでも無いのである。仮に、安倍晋三が、解散総選挙で再びにして惨敗、政治的に死したにせよ、次に傀儡子宰相の椅子に座る人物は確定して居様と云うもの、少なくとも二人は準備されているのであろう。

 かつては、政権政党にすら祭り上げられた「民進党」では在ったが、基より、2009年度に於ける、麻生太郎政権の自信過剰に因って為された解散総選挙では、前代未聞ともなる獲得せし得票者総数、約三千万人にも及ぶ「民主党」支持層をつくり上げて貰い乍ら、三年後の2012年には野田佳彦の猿真似の解散総選挙で、国民の信頼をして概ね三千万人国民をして離反させて終い、爾来、民主党(現民進党)に対する依頼心、乃至、期待心を以って為す国民の支持は、終にぞ戻る事も無く、内部亀裂から始まる崩落途上へと今は措かれ、而も、米国の傀儡子政権として発足、認知すら得られている様にも見え、今や、政界全体から、押しも押されもせずの不動の地位すら与えられて確立、不定期権をして手に入れた観の在る自民党総裁安倍晋三と其の政権の如くに、民進党は、再びにして其の受け皿にすら成る事は絶対に無かろうとの状況把握もまた成立、或いは、あれよあれよの忽ちの内にして立身出世が叶った様にも見える、現職都知事小池百合子の指示や指導に従い、略、年内迄にはとの目算も在ったのであろう「新党」の立ち上げと其の準備、斯かる二点をこそ忌避し、問題としてクリアーに出来れば(実際には出来ないのだが)、自民党安倍晋三政権は、不条理政治の維持継続が本物、且つ、長期的政権にもなるとの、所謂、政権を維持し続けると云う意味に於いては、小池百合子都知事の推す政党が現出する事で、自民党の失う勢力に対する補完が成し得、安定的長期政権が紛う事無く適うと読んでいるネオコン一群、其の彼等に今は牽引される傀儡子宰相の安倍晋三、声を荒げて曰く、「いちいち説明することこそしないが、23日以降(25日迄)には、解散に至る経緯を話したい」として機中の人となったのである。

 何もかも指示されるが侭に動き、且つ、与えられしシナリオに基づき、話すだけに止まる傀儡子宰相であればのもの、時として、背後にまで迫り来る第二第三の傀儡子為政者予備軍の足音に、当然に苛立つ事も在るのだろう、即ち、「いちいち、、」等の付け足し名詞に見られるイライラ感は、其れを表すもの、特に、安倍晋三政権に対して準備された現下の大義名分無き解散は、如何に「反日本民族」感情を根底に抱える張本人としても不快下に措くだけでしか無きもの、党勢をして実質的に雲散霧消させぬ為の解散宣言の強いられですら在れば、尚更の事、面白かろう筈も無いのである。如何に、一億日本民族総炭化策をして究極的謀とする彼とは言えども、、、。

 <主>として崇め奉られ、突き従って当然とする傀儡子政権をして自在に作り、日本列島に於いて、其れこそ間断なく、演目とシナリオを作っては渡し続ける傀儡子宰相の補完役は、即ち、シオニストユダヤ系大財閥資本家群の意を繋ぐ、ブレイン群として政権の足許に配備されし集団、所謂、青い目の<ネオコン>群はと言えば、日本民族の習俗習慣、或いは、文化文明をして須らくを熟知、基より、日本民族の決断に至る政治的性癖としてすら理解もし、変化が予期すらされる可能性さえ見て取れる今次の解散総選挙ですら在れば、逆に、長時間を措く衆院(解散)総選挙は、現政権にとっても、或いは、<主>の予定配備する第二の傀儡子政権予備軍にとって、じっくり時間を掛けては国民に内面まで開示して見せる事となり、更に、日本民族の条理にそぐわずに厭きられもするでは、決して好ましい状態とは言えずのもの、況してや、かつて民主党政権に追い風が吹き、麻生太郎政権をして野党へと下野させた2009年の再現さえ、現状安倍政権に感じ取れもすれば、衆院解散をして急ぐのもまた道理なのである。基より、与党を倒して野党に下野せしめ、政権政党の受け皿を担う野党こそ現状に於いて見られる事も無いとの理解すら有るが、流石に、政治的強かさだけは三枚も四枚も上を行くシオニストユダヤ系大財閥資本家群、日本に於ける某政党の、未だ疎外下に措かれ続ける其の特異なる能力、並びに、存在感をして、決して無視する事が出来無いのもまた事実と言うもので、基より、安倍晋三現政権をして、”賞味期限切れ”乃至”消費期限切れ”政党と判断、見ているのも事実であれば、現在に見られる政界そのもののゴタゴタに乗じて、また、小池百合子女史に対する注目度が冷めない合間に、当該新興勢力をして利用するのも賢策の一つと、ネオコン群が考えたにせよ不思議でもなく、当然の事とさえしたのであろう。彼等で在れば遣らない筈は無い。

 来る10月10日の衆院選告知と22日の投開票で、略、解散総選挙は決したとされる今次の安倍政権、如何に傀儡子政権とは言え、似非情報を流す事すら無ければ、真に受けても十分の果たし事とでも言うべきもので、10月22日の投開票は動かぬものとはなるのだろう。

 日本民族が裏判を捺し、大枚を以ってインド国に投じるとの保証書を手渡し、インド共和国から帰国、日々を措かず、踵を返す様にして「アフリカ会議」が開催されるNYの国連本部へと閣僚陣と共に赴き、演説を打った傀儡子宰相安倍晋三、演説の持ち時間の大半は、アフリカ大陸が抱えるシリアスなる問題には多くを割かず、北朝鮮国が関わる核搭載弾道弾ミサイル開発問題に割いて発言、批判に次ぐ批判を加え、D.トランプ大統領に負けず劣らずの誹謗中傷を繰り出し、北朝鮮国政府を非難して見せたのである。傀儡子宰相安倍晋三に因る、此の手の誹謗中傷の言葉の投げ付けだけを観ていると、今でこそ、”ヘイトスピーチ”なる言葉を思い浮かべて終うのだが、五十五年以上前に遡る、所謂、古い時代の、昭和三十年代後半には既に見て取れてもいた、一部の、負けん気の強い日朝間高校生同士の、目が合えば、即、<罵り、と、乱闘>へと繋がる、常態的暴力沙汰を目にした事を思い出すのである。育ちの良い?安倍晋三先生にとっても、五十五年前と言えば小学生に入って二年目か三年目の子供の一人、よしんば、其れから五年後としても多感にする中学生から高校生の時代には当たるもの、”全くの関わり合い無し”ともせずの所、をして思い出したのである。

 其れこそが、極めて卑劣で、極めて単細胞の取る口撃であって、当時の高校生と変わらぬ罵詈雑言の投げ捨てでもあれば、如何なる愚か者でも宰相役は遣ってやれなくは無きもの、基より、棺桶に一歩足を突っ込んでは横たわるか、其れとも、未だ遣る事が在るとして思い止まるかを思案する、くたばり損ないの小生にすら為し得ようと言うもの、但し、如何に死に損ないの小生とは言え、さあどうぞ! 思う存分の核ミサイルを日本列島に撃ち込んで下さいと言わんばかりの、北朝鮮国に対する罵詈雑言の投げ付け等は、三文の得にもならずに措けば、当然に遣らずのもの、何となれば、其れ以上に遣る事は多々遺されてはいるもので、基より、悲惨なる日本民族の浄化何ぞを選択する以前に、日本の国政をして掌握する国家宰相の首を挿げ替え、且つ、政権与党を下野させる事で、外交交渉を通じた新たなる政権政党を打ち立て、理性的条理在る宰相を擁立、斯かる新たにする外交陣容を以って、和平条約の締結に向けた、北朝鮮国との外交的話し合いに突き進むとの、日本民族国家として不可避的命題が遺されてはいるからである。

 基より、来る10.22を以って、好戦人たる傀儡子宰相の異邦人安倍晋三をして下野させ、暫くの間、小菅の東京拘置所内に留まって貰い、懺悔の読経でもあげて頂こうではないか。