日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆傀儡子宰相に対する”よいしょ!”何ぞは願い下げである。

 居ても居なくとも良い、其れこそが棺桶に一歩足を突っ込んだ老いぼれし道々の民の一人に、馬鹿だの阿保だの好戦人だのと罵られ、挙句の果てには、痛くも無い腹を探られたのかどうか迄は知る術こそ無いが、また、日本民族をして人一倍嫌う人物に、政治的指導などされたくも無いし、任せたくも無いとの罵声を浴びせ掛けられては貶められ、挙句の果てには、異邦人だの傀儡子だの金遣いが荒い嘘塗れの政治屋でしかないとまで蔑まれてい乍ら、其れでも尚、宰相の椅子に縋り付き、其れ程に似合わぬ国権の座に連綿として、狂人安倍晋三は居続けてもいるのかと言えば、此の権力の座に在り続ける限りは、条理、不条理に関わらず、好き勝手に日本民族をして動かす事が可能となり、其れも、一介の政治家で在れば、疑われて終えば必ずや官憲のご厄介になるべき不条理行為で在ろうが、国権を司る行政府の長の立場に現に在る以上、拘束や監禁を解かれる其処は治外法権に措かれては遊べる場、基より、関与せし不条理の事実を示す公文書や公的なメモ類、或いは、公的写真や公的録音と云う、疑いを容れない不条理関与の証拠物等を発見されぬ限りは、直接的にではなく、間接的にも、己の不条理にする命令や指示すら無関与のものとして看過させ得て終うもの、況してや、内閣府の下に、行政府たる各省庁の最高指揮官等を抜擢しては一堂に会して集め、且つ、差配、斯かる指揮官等に対する人事権乃至予算執行権すら、内閣府そのものが直接的に行使しても居れば、紛う事無く、国権を有する者にとっては、”望み通り、遣り放題”に措くもの、然るに、其処は行政権履行の場であり執行の場ですらあり、差配顕現の府とすらなるもの、即ち、私的にでは在ろうが公的にではあろうが、国権を有するものの遣ること為す事の須らくは、彼等官吏群にとっての仕事の場、所謂、国権を以って為す決め事の場とはなるもの、左すれば、国権を発動する者にとっては、己の思い描く通りに、而も、自由自在に<税>が使える事で、自己満足が最大限に得られもすれば、国権の手放しだけは、せめてもの後五年位は拒絶下に措きたい所、即ち、安倍晋三は今や、第三第四の暴君たる、”ムガンベ大統領”や、”アサド大統領”気取りの中に在り、日本民族朝鮮民族をして奴隷看做しに措く、其れこそが、蝦夷一族の末裔たる独裁者安倍晋三をこそ気取って見せ、日本民族をして家畜人間奴隷牧場へと追い遣り、永くない間には、日本民族に対する民族浄化をこそ成し遂げると云う、不条理にする目的成就をこそ目指したいからでは在るのだろう。

 基より、彼が気付いて居ようと、解らずの侭に在ろうとも、今や日本国民の一人として様々なる分野で活躍している、古代東北王朝史を構成せし蝦夷一族の末裔群にとっても、等しく、受け容れられず、迷惑この上なく措くもので、且つ、日本国民全体にとっても好ましからざる行為と云うもの、事例に挙げるのも憚れるが、現大韓民国文在寅大統領が、弾劾裁判で大統領職を剥奪された前政権で在る朴槿恵大統領の為さしめし件の、韓日条約として締結せし「日本軍慰安婦問題の集結宣言」をして一方的に解除し且つ放棄、日韓間の条約として形式上遺されてこそいるが、実体的には条約破棄の状態に措き直した様なもの、両国間の合意を以って為す双務契約と云う、国際社会の常識すら覆した、極めて不遜に措く異常なる行為でさえ在ってみれば、一方の国である日本国にとっては、到底受け容れられ難き韓国の国家行為では在る。其の様な意味からすれば、国民に向かって現に為す安倍晋三の政治行動も、文在寅大統領の為す、日韓政府間締結文書の一方的破棄同様に、外交儀礼をして忖度外に措く、其れこそが不条理下に晒すものである。

 「会計検査院」の調査報告を俟って、森友問題(並びに加計学園問題)は再度、国会審議での俎上に載せ様ではなかいと意を示した筈の傀儡子宰相安倍晋三、つい先日に於いて為された、件の、会計検査院調査活動を以って為す調査結果報告はと言えば、国側に因る不正不当の作為的実行を知らしめるには十二分の調査報告内容になっているもの、基より、存続していて然るべき物的証拠等が、宰相が関わる”国権乱用問題”の急浮上で、俄かに消えた(或いは消去?された)と云う点でもまた、森友問題に深い関連性を示していた宰相夫人安倍昭恵氏にも疑いが及べば、直接的間接的にする影響力すら及ぶ事は確かとなるもの、宰相たる安倍晋三の、己自身と夫人のに因る、関係性、乃至は、関与の否定は、其れこそが覆されて然るべきもの、検査院報告に因る調査結果はまさしく総理大臣が絡む”黒塗り”の事件で有る事を示し、麻生太郎が弁護に向かった、黒塗り文書の俄かにする開示は、これまた新たなる小細工の証として、加計学園問題同様に地検特捜部の捜査下に置かれて然るべき、疑獄事案となるものですらある。

 日本国の法制度では決して認められる事のなかった、伝聞証言の証拠としての導入や、米国内に於ける不当にして得た証拠(司法取引を以って得られた証言等)を以って訴追された、故田中角栄氏に対する、所謂、ロッキード事件の刑事事件内容に比すれば、現に疑惑の俎上に在る、何れは何百億円や何千億円にも上る<森友/加計学園>問題や、<強姦犯>をして無罪放免下に逃す措置問題等は、雲泥の差に措かれる程の悪質さには在ろうと云うもので、不正義極まりない問題には措かれるもの、即ち、ロッキード事件なるものは、国家首相田中角栄と云う人物が、米国の横槍の入れに因って貶められ、且つ、嵌められた、其れこそが宰相の貶めに関わる不法行為に因るもので、一方、何百億円や何千億円にも上る<森友/加計学園>不正疑惑問題や、国民自体が最大にして忌むべき犯罪、特に、強姦罪と云う、凶悪犯罪に対する関与を疑われし司法権への不正関与等が、現実問題として、安倍晋三政権側に浮上しても居れば、罪は罪で在っても、何れが政治的重篤さに在り、国家社会的にも悪影響を及ぼしているかは言わずもがなではある。