日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆遂に、有能なる官吏に犠牲者を出した安倍政権。

 表現力や演技力、或いは、蓄財手法にこそ<相違点>が認められても似たもの同士の権力者、と言う事なのだろう。現職総理大臣、並びに、現職財務大臣の、安倍晋三麻生太郎の両名、其れでは、彼等の何処が似ているかと言えば、国家権力者としての夫々が、自分以上にエラく、且つ、強いモノは他には無しと信じ込み、指一本を動かすだけで、立ち処にして、閣僚陣は勿論の事、政務次官事務次官を一とする人物群の誰であろうとも動かす事が出来、指示の内容次第に因っては、両権力者の思い通りに始末し処理する事さえ可能になると確信、国家律令すら瞬時に違えて濫用する事も可能であるとの、唯我独尊にして独善的に振る舞う、過剰とも言える自信に満ち溢れた類似下に措かれた彼等は人物群、言うならば、精神疾患著しい米国の大統領D.トランプに似通いし彼等二人は人物群と言うもので、狂気的幻想下にどっぷりと嵌まり、而も、排他的権力保持者に在る事をすら決して疑わずに曲解して迄受け容れると言う、まさに、錯乱せし夢想の中で生きる彼等は似た者同士の人物なのであろう。基より、異邦人傀儡子宰相たる現下の安倍晋三も、或いは、かつては、司法権にまで裏から影響力を及ぼし、政敵でも在った民主党政権の総帥たる<鳩山由紀夫、小澤一郎>の両名をして謀略の罠に掛け、司法権を流用しては毒牙に掛け、遂には、僅か三年有余で謀略に成功、総帥両名を冤罪に吊るし上げては下野させ、政権与党の座から引き摺り降ろし、あまつさえ、民主党をして実質的に倒壊させると言う、言わば、現在に見られる分裂せし民進党のシナリオを描き、実践に移したのも、彼麻生太郎現職財務大臣の為せる業、彼こそが、司法権をして裏から動かした謀略仕掛けの張本人で在り首謀者、法を超越濫用しては平然とする、本物の司法権者すら逃げ回りたくなる、彼等は二十世紀に生まれし最後の、其れも似通いし、且つ、超大物を錯覚し自認しては得意然とする政治家ですらあるのだろう。

 少し言葉が過ぎた観なきにしも在らずだが、まさに”事実は小説より奇なり”をして地で行くもの、国有地不当廉売に関わる森友問題にせよ、国権をして利益誘導を画策したのではないかと疑われている加計学園問題にせよ、或いは、強姦容疑者に対する不法救済行為の司法権関与にせよ、其の何れもが、現職総理大臣たる安倍晋三個人に対して科せられし”疑い”と言うもので、現職財務大臣に対する疑念浮上では無かった筈だが、疑念発覚後相当の時間経過を辿る中で徐々に見えて来たものはと言えば、犯罪を構成する事件そのもので在る事と、言わば、各犯罪の傍証ともなる、数々の事象や事物が様々に浮上した事に因って、増々宰相個人に帰属する不法事案である事が濃厚になって来たのだが、基より、職掌的に見れば、財務大臣たる麻生太郎の関与は在って当然としても、急なる関与の疑念は拭えずのもの、即ち、国会に於ける上記問題に関わる諸質問に於いて、被質問者が主人公たる宰相安倍晋三本人に対してでは無く、財務大臣麻生太郎に取って代わると言う、言わば、主役交代劇が、今、確かなものとして見て取れるのである。

 即ち、何が此処に言う確かさで在るかと言えば、森友問題に関しては、「村木厚子女史貶め事件」で悪名を馳せた件の、泣く子も黙る組織と言われし、(大阪)地検特捜部が、大阪府松井一郎府知事の告発(詐欺罪)を受けて受理、被疑者籠池夫妻を早速にして拘束、相当の時間を経過し乍ら今も尚、慣例に抗うかの如くに拘留を為し続けていると聞くが、当該事件に直接に関わる財務省大阪理財局管轄下の資料は、其の須らくが、公金詐欺罪に関わる証拠品の資料として既に押収され、理財局の手元には無く、大阪地検特捜部の管理下に置かれ、押収されていると言われ、故に、野党が要求する資料請求には(一つとして)応じられないとする、所謂、財務大臣麻生太郎の登場と説明発言をして、国民は言い措かれる事と相成るのである。即ち、司法権に対して、特に、強い影響力を与え、指揮権すら持つと、自他ともに認める現職財務大臣麻生太郎が、安倍晋三宰相から主人公の座を奪うかの如く、遂には、矢面に晒される場へと出て来たのである。基より、財務省が絡む問題に在る以上、成り行きでの搭乗にも見えるが、努々、野党が財務大臣をして疑念追及の場に引っ張り出したのでは無く、財務大臣である彼麻生太郎自身が買って出た、其れこそが被疑者の椅子と言うもの、そう見えても致し方の無い時期と場面の選択では在ったろう。

 司法権たる、特に、警察や検察に強い影響力を及ぼす人物であると、自他ともに認める大臣麻生太郎、宰相であり血縁関係にも在る安倍晋三に対して続く、野党陣営に因る飽く無き社会正義の追及に余程腹が立ったのであろう、森友問題に関し、地検特捜部が大阪府からの告発を受理、理財局に捜査が入り、関係資料等の書類が押収されている事を受けて、当該疑念に対する”払拭”の為の俺の出番が来た様だと感じ取ったのであろう。早速にして、野党陣営の質問に対して言い放った言葉はと言えば、地検特捜部に押収されていて調べ様が無いし、また、捜査に支障を来たすから、(司法当局から、改竄文書の有無に関わる)理財局管轄下に措かれるべき証拠資料等の問い合わせは、差し控える様に言われている、だから(今の所は)出来ないとの発言を、麻生太郎大臣はしたのである。

 麻生太郎大臣が断言している様に、真に、国権(国会)に与えられし国政調査権を活用、司法権が押収せし証拠資料をして開示すべくに要請した場合、其れは、立ち処にして否決され、基より、犯罪調査の妨げになるとして門前払いに付され、拒否されるかと言えば、”ノー”、最高検の判断に則った拒否行為では在ったにせよ認められずのもの、国権に優る拒否権有資格者など存在し様も無いのである。勿論、理性在る条理を以ってすれば、其の程度の事は、財務省は基より司法権に於いてすら判りそうなものだが、”同じ穴の狢”同士で在る一方の雄たる財務大臣には、独善が本で、気の毒にも純粋には理解していなかった様で、斯かる開示請求の拒否行為はより悲惨なる結果へと、宰相安倍晋三をでは無く、国家国民をして隷属下に導く役割を、財務大臣麻生太郎もまた選択して終ったと言う事である。

 当該森友学園土地取引問題に関わる、所謂、資産払い下げ者たる渦中の財務省理財局業務資料等、其の一売買契約締結に関わる決裁公文書(原本)に対して為されたとされる文言入れ替えに因る改竄疑惑は、在りし日の、大阪地検特捜部に因る大掛かりな「厚生省官僚村木厚子女史に対する冤罪事件」をして暴いた、件の、朝日新聞記者の調査発見に拠るスクープ記事と同種の発見になるもの、基より、証拠あってのスクープ記事なのであろうが、唯一の心配事はと言えば、対する相手は、現国家宰相で在る安倍晋三と、また、上位閣僚に位する大臣麻生太郎を相手にしてのもの、況してや、資料管理者と言う事で、地検特捜部が現に絡む問題に迄移動させた事を考慮すれば、第二弾、<野党陣営 VS 麻生太郎>の闘争図式とさえ言えなくも無い。基より、安倍晋三は国家権力不当濫用常習者と言う事で、国民の間には共有された認識下に措かれたと言う事である。

 地検特捜部をして、立法府(国会議員)との間に割り込ませる事で、想定上、調査不能の”壁”を築き、若しくは、既に押収せし文書の差し替えや、差し替えこそ作為しないが、特命官吏から手渡されし文書をして、(地検特捜部が)現に証拠物として押収している(原本の)紛う事なきコピーで在るとして、既に、国会に引き渡されたものと同一の(改竄されし)こぴーをして引き渡されるか等が、即ち、行政官吏ぐるみの不法行為に因って為されずとは、断定し得ずのもの、或いはまた、原本の出し渋りを謀っている間、公文書の改竄者たる実行者側は様々な策を弄して改竄に次ぐ改竄を施すか、何れにせよ原本は開示されずに無期限の侭に隠匿され続けるのでもあろうが、其れもまた、朝日新聞社が保持するであろう物証(原本コピー等)の開示で何れ明らかともなれば、須らくが、即ち、当該事件に関わる異邦人傀儡子宰相たる安倍晋三(並びに宰相夫人たる昭恵氏)の不関与発言も、或いはまた、泣く子も黙る司法権に対しては、国家宰相以上に影響力を持つと今もなお自画自賛する、あの日本を駄目にした藤原一族本宗家の末裔たる財務大臣麻生太郎の唯我独尊も、其の須らくが鼻を明かされ、挫かれて余りあるものとはなるのだろう。基より、財務省検察庁も其の様な、国民をして騙し、言わば、毒牙に掛けて平然とする様な、利己主義的権威主義丸出しの振る舞いは、一億日本民族をして、理性在る条理に率いる選ばれし彼等としては為し得ぬ業と信じたい所だが、過去にも同一事例を、或いは、現に、不条理事案として連続に見させられてもいれば、俄かに信ずるのは無理と言うもの、況してや、法務省を含む各省庁の上席官僚群をして其の支配下に措き、人事権並びに予算権をすら掌握するとされる、異邦人傀儡子宰相安倍晋三をして長とする、内閣府の下に措かれているとすれば尚更の事、国家権力者絡みの不祥事事案に対して、全幅且つ無定見にする、彼等選良の官僚群に対する与信など、努々与えられる由も無いのである。

 但し、高級官僚群の全てが総て、国家権力者たる閣僚陣の意の侭に動くう様な、言わば、猟官活動に明け暮れする様な、チンケで落魄れし、政務官僚や事務官僚ばかりでは無いのも事実、基より、今に於いても未だに政治的疑念として燻ぶり続け、疑惑の火種としても熱く遺る件の、「加計学園問題」等でも見られた人物、即ち、社会正義心著しく強く有した、元事務次官たる前川喜平氏の様な、言わば、国権濫用甚だしい国家権力者群に、臆する事無く、其れも、真っ向から対峙しては抗い、且つ、順風満帆なる自らの将来をすら擲ってでも、社会悪の総元締めと揶揄さえされる国家権力者群に、敢然として立ち向かうと言う、言わば、一般人で在れば其の過半は断念さえするであろう、”損得”勘定を前提に措いての社会正義顕現の放棄は、決して選択する事もなかった人物の様に、財務省幹部群の中からも出て来ないとは限らないのである。また、そう在って欲しい所ではある。

 余談にこそなるが、国家権力者群に因る、数々の不法行為や不正行為を暴き、チェックし続ける朝日新聞社(等)をして名指しし、敵視して止まず、且つ、悦に入りさえする<安倍晋三麻生太郎>だが、基より、当該メディアに対する批判が正当であれば同意もするが、現下に起きている問題は、我等日本民族に対する一億総奴隷化や、一億総民族浄化に関わる重大事案に繋がるもの、特に、あの日本を駄目にした藤原一族本宗家の末裔を自負して已まぬ、其れこそが、一人の日本民族でもある現財務大臣と雖も、異邦人傀儡子宰相が隠密裏に押し進める、民族奴隷化策や民族浄化策の対象から決して免れ得ぬ日本民族の一人、である事を忘れてはならずのもの、知識として熟知し頭に入っていてさえ批判の声を上げるのであれば、致し様を知らぬ愚者として放置もし、捨て置く所ではある。

 遂に、と言って良いのだろう。「森友学園問題(かどうかは未だ不明だが)」で、財務省の関係吏員に犠牲者を出して終い、尚且つ、渦中の人物たる、現国税長官もまた退陣を表明、二年、若しくは、三年をして継続すべき地位を、僅か一年で、其れも、上記犠牲者をして其の後を追うかの如くに退任表明せし事は、実に奇怪なる事象と言うもの、残念至極では在るが、増々にして国家権力者(群)に対する疑惑は深まったと言う事で在るのだろう。