日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆天変地異発生、政府は如何に対処するか。

 死刑制度そのものに賛否両論根強く残る日本社会でも在るが、ますます陰湿にして狡猾にする不条理社会の襲来をすら見ている日本国、斯かる現状を以ってしては、死刑制度の撤廃そのものを議論の場に持ち込む事すら適わぬ事では在るのだろう。基より、死刑制度そのものをして、神に抗う非道なる行為であり、人間として下すべき決断に基づく行為には非ずと断罪しては説き、即ち、神の御手に委ねられる他、人の手で人の生命を絶つ事など決して赦されるものでは無いとの(神の)教示から、国内法に死刑制度を採り入れず、且つ、廃棄して<今は用いずの国家も多々在り、また、国際社会の趨勢としても同様に、死刑制度全廃の方向へと突き進み動いているかにも見える昨今ではあるが、殊、我が国に関してのみ云えば、真榊を神近くに奉げても、また、柏手は打っても、はたまた、賽銭こそ左あげても、其れこそが、魂が籠められる事も無い、その場限りの等閑にするもので、唯々自身に向けての”益”到来の叶う事を願うだけのもの、他人の事など、況してや、神(々)様が歩まれし、非道に晒されし”業”の道には思いすら致さず、唯々己の欲の満足乃至充足を通り一辺倒に祈願して見せるだけ、斯かる不十分にする(精)神的社会状況下に在っては、死刑制度全廃をして先進国の務めでも在るとし、廃止に向けた議論の俎上に載せる事自体に無理は在しようと言うもの、二十一世紀に入ってすら既に十八年も過ぎ、十二分に過ぎる程の時間をこそ経過しているが、社会そのものに浸透すべき律令制度そのものの理解が、一向に人心に行き渡らず、生煮え状態、若しくは、干乾びし状態にこそ陥ろうとしているもの、基より、律令制度の運用と其れを受け取るべき国民の間には、埋まる事の無い思考乖離が発生、為に、民族固有のものとしても育つべき死刑全廃に向けての論はのだまだ未成熟なる段階に措かれた侭なのである。

 地下鉄サリン事件を一とする、邪教集団に因る無差別殺戮や暗殺等、遣りたい放題のテロル事件を繰り返した犯罪者群は、極刑に至る刑を既に受けて確定させ、即ち、諸事件の勃発から略30年のつい先日に於いて、十三名の内七名のテロリストが、国民に対する事前告知を以って、極刑たる死刑に処されたのである。基より、存命の侭に措かれた残る六名のテロリストは、恐らくそう永くは無い時間内に於いて、法務大臣の手で、死刑執行の指図書が発令せらるる事と相成るのであろう。

 斯かる極刑の実行に絡み、またぞろ、上述せし”死刑制度”に関わる撤廃意見の表明も為されて来てはいる様だが、即ち、斯かる凶悪にする重大事件に在っては、何故にその様な狂気的犯行を惹き起こす動機が生まれるに至り、はたまた、常人では及びも付かない凶悪犯罪を犯してしまうかに、何の躊躇いも無くして、人を殺める事を罪悪とさえ感じず、所謂、己を以って犯罪の実行者へと駆り立てた其の心的背景乃至動機には、いったい如何なる力と後押しが作用して働いたのであるか等の、問い掛けに対する答えが未だ明確には為されておらず、極刑たる死刑の履行は、斯かるテロル事案の発症内容をこそ解析し読み解いた上で執行に付しても遅くは無いとの、所謂、死刑廃止論とは根源的に異なる主旨から成る、其れは、死刑宣告の繰り延べ論の展開ではあるのだろう。勿論、死刑全廃論も出ていない訳では無く、出て来ている事もまた事実では在る。但し、刑の宣告から執行にまで至る時間が、此れ程迄に永く時間を掛けている日本国家社会の制度とでも言うべき仕組みの存在が、慣習ではあるにせよ残ってもいる所から、また、其の間、延々と苦しみ苛まされ続けるであろう受刑者に思いを致せば、時間を以って為す十二分に過ぎる責苦の与えにも通ずるもの、故に、更なる刑執行の伸ばしともなる死刑囚に対する調査研究時間の付与の為の執行延長は、死刑制度を是として主張する者にとっても、残虐の更なる付与とはなるもの、左すれば、日本国家社会が現に置かれている機械慣行的刑罰態様を以って推し量れば、更なる生存期間の延長ともなる調査研究時間の付与は、決して日本社会そのものに馴染むものではないとさえ云えるので在ろう。

 死刑制度を撤廃して是とするほどに、国家社会自体が成熟している国に在るかを問えば、国家権力者の椅子に座る人物が、アイデンティティーをして日本国に措かず、異邦人傀儡子宰相たる人物の登場すら(何代にも亘って)見てすらいれば、死刑制度の良し悪しを論ずる以前に、廃止乃至全廃を前提とした議論の開始そのものが提案されずに在る現状をこそ訝しく感じるべきもの、況してや、司法権そのものが、殊死刑制度の用い方に関して、法概念も用い方もともに機械的になり、マニュアル化しつつの現状にも在れば、当然の事として、一般国民との間に死刑制度に対する存廃の議論など高まる筈も無いのである。複数名以上をして、其の毒牙に掛けて殺めなければ、極刑に処せられる事は先ず無いとの判例の積み重ねは、司法をして生業とする者にとっては良きマニュアルともなろうが、犯罪が常に身近に潜在する一般国民にとっては、中々にして理解不能に措く所ではある。

 半分の七名とは言え、テロリスト集団に対する処刑の実施、其の直後に起きた、広域的且つ連続的爆雨に因る、日本列島西域に関わる水害の発生は、空前絶後に措く酷きもの、基より、天変地異に因る自然災害でも在れば、上記処刑とは何等関わりも無いと断定したい所、基より、異邦人傀儡子宰相安倍晋三執政時に於いて発生した其れは大災害、即ち、彼が後背に抱えし貧乏神と厄病神の御乱行の結果として、現れたとは思いたくも無い。