日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆制御不能に陥った政権政党。其の十五

 8月26日か27日かの何れかは知らねど、自民党員として正式に、鹿児島県で、総裁選出馬表明を挙げた傀儡子宰相の安倍晋三、父や祖父が活躍せし山口県や、母方の郷里たる秋田県に於いてでは無く、鹿児島県で、而も、新装なりしルール改定後の党総裁任期三期目を、恥も外聞も無く表明した其の事由は一体何かと、問い掛けて終わった前章、此れは只単に彼が気が向いたからであるとか、或いは、偶々鹿児島での遊説が重なっていたからそうした訳等では無く、何かしらの理由や思惑があったからこそ、鹿児島県の地で遣った迄の事で、其処には、二種類の理由が浮かび上がるものである。先ず、其の一つには、明治維新(革命)を成功させた功労者の一人たる<西郷隆盛>翁に倣い、其の翁の生地たる鹿児島の地にあやかって、高らかに立候補の一声を発したものか、若しくは、明治維新の最大の功労者で在った西郷隆盛翁で在ったにも拘わらず、遂には、自身の思いと政体(明治維新政府)の描く政体条理が全く噛み合わずに異なるとして離反し帰郷、明治維新政府体制に真っ向から抗う形で、皮肉にも、明治維新が本で喰い扶持を失った数多くの仲間に推されては反旗を翻し、負け戦となる(覚悟を決めて)西南戦争(役/1877年)に盟主として加担し、敗れ、而も、先の、会津藩を核とする奥羽越列藩同盟を、不法行為を以って追い詰めては、多数の死傷者を出し、瓦解させた戊辰戦争(1868〜69年)で、生き残りし会津藩の志士は明治維新政府の軍師に徴用されたのだが、其の元会津藩の軍師に因って討たれると云う破目に陥った事実を、彼安倍晋三は認識しており、故に、古に遡れば、安倍晋三の血は古代東北王朝の雄たる蝦夷一族に繋がり、西郷隆盛翁の血は九州の豪族たる熊襲(クマソ)一族の血へと繋がる、言わば、列島古来の同一民族たる”西郷隆盛”翁であった事を認識していた事で、安倍晋三は敢えて其の地で総裁選への三選を表明、旧体制(西郷隆盛翁を殺めし会津藩の残党)への怨念の晴らしとしたかったかの、何れかでは在ったろう。

 徳川幕藩体制をして粉微塵に打ち砕いた明治維新政府(革命軍)を語れば、明治時代を創り上げし(新)日本国家政体の、愚政も数多に入り混じる、今に至る百五十年有余の歴史に於いて、知られざる史実や蓋をされし内実が少なからずに出て来るであろうと確信するのだが、今は、其の詳細解明の時期には非ずと判断するので述べるのは差し控えて措くが、其れでも尚、執政権掌握以来今に至る安倍晋三政権に因る、理に適う事は何一つせず、何も聞き入れず、何も語らずの侭に、直近の六年間をして無為無策の侭、特に、行政府をしてだらしなく措き続け、在ろう事か、異民族や異国群の為にのみ国権を発動しては恥じ入らず、即ち、ツラッとした顔をした侭に、欠陥機オスプレイを数千億円も出しては大量に購入してみたり、また、無駄な買い物に終わる可能性の高い、これまた、維持費も掛かる、五千億も六千億円もするイージスアショア―をして買わされ続ける安倍晋三政権、其ればかりか、戦後一貫した侭に貸与(斯かる裏契約は供与で在って無効)の形を取り続ける沖縄県をして、米軍固有の恒久的基地と化し、沖縄県民の意思等は須らく排除してネグレクト、日本国家が形態上、国際社会から独立国家の権利をして取り戻して以来今も尚、即ち、岸信介政権に始まり現安倍晋三政権へと引き継がれる国家権力者群の下でさえ、延々と、日本国家社会は、アメリカ合衆国の実体的被隷属国として措かれた侭に在り続けているのである。基より、在ってもならない事ではあるが、斯様なる日本国家が現し示す隷属的態様、特に、酷さの際立つ、沖縄県に関してのみ云えば、数多非道の淵には措かれしもの、如何に日本帝国と云う国家が、シオニストユダヤ系大財閥資本家の姦策に誘われ、目も当てられぬ惨敗(敗戦)を喫したとは言え、白旗を立て、蟄居幽閉を以って為す、懺悔を受け容れられてから既に67年(サンフランシスコ平和条約締結/1951年9月8日)も経てば、隷属的地位はとうの昔に解消されていて然るべきもの、だが、そうは成らずに、吾が友人(71)の一人ですら、日本が独立国家であるとは”あなた”に言われる迄は露たりとも知らなかったよ、てっきり、日本国は今も尚アメリカ合衆国の51番目の州かと勘違いさえしていたよ”との自虐的言葉すら吐き、基より、常談では在ったろうが、今現在の安倍政権にはスンナリと当て嵌まり、違和感無く見て取れ、耳に収まる言葉ではある。

 鹿児島県の地に於いて、自民党総裁選出馬の第一声を発した安倍晋三に付いてもう少し触れると、今は、日本民族そのものに敵意と怨念を抱く、確信的ハグレ蝦夷とでも言うべき捻くれし根性を持つ傀儡子宰相安倍晋三は、同類(蝦夷一族の確証こそ無いが、九州の勇者たる”熊襲一族”をして先祖にするのだろう)として看做した、明治維新(革命)政府樹立の立役者たる西郷隆盛翁の成し遂げし功労に与り、翁誕生の地鹿児島で勝ち戦の雄叫びを挙げた”積り”ではあったのだろう。基より、日本民族も数多に混じる自民党国会議員405名と、同数の地方票405名を抱え持つ、合計810名の票の八割方が、ハグレ蝦夷の傀儡子宰相たる安倍晋三へと流れる可能性すら在れば、自民党は最早終わり、と云うよりも寧ろ、日本国家社会が終わりを告げて然るべきもの、即ち、故岸信介や故佐藤栄作等に騙され続ける事に慣らされた(馴致され)八千万の国民は、今また、安倍晋三にもまんまと騙され続けて来たもので、其の結果が、自民党代議士のみならず、自民党員全体で七割も八割にも及ぶ圧倒的多数を占める人々が、傀儡子宰相たる安倍晋三に絶対的信を託すとの実数を以って示しさえすれば、まさに正気に戻す手立て無しとする所、換言すれば、無自覚の中の被隷属国家大歓迎の民、被人間家畜国家であろうが被奴隷国家であろうが大歓迎の民で在って、傀儡子宰相の為す事須らく受け容れる、との意思表明すら示してもいれば、「釈迦に説法」で打つ手無し、現実的恐怖や実際の不条理等に直面しなければ想像出来ずの民が日本民族と云う事、つまり、十三世紀の永きに亘ってよくぞ続いた日本民族の民と云う事にはなるのだが、絶滅危惧有色人種としてそう遠くも無い時期に、消え去る命運をして託つ事にはなるのである。今、天変地異を以ってする不条理事象や、社会をして不安に貶める不条理事象が止む事無く発生しているのだが、そう在ってさえ無関係と看做す以上、傀儡子宰相が後背に抱えし<貧乏神と厄病神>は、遣りたい放題に跋扈し続けるのである。勿論、傀儡子宰相たる安倍晋三が、三度、総裁指名選挙に当選すればとの条件こそ付くが、疑う事を知らぬ日本民族自民党の殆んどを占めている現状では何を言っても無駄、一億総人間家畜奴隷牧場入りは避けられない所ではあるのだろう。

 傀儡子宰相たる安倍晋三と袂を分かち(国外追放)、至極まともにして理性的条理在る政権の手で、国内の安寧は基より、国際社会の安寧と平和構築に向けて、特に、米露関係正常化に向けての条理在る仲介活動が、本来にして存在すべき日本国家政治家達の手で執り行われ、積極的活動として為し得るべくに動けるかが問われなければならない現在の日本に於いて、其の様な大それたこと、日本一国で為すのは無理、成る様にしかならないのだから勝手に彼等に、勝手に遣らせ好きな様にさせて措けば良い、だから、日本国家は安倍晋三の下、虚栄の中に在ろうと何であろうと、今さえ満足出来れば其れで良いのでは無いかとの声が、与党自民党や、与党に与する政党の中からも聞こえて来そうである。安倍晋三対立候補たる石破茂もまたそうでは在るのかどうかは知るべくも無い。勿論、自民党員のみならず、日本国民の過半以上が、現状の侭で満足し良しとさえしていれば未だしも、天変地異の数多なる発生は基より、国内社会に於いては勿論の事、国際社会に在ってもキナ臭い臭いが漂い始め、あまつさえ、D.トランプと云う狂気的大統領の登場と好き勝手のし放題に因り、致命的欠陥こそ全く無しとしない「民主自由資本主義」が、中でも特に、資本主義が崩壊し掛かっている現状にも在れば、大勢の流れの侭に任せるであるとか、強き者の尻馬に乗って模様を見るとかでは無く、積極的に、在るべき<国際資本主義社会>の姿や形、或いは、ルール等を模索し構築、国連の場であろうとG7の場であろうと、何処に於いてで在ろうとも、積極果敢に打って出、主導若しくは唱道し牽引して行くべきが、日本国家に(も)与えられし指名の筈、基より、ハグレ蝦夷の異邦人を以って任じ、而も、傀儡子宰相で金遣いも荒く、自国民(沖縄県民)をして奴隷扱い、蔑ろにした侭、異国や異民族にのみ唯々貢ぐだけの人物、即ち、「安倍晋三先生」等は、今直ぐにでも国権の座から排除して然るべき人物でしか無いのである。

 西郷隆盛翁の誕生の地たる鹿児島をして総裁選参戦第一声の地とし、験を担いだ積りの傀儡子宰相安倍晋三、故西郷隆盛翁のみならず鹿児島県民にとっても至極迷惑此の上無きもの、最期は信念を曲げて迄、必至に生き延びようとして新政府軍に盾突いた郷里の人々の為に、負け戦を選んで参戦した故西郷隆盛翁の決断をして、遣って見せる、”彼”は器にも非ず、況してや、度量すら無いのである。