日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆不条理政権を斃す<策>は、野党群には在るのか、

 来年にも巡り来る国政選挙(参院選半数改選)で、異邦人傀儡子宰相安倍一強独裁為政を以って良しとし、趨勢の侭に擁立し続ける不条理政党たる自由民主党に、国民から見て、其れにとって代わる、理性的条理を以って政権運営が成し得る、所謂、自民党をして排除せし後の、第二の政党たる野党が、果たして現に存在し得るのかと自問自答、更に、現状の野党陣営に、自民党をして打ち負かすだけの、謂わば、国民をして惹き付ける力量のみならず、意欲を持った政党が在るのかを問い、眺め回すと、ム、ム、ムのム、基より、其の二党に於いてすら、<B&A群>をして背後に抱える安倍晋三が誘導する、現状の自民党に勝てるだけの秘策のみならず、勝算は在るのかと問いただし、即座に、在る、と答えられる彼等は<二党>かと云えば、恐らくは「NO!」の実態には措かれしもの、元民主党が、鳩山由紀夫/小澤一郎両氏をして失い、また、解党に次ぐ解党を繰り広げては、政党の核ともなって動き回る人物群が、白内障を患って見え難くなっているが如くの景色に映る現状にも在れば、国民の更なる数をして当該野党に惹き付ける等無理と云うもの、基より、具体的政策の案件やら、確固たる国家社会安全保障の目安すら提示出来なければ、不条理政権をして厭う過半の国民とは言えども、無けなしの一票をして、野党たる当該政党や党員に、投ずる事など全くの不可能となるだけでは在るのだろう。

 基より、同じ野党でも、核分裂ならぬ離合集散を繰り返している元民主党とは異なり、国民に支持されし議員数こそ少ないが、今も尚、傀儡政権に因って手を突っ込まれずに存続、次なる選挙に向けての策をこそ凝らしている、彼らもまた意欲も秘策も有る政党なのだろうが、同時に、自由民主党とは異なり、今一つ、国民に対する政治的インパクトの弱い政党群には措かれしもの、即ち、其れ等はどの政党かと云えば、最も古い政党たる「日本共産党」で在り、新しい政党の「自由党」であって、また、「社民党」の各党でも在るのだが、日本共産党を除けば、組織力も資金力も知名度も殆どに無い彼等は政党、基より、知力や知恵、行動力等、場面を与えられれば、遣って退けるだけの力を持つ政党ではあるが、如何せん、マスメディア群からは嫌われるか、疎んじられる存在の政党、左すれば、国民の耳目に入り、記憶に残る事は少なく、潰れるのは時間の問題であって必然に措かれしもの、基より、其処には、賢人為政者たる小澤一郎を党首として擁する「自由党」も含まれるのだが、NHKを一、日テレやTBS、フジテレビや朝日放送等、与党自民党に縛りを入れられ、映像や電波等に流さぬ事を強いられたメディア群ばかりであれば、国民の記憶かられ薄れ去って行くのは必然のもの、気の毒と云って終えば其れ迄だが、情報として知らされぬ国民こそがいい迷惑では在るのだろう。勿論、彼等メディアは、公平公正を旨として言わないだけである、と捨て置くのではあるが。当該言い分もまた、安倍晋三政権の後ろに就く、<B&A群>の思う壺でもある事を知っておいて損は無い。

 手短に言えば、日本国家国民の為の政治を、多分、遣って呉れるであろう党員(政治家)を擁する、もちろん与党(自民党公明党)以外の、現有せし政党が可能性として在り、且つ、其の可能性を持つ政党は何処かと問えば、「日本共産党」であり、「立憲民主党」であり、また「自由党」であり「社民党」、の四党が挙げられるだけ、他の野党に在っては、元民主党をして解体した”小池百合子女史”に繋がる、曰く因縁付きの胡散臭い政党群で在り、尚且つ、信頼度が今一の政党にもあれば、上記四党に絞られるのも道理と云うもので、基より、今なお元民主党に未練を残し乍ら、小池百合子女史の指導には従わず、或いは、同女史の眼鏡に適わずに選に漏れた、「無所属の会(13名)」に、或いは、全くの”無所属”に身を置く17名(政権与党派も混じる?)が、政党以外の席には措くが、存在するだけ、次回国政選挙に於ける無所属にもある彼等の所属政党(新規政党の立ち上げも在る)が気になる所だが、見ての通り、上記4党(立憲民主、共産、自由、社民)が在るとは言っても、自由党所属の玉城デニー氏は、沖縄県知事に転出したので、現有勢力はと云えば、上記四党合わせても精々が70有余名に過ぎずのもの、60%以上の議席占有率を誇る自民党政権をして打ち破り、取って代わるには、後210名以上にも上る、気の遠くなる様な数多くの人材が、選挙資金ともどもに、当該四党にとっては必要となるもので、恐らくは、日本共産党以外に、日本全国(選挙区並びに比例区)に有能なる候補者を差配して立てる箏はおろか、一人に付き何百万円にもなる選挙保証金等(一定票を獲得しなければ没収される仕組み)を、四百名分や五百名分をして、全額、用立てする事など不可能に措くもの、基より、政党名一つで金を借りる事すら難しい(日本の借金と同様に返す事もまた難しい)社会状況や時代背景にもあれば、有能で、且つ、資金力ある人物群を多数集める何ぞは至難の業と云うもので、とてもじゃ無いが、無理なのである。

 斯かる現下の厳しい政治状況下の中で、即ち、資金面、人材面、知名度等の面で、一強多弱の局面で野党が与党をして打ち負かすべく出ている秘策と云うのが、野党間の統一候補擁立に因る提携が在るが、基より、野党各党ともに人材も居なければ資金力も無く、況してや、メディアも取り上げて呉れないと在れば、政治理念や国家理念が大幅に異ならない以上、大同小異には目を瞑れるもの、「日本共産党」に在っては既に、現状日本民族国家に於ける、国家国民統合の象徴としてでは在っても、「天皇家」の存在は認知しているもので、更に言えば、現下に於ける資本主義なるものも、資本主義に関わる国際社会全体のルール改定こそ必要ともなるが、大筋に於いて現状のルールそのものも認めていれば、共産党一党独裁社会主義国家群たる漢民族中国や北朝鮮国が、資本主義国家群と親交を結ぶ事例もまた数多く見られるが如く、現代社会に於いて、政治的主義主張は左程に意味をなさずのもので、基より、社会正義の顕現に向けては、公正公平の面に於いても、与党陣営より優れし追及力すら発揮もしていれば、一時代前の我等道々の民の如くに、彼等共産主義者をして曲解、或いは、誤解した侭に放置、”毛嫌いや食わず嫌い”等する必要は更々に無いのである。即ち、上記野党による話し合いでの統一候補の擁立は、紛らわしいが、認められても良い、と云うことにはなる。不条理政権をして斃すには、最善の策とは言えない迄も、現代社会に於ける政治環境をして考えれば、優れし選挙手法であると云う事は認めても良いのだろう。

 統一候補の擁立も良いが、選択する側の国民にとってみれば、理解出来る様に見えて中々にして難を極めるもの、左すれば、各野党が夫々に、政党の核ともなるべき、知名度も高く、政治的にも有能なる人選の担ぎ出しが叶えば最善の策とするもの、基より、そう簡単に見付けられる様な社会環境にも無いのもまた事実であろうが、全くにして悲観したものには非ず、この列島には一億二千六百万人もの有能なる神々が鎮座する国家には在るもの、勿論、安倍晋三の様な、貧乏神や疫病神を背負いし神も居れば、福の神も、鎮まる神も、怒れる神も現に坐しまする国家、高々が、衆参両院合わせても七百名足らずの人選、いやっ、神選、政党幹部群に条理有る選択眼さえ在れば為し得るもの、難しいことでは無かろう。