日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆国体に亀裂が入りしアメリカをして危惧する、2019年。

 新年明けましておめでとうございます。
 天皇陛下、並びに、皇后陛下御夫妻の益々にする御健康と御安全をして御祈願申し上げます。

 澄み渡った亥年元日の朝、我家の小庭にも住まわれし八百万の神々に対しても、怠りなく新年の拝礼を済ませ、劣化せし視力を以って新聞受けに手を遣れば、例年の元日とは若干異なる気もする新聞(朝刊)の分量では在ったろうか、宣伝等の広告量が少なくなった所為で在ろうか、其れとも、別刷り記事が少なかった為なのか等々、つらつらと考えていたら、庭の会談で躓き、危うく転びそうになった今年の元日でも在った。片手で持てる此の程度の分量で十分なので在ろうと思うのと同時に、足元(我家乃至国家社会)にも注意を払って歩まなければならぬ、所謂、<亥年>である事をも感じ取ったものである。

 恒例の事なのであろう、年の瀬には、唯々賑やかな番組とドキュメンタリー番組、乃至は現代社会学とでも言うべき、与党政治家にとっては耳障りの良からぬシリアスなる内容の番組が、TVでも少なからずに組まれては放映され、暫し、唸らせて呉れる番組も少なからずに在り、基より、年明け早々には、「朝まで生、、」等の番組も流され、途中下車こそしたが、興味深く視聴させても頂いたが、残念なのは、上述せしシリアスなる番組が、普段の日にも常態として流されていたものかどうかは不明に措くところ、仮に、斯かる、賑やかにする娯楽番組を除く、良質にするドキュメンタリー番組が、連続してと迄は言わないが、常態的に放映されてもいれば、特に、政治的には横柄で、且つ、独善的振る舞いをして当然とし始めた傀儡子権力者群の現出等は見ずに済み、少なくとも、日本ではとうの昔に与党陣営の中からは排除され、除籍すらされもし、苟も、国権の座になど就く事さえなく、手を挙げて座る可能性すら無かったのだろう。其の意味でも、啓蒙的番組の常態的放映と、其の量の少なさは極めて残念で遺憾、且つ、悔やまれる番組編成では在ったろう。新年度からは、年末特番と言わずに、常態的に流して欲しいものではある。勿論、現役を退きし、目も足元も、何もかにも覚束無くなり始めた、我ら盆暗なる老人入りした道々の為にも、TVメディアには特に再考して貰いたい所でもある。何故ならば、人心や精神性等十人十色で百人百様にも措けば、一気に変わるものでこそ無い以上、此の世から早めに消え行く有権者等から、理性在る条理に啓蒙して行かなければならずのもの、基本的にとでも言うべき、所謂、其れは、近い将来に遺されるであろう家族に対する、汚点を残さず、借金を残さず、不安や禍根をこそ遺さずに措く、其の程度の社会貢献しか出来ない道々の民にとっては、理性在る条理への回帰、乃至、思考的実現と言うもので、今の日本社会には特に求められ、且つ、俟たれる所、もういいやの捨て鉢台詞では無く、今こそ実現しなければならない教えとする為、被啓蒙活動を通して条理の転換を図らなければ、社会的良質性には繋がらずのもの、八百万神の誰しもにも備わる美談や美徳等をして、後世に遺し広める事など在り得なくなるからではある。

 年末に迎えられし天皇陛下御誕生日の佳き日に、我等道々の民に向けて発せられた御言葉、即ち、「天皇陛下」に拠る御言葉は、極めて示唆に富む尊きもので、感慨深くに措く御発言内容では在ったろう。

 「天皇家」の主導にて為されるべき皇室会議での協議に諮り、国家元首たる現役の地位をして、次位に在らせられる皇太子殿下に国家元首の地位をして譲渡され、且つ、御自身は御退位を決意され、今年の亥年の五月には、暫時、御実現の運びとなり、且つ、同日に措く、異なる意味での御目出度き日には、新たなる国家元首の地位に、皇太子殿下が御就任為され、新天皇の御誕生と併せて決まった事で、一般庶民としても安堵し、胸を撫で下ろしもしているのだが、改定元号の発表に関しては、<四月朔日>に為すとの政府声明が、TVのテロップに、急遽、流されもしたのだが、国民にとっての四月一日と言えば、慣例的言葉となって久しい、”エイプリルフール”の異名すら持たせた日付をして指し示すもの、基より、諸学者の意見を参考に踏まえた上での、政府に拠る、新元号発表の日としたのであろうが、敢えて”エイプリルフール”として定着した感も在る、所謂、お道化し庶民文化の日を以って、政府が敢えて公表の日に選ぶ必要など更々に無きもの、御退位の決断に至る皇室会議での、記録せずに措く議事録(公文書)の未整備問題と言い、今回の、新元号制定発表の日取りと云い、或いは、新天皇陛下の御即位式典の執り行いに関して、”プレハブ式建屋”を一部使用する旨等の、言わば、公に発表せずとも良い内容をして発表してみたり等、異邦人傀儡子宰相たる安倍晋三の遣ること為す事、実に疑義を呈する遺憾なるものばかりで、一日本民族として、尋常にらざる違和感すら覚えるのである。

 天皇陛下が為されし御発言の中には、三十年(御在位)という平成に於ける年月を通して、静謐裡に、而も、象徴天皇としての新たなる道造りの為に皇后陛下と歩まれる中で、戦争など無く、(日本国の象徴としての天皇陛下の)初に為す御責務を成し得た事実に関しても言及為され、間接的話法を以って、国民各位に対しても感謝為されてはおられたが、小生の判断としては、安倍晋三に因る、所謂、日本国憲法が高らかに謳う中での、軍備拡張の比類なき押し進めや、軍国主義すら見据えた感も在る、日本国憲法第九条の改定に至る、所謂、万度にする(軍事力強化と戦争)押し進めの目論見に対する、其れは、厳しい”御注意”と判断させて頂いたもの、何よりも平和をして大切にされる天皇陛下の、尊き御言葉として理解させて頂いた次第である。

 亥年の年明けに話しを戻せは、株式市場発会(4日)早々には、株価の大幅下落を見、基より、米国市況に倣ったもので、此の七日には大幅な株価上昇を、米国同様に向かえるのであろうが、また、年始早々に於ける九州熊本県での地震の発生、或いは、悲惨にする様々なる事故や事件の発生等が年初より在り、今年もまた大きく揺れ動く年になる事を暗示すらしているとすれば思い遣られる年とはなるのだろう。其の中でも、傀儡子宰相安倍晋三に因る年頭の記者会見では、地に足がつかぬ、歯の浮く様な出来もしない事を多弁、今年は例年以上に軽口が過ぎる安倍晋三ではあったろう。

 基より、米国に於ける件の、”メキシコとの国境線上に越境防止用橋脚建設の予算を(民主党の反対で)付けなければ、国家政府(組織)などぶち壊して遣る!”と、未だに息撒き、付け加えて曰く、”一年でも二年でも議会を停滞させてやる!”と、気違いに刃物の如く、大統領の地位を背景にして横暴を極め、米国市民を威嚇し続ける件の、精神疾患著しく悪化せし米国大統領D.トランプが振舞っているのと同様に、森友/加計疑獄事件を姦策を以って遠避けたばかりか、今や、日本国家社会には恐いもの無しとして横柄さを極め、口から出まかせの、云わば、嘘の吐き放題、議会は無視、乃至、軽視し放題の遣り態三昧に措く大悪党、異邦人傀儡子宰相安倍晋三、共に彼等は、<貧乏神、疫病神、死神>等を後背に抱えし、米日両首脳でさえ在れば、国民が気付く迄は打つ手殆ど無し、現下の社会的不条理状況をして回避せしめる為には、精神疾患著しく悪化せし二人をして一刻も早くリコールするしか術は無さそうである。

 米墨国境線上に(*)橋桁敷設の予算を通さなければ、他の連邦国家予算共々通さずとも良いと激怒し、唯々駄々を捏ねて時間稼ぎをするしか能の無い共和党大統領D.トランプに対して、現下、まさに民主党ペロシ下院議長率いる多数派民主党との戦いとなっている様相すら呈する米国議会だが、先の大統領選挙戦に於けるロシア政府介入疑惑問題で、特別検察官に因る最後の詰めが迫っているとも言われるD.トランプにとっては、連邦国家予算の成立など最早どうでも良く、己の存在感をして米国市民にアッピールし、序に、根負けして、反対から降りる民主党の姿勢が見られれば、特別検察官に因る、いわば、大統領に対する手厳しい迄の糾弾に至る捜査報告書も、概して緩むのではあろうと我田引水的に読む事で、大勝負を賭けた観なきにしも非ずの大統領D.トランプ、と看做し得ない事も無いのである。予算案の否決に先立って漏らしたとされる、所謂、昨年六月にシンガポール国に於いて実行されし、北朝鮮金正恩国家主席との会談を回顧してD.トランプ曰く、”失敗せし其れは米朝首脳会談ではあった”と言ったとか言わないとか、或いは、もう一度、金正恩主席との会談を準備していると言ってみたりの、謂わば、単なる、精神疾患著しい愚人権力者の支離滅裂にする遣り方ででしか無いのだが、斯かる行き当たりばったりの政治権力の弄びで、最も被害や迷惑を被るのは米国市民で在り、民主自由資本主義陣営圏内に措かれる市民達、即ち、実体経済を反映せずに措く株価の大暴落や高騰の連続や、更に、いつ遣って来るか分からない無理難題の押し付け等で、自由主義諸国圏に於ける新たなる投資意欲も低下、剰え、民主自由資本主義ルールに基づく自由経済活動をさえ抑え込み兼ねずの因ともなれば、地球環境の破壊に因る悪化が増々にして前進して終うのと同様、民主自由資本主義の一時的停滞どころか、将来に向けての資本主義の発展そのものが、精神疾患著しい彼等二名の、不条理にする権力掌握に因る跳梁跋扈に因って、無残にももたらされては壊され、発展をすら阻害され兼ねずの危機にすら措かれるのである。基より、困った事態では在るが、此ればかりは米国市民挙げて、一刻でも早く、条理在る原状に復して貰わなければならないのであろう。勿論、米国も変われば、日本も変化をして余儀なくされるのであろう。また、そう願いたいものである。

(*)米国大統領選時の公約でD.トランプは、国境線上に壁を設けるとしていたが、今次の予算では、橋脚乃至橋桁に置き換えて、壁建設の代用としたもの、但し、公約発表時に於いて断言した、壁敷設の代価はメキシコ国政府に支払わせると言った、此れまた断定的発言は消え失せ、今、米国側の費用として、D.トランプは予算計上をしているもの、然らば、条件が異なる以上、下院をして大勢を占める民主党に、橋桁敷設の国家予算化が認められるはずも無いのは当然である。