日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆獅子身中の虫となった菅直人と其の政権

 あの日本を駄目にした藤原一族の末裔達に因る、とりわけ、身の丈知らずにも、其の政治的前衛の役割を買って出た件の、麻生太郎政権時の2008年当時に策謀された、「小澤一郎氏と民主党」に対する貶め劇は、幸にも、民主党の掲げし政権公約とは似ても似つかぬ、其れこそ、後退に次ぐ後退の能無し行政しか為せない菅直人政権の誕生を以って、麻生太郎が謀りし其の侭の「貶め劇」が受け継がれ、しかも、恥じ入ることなく演じられ続けてもいる現状にはある。

 菅直人岡田克也が、或いは、仙石由人や前原誠司が口を開けば一様に、「小澤一郎元代表には疑惑があるのだから政倫審に出て、しっかりと説明すべきである、出なければ党として処分せざるを得ない」と喚き散らし、市中のサラリーマンやウーマンにマイクを向ければ向けたで、此れまた異口同音に、「小澤一郎は金と政治の問題で、国会の場で説明すべきである、あれ程のワルさをやって来たのだから吊るし上げられて当然、オレタチが一生かけても手に出来ない四億円もの金を持っていた小澤は、西松建設水谷建設等から集めたのだろう。其の様な小澤一郎に、離党勧告すら出来ない菅や岡田の遣り方はなまぬるい、、、気に喰わぬ」と、ほろ酔い加減で口走るのが常、実に薄気味の悪い道々の民の異口同音であり、同党為政者群の一様さでもある。

 何事も、感じた通りの有りの侭を放言し得ると思わせる日本社会、だが、此れ程に言論や言動の自由さを謳歌し、或いは、社会生活の進行上、憤懣遣る方の無い思いの丈を、其れも、中身はどうあれ、人を貶める事で欲求不満のガス抜きをし、乃至は、不満の捌け口とさせて呉れる様なマスメディアを、代弁者として抱える国家社会は日本を措いて他にはないのではなかろうか、と言いたいところではある。だが、自由さを謳歌、満喫していると思しき我が日本社会ではあるが、最も注意しなければならない点が何かと云えば、自らの思いを有りの侭に表現出来るのも良いが、当該思いの侭のひけらかしが、真実に基づいてのものか、或いは、単なる受け売りの罵声にしか過ぎないのかどうかにすら意を馳せぬまま、様々に流れ伝わる情報の蓄積のみを以って自らの理解や判断とし、中身空洞の侭に是として受け容れて終う、所謂、洗脳を受け易い無抵抗の民族社会態様に、須らくが押し流されている事ではあるのだろう。

 恐らく道々の民の多くは、小澤一郎氏、或いは、鳩山由紀夫両氏に関わる、現下に騒がれている「政治と金」の問題に付いてマイクを向けられれば、必ずや、みのもんた辛坊治郎、或いは、村尾信尚をして性懲りも無く発し続けている、所謂、小澤一郎/鳩山由紀夫両氏に対する謂われ無き批判を、良質性を追い求める自らの誤り無き意見でもあるかの如くに錯覚し受け容れ続ける80%にも及ぶ我ら道々の民、だが、批判の矢面に立たされる、当該小澤一郎氏並びに鳩山由紀夫氏の「政治と金」の問題に付いて、別の切り口を以って深く問えば、即ち、両氏に対する疑惑の争点とは何なのか、疑惑の質はいったいどの様なものに在るのかを問えば、当該マイクを向けられる我ら道々の民に答えられる材料は全く無きもの、問われし百人が百人とも、みのもんた辛坊治郎、乃至、村尾信尚等の発する内容以上の域を出る事もなければ、精々が、小澤と鳩山は兎にも角にも悪いのだとの回答が為されるだけ、殊ほど左様に、小澤/鳩山両氏に被せられた疑惑の内情を熟知できている道々の民など何処にも存在せずのもの、即ち、「政治と金」に関わる問題を、我ら道々の民が何処まで正確に、かつ、明確に把握しているかと云えば、ノーと言う事であり、少なくとも、マスメディアが報ずる内容以上の枠を出る事も無く、即ち、道々の民の条理在る回答など、端っから為される由も無いと云う事にもなるのである。だが、為し得る由も無い筈の回答が、其れも、マイクを向けられれば終にぞ、80%と云う驚異的な否定の数字を集め、「小澤/鳩山叩き」を是とする情報として不断に振り撒くのは、まさしくマスメディアが、あの日本を駄目にした藤原一族の末裔に支配される洗脳機関に在るからであって、小澤/鳩山両氏の台頭を畏怖し続けるからで、実態上は無知にも在る道々の民をして、実体的にも無能に貶め、畏怖する根源を排除したいが為なのである。道々の民は、総じてのマスメディア群からは愚民視され、且つ、愚民扱いされている事に、気付いていなければならないのである

 だから、国会の政倫審の場に出て説明せよと言っているではないか、との反証を掲げて当然とするマスメディア群と、検察庁とマスメディアの共同謀議に成る”貶め劇”にまんまと嵌った80%の道々の民だが、罠に嵌りし我ら道々の民が、其の良質性を求める本来の、思考や活動を伴う社会生活に於いて、最も意を尽くさなければならない点が在るとすれば、其れは、無実の者を以って為すリンチには、努々加担してもならぬ事が其れで、云うならば、与えられし侭の情報に疑い一つすら加えず、且つ、一直線にのみ突き進む思考と理解態様には、敢えて、歯止めを掛けねばならぬと云う事であり、即ち、与えられるが侭に、其れも、即断的に物事を決するのは、独裁社会にとっては好ましくとも、民主主義社会に於いては毒にしかならない思考態様である事をこそ知るべし、在るが侭の情報を其の侭に飲み込む、云うならば、ダボハゼやピラニアの如き入食い状態に我ら道々の民の思考回路が働き、一直線に向かって反応して終うと云う事は、独裁主義社会を増長させるが如きもの、熱するのも早いが同時に冷めるのも早い、無思考社会態様に在る事をすら意味するもの、自主自決に基づく独立自尊の国家社会建設を目指す社会にとっては、此れほどに浅く、且つ、良質性の瓦解し易い、哀れなる民族国家基盤にしか無い事を知らしめるもので、瞬時に示される否定的80%への収斂、即ち、マスメディアが撒き散らす、結果を同じくする論調への収斂は、まさしく、民主主義社会では有り得ない思考判断態様である事にこそ、我ら道々の民は気付かなければならないのである。

 TBS朝番組のコメンテーター、みのもんたが得意とする”コレデモシナヌノカ!”の、溺れた犬に石持て叩くかの如き烏合の衆が晒す口汚い罵り、所謂、ヒステリー症候群に陥ったみのもんたを一、小澤一郎氏に対する聴くに堪えない貶め一途の口調と論調を撒き散らすみのもんたに同調、相槌を打つしか能の無い洗脳者一群の席に座った評論家等の発言内容を見聞きしていると、それは正に、現中国政府と中国国民に因る「対日政治姿勢」の作為、即ち、瞬時的反日感情をすら露わにする被洗脳者漢民族の、統一的行動態様にピタリと当て嵌まるもの、付言すれば、村木厚子女史や菅家利和氏に対して仕組まれた、所謂、司法権を排他的に握る検察や警察に因る、疑惑のでっち上げと、公判への作為的誘導を謀られながらも、終には、冤罪のでっち上げ事件である事を、万に一つとも言える第三者の奇跡的助力を得て、幸運にも無罪を勝ち取った当該事例にも全く符合するもの、即ち、日本社会の現状は、総じてのマスメディアが、電波一つで国民を動かし得る、反小澤、非小澤を基にした、其れこそが、捏造、でっち上げ事件の不条理劇の演じられでしかない事を、道々の民自身こそが理解出来なければならないのである。

 漢民族中国人をして、反日、厭日、嫌日等々の感情に誘うべく、北京、上海両政府/共産党/人民軍が、其の指一つで、中国国民をして自由自在に不条理活動へと動かし得ると云う、実態の好事例をすら間近に目にし、且つ、理解し得、適切なる対中批判すら常時成し得ている日本民族社会に在りながら、国内の事になると全くの無頓着を決め込む日本社会、注視して当然の、検察庁やマスメディアの指し示す情報は其の侭に鵜呑みにし、自己満足の納得にのみ堕するだけの我ら日本民族検察庁やマスメディアの指し示す唯我独尊の活動態様、はたまた、八百長態様を以って旨とし、事大主義への傾斜を良しとする財界、学界然り、更に、菅直人/仙石由人率いる、事大主義民主党政権もまた似たり依ったりの集団内容にもあれば、当該選良民が、良質性の条理に民族全体を誘うなどは遠い夢物語の白日夢、条理在る国家社会造りは、其れこそが古の、過ちを基にした正史そのものの否定から始めなければ、全く身動きが取れない日本社会の状況にもなっている事を危惧するのみである。

 殆ど全てと言っても差し支えない程の、其れこそ80%にも及ぶ不条理下に洗脳されし道々の民を抱え込む日本社会、此の八割もの被洗脳の民を条理に覚醒させるなど生易しかろう筈もないが、其れ以前に為すべき小澤一郎支持者の仕事は、即ち、条理在る民主党員の為すべき事は、民主党に於ける獅子身中の虫となった菅直人政権の排除に努める事、道々の民の八割迄が不条理にも「反小澤」として洗脳され、感化されてもいれば最早為す術無し、腐り切った菅直人の外し以外に、道々の民の条理覚醒に至る良策は見当たらない。