日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆賢人政治家ウラジミール プーチン (11)

 寒風吹きすさぶ中ですら、夜明けを待っては毎日に家を出、売り物棚には果たして品物が並んでいて呉れるかどうかも分からない店に向かい、或いは、店に品物を運んで来る小型トラックが来るかどうかすら分からない駐車場に足を運び、来る日もくる日も、生きる為の食料品を求めては何時間も数珠繋ぎに押し黙り、じっと耐え忍んでは並び続けた、街中に住まった九十年代のロシア国民、運が良ければ卵か黒パンが、或いは、丸裸にされたニワトリ一羽が、豚肉の一塊が、キャベツ一個が、連日に値段の変わる、其れも法外な価格で入手できる日もあったのだが、入手できない日も多かったイェリツイン時代のロシア国連邦、若し幸運にも品物が在れば、それらを買い物袋に無造作に放り込んでは家路へと向かった過日の出来事を、其の純朴なる頭にくっきりと叩き込んで覚えているロシア国民がどれほどいるのだろう。其れより何より、斯かる長期に亘る生活の惨状を、記憶として明確に留めているロシア国民のいったいどれ程が、当該苦境に陥った因を把握し得ているのであろうか。

 訳の分からぬ間に、国営企業は一つまた一つと民間人(?)の手に経営権が引き渡され、二十世紀末には、目ぼしい国営企業の殆どが民間人の手に引き渡されて終ったのだが、新たな持ち主の顔触れはと見れば、奇しくも、此の企業もあの企業も所有する顔は同じ顔、また、顔の連続、斯くしてロシア国内には、短期間に於いて財閥群が誕生し、また、相も変らぬ労働者の面々は、貰えるかどうかも分からぬ報酬に願いを込めて、主の代わった企業や職場で働くことになって行くのである。国家に代わる新たなる主とは云う迄もなく、俗に云う所の、オリガルヒと呼ばれる新興財閥群の事、即ち、イェリツイン政権時代に於いて、雨後の竹の子の様に、あれよあれよの間に成立していく事となる、国家企業の新しい持ち主の事を言い、所謂、大株主、乃至は、社長さんたちの事を云うのである。

 新興財閥群と云えば聞こえは良いが、なにしろ其の実体は、イェリツイン時代に巧妙に作為摂取されたもので、所謂、国家資産、国有資産の、権力者群に因る体の良い分捕り合戦の結果出来た個人(集団)名称そのもの、異端分子に踊らされ続けたイェリツインの肝煎りに成る、其れこそがバウチャーを用いて策したロシア国家分割そのものの体では在ったのである。基より、国有資産の、濡れ手で粟の分捕りを狙い、血で血を洗う抗争も数知れずは云うに及ばず、また、其処に大きな影響力を行使したのは他でもない司法権であった事もまた隠し通せぬ事実、即ち、行政権を押さえた政商に加えて、官僚、或いは警察や検察、及び、裁判官の力が、共産主義社会体制破棄後のロシア国に、新興財閥群を陰に陽に形成させ得た産婆役としての力を、主体的に担う役割すら司法権を駆使して果たしたと云っても過言ではないのである。

 イェリツイン政権時にクレムリン宮殿内に招かれ、政務官等の任を与えられたウラジミール プーチン、突発的とでも云うべきポロロッカ現象を来たしたロシア国の、所謂、国家社会制度を瞬く間に不条理に押し流す、其れこそが政治権力の本質と実体を決して見誤る事のなかった彼は、正義の爪を隠してじっと堪え、与えられた行政の任に粛々と励んだ事は云う迄もないが、クレムリンの内外に於ける政権抗争の実態と図式そのものを鋭く観察し続け、基より条理不条理の実態を明確に把握し認識した後、果敢に打って出た積極的条理在る任が何であったかと云えば、一つには、死の商人である大物政商潰しともなるチェチェン紛争の収束に向けた戦略の建白であり実践、並びに、司法権を食い物とし、あまつさえ、イェリツイン大統領の右腕の存在にありながら政権転覆を企てたユダヤ系ロシア人大物首相の為に、司法権を恣意的に行使し、不穏なる活動に加担した検事総長と、其の一派の一掃を喫緊課題として速やかに、それも静寂さを崩さぬ中で、未遂として封じ込めた事の二点、斯かる素早き、且つ、重大事案を抑え込んだウラジミール プーチン、彼の持つ政治的力量の片鱗を知らしめるには十二分なる、其れは事績となった事は云う迄もあるまい。

 古今東西司法権に因る権力の乱用は、国体の存続そのものを脅かす原動力の最たるものとなった事は云うを俟たず、イェリツイン政権時代のロシアもまた其の伝に漏れずのもの、政敵、或いは、商敵等々を、国権を以って合法的に排除抹殺する機関として、マスメディアの動員に因るプロパガンダ手法の他に、警察、検察、並びに裁判官と云う司法権を直接に動かし、或いは、当該官憲が権力者群に動かされて、目的遂行と其の成就に縷々駆り出されていた事は、周知の事実なのである。

 異なる視点からすれば、一方の国家権力者とでも云うべき立場に在るのが、捕縛権、訴追権を排他的に有する検察庁検事総長)なのだが、其の一方の国家権力者の不法行為を、一政務官が独力を以って摘発するには相当の覚悟を必要とし、並大抵の挙証では撥ね返されるのが精々と云うもので、行動の嗅ぎ周りを察知された段階で逆襲を受け、場合に因っては、調査者本人が始末されるのを覚悟せねばならずのもの、特に、血で血を争う抗争すら発生していたイェリツイン政権時代のロシアであれば尚更の事、無名のウラジミール プーチンが指揮を執るには無謀極まりない、其れこそが社会正義の顕現ではあったろう。だが、彼は怯むことなく不正義にどっぷりと浸かった検事総長を逮捕すると云う、社会正義の顕現を遣って退けたのである。

 カオス下に措かれたロシア国家社会を冷静冷徹に分析、国家停滞の因となる病巣と病原体を徹底的に追求し解析、其の途轍もない不条理組織の大きさに怯むこと無く、且つ、不条理分子に悟られぬよう、一つまた一つと、既成法を最大限に活用し、確実に消し込みを図ったウラジミール プーチン、十九世紀から二十世紀、或いは、二十一世紀へと掛けて、それも、不条理下に措かれた巨大社会を、スラヴ民族の条理を引っ提げて、怯まずに、其れも粛々と遣って退けた政治家が、真に居たかと云えば恐らくはノー、社会こそ違えど、あのJFKでさえ比肩するには無理難題が在ろうと云うもの、基より、彼JFKは、シオニストユダヤ系大財閥資本家群の凶弾に斃れる事となるのだが、それ程に、ユダヤ系ロシア民族に搔き回されたカオス下のロシア国三権に在ってすら、ウラジミール プーチンはポーカーフェイスを貫き、不条理集団を袋小路に追い詰め、二期目には、遂には排除しても見せたのである。

 ロシア国家検事総長と其の一派の、所謂、俗に云う、無実の者を追い落とし、犯罪者を野放しにする事で得た、使い切れぬ程の泡銭の行方は、一部は色事遊びへの耽りへと流れ、最後にはハニートラップへと引っ掛かる恥曝しの愚態に嵌るのだが、現役の、而も、司法権トップとでも云うべき地位に在る検事総長が、其の裸体で情婦と遊ぶ醜態をTVの電波へと乗せられ、ロシア国民の目に晒された事は記憶に残るところである。

 イェリツイン政権時代に於ける高級官僚が、警察が検察が、はたまた政商群が、国営企業になり代わる新たな経営者として巧妙に潜り込み(一定株式を掌握)、新興財閥、所謂、オリガルヒーを形成した事は知られた事実で、同時に、電波や新聞と言う、国民の思考をプロパガンダを以って目的方向に誘導するメディアも、彼等が真っ先に掌中に向けて走った事もまた周知の事実、大統領就任後、粛々と社会正義の顕現を怯むことなく推し進めるウラジミール プーチンに対し、味方ではなく敵となる事を俄かに悟った彼等がとった共通行動は一つ、反プーチンを推し進めるメディア戦略と、プーチン政権を潰すテロルの画策では在ったのである。

 基より、ロシア国内に止まるメディア戦略やテロルの画策などと云う小規模なものには非ず、其れは海外に於ける、所謂、欧米中日の政治経済を、実体的に、其れも不条理に主導するシオニストユダヤ系大財閥資本家群が、彼等新興財閥群の後ろにも同様に控えていた事を抜きにしては、イェリツイン政権時のカオス下のロシア社会を語れず、また、悪戦苦闘しながらも彼等不条理集団と戦い、新生ロシア国家を僅か八年で此処まで回復させ、王道を歩むスラヴの民として育成主導して来たウラジミール プーチンの、所謂、賢人性、乃至、鉄人性を、証明する事も出来ぬのである。