日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆賢人政治家ウラジミール プーチン (12)

 「力は正義なり」、古来より言い古された其れは格言であり、また一つの真理でもある。逆説的に言えば、正義の顕現は力を以ってする行為の須らくが首肯し得ると読めなくもない。故に、真の正義の概念に符合し得るかどうかは別問題、解釈次第となる。

 巧妙に立案した計略通りに、また、民族性格まで徹底的に分析された挙句の果てに、シオニストユダヤ系大財閥資本家群率いる米英両国は、嫌がる日本国を太平洋戦争に誘き出し、最期には、力を以って、一黄色人種日本民族をしてモルモットに設えては悪魔の閃光下に置き、炭化した二十万もの遺体と、苦痛に喘ぐ、生き永らえた我が民族の広島、長崎に住まう数十万人もの民を、喜々として具に観察して回り、二種類の原爆成果の結果資料として、アメリカ、乃至、英国へと持ち帰った彼等米英両国を根城とするシオニストユダヤ系選良民、またそれ以前に彼等は、紙と木で多くが構成されている日本の家屋、其の密集する都市部を瞬時に焼き尽くすべく、特殊火薬を混ぜ込んだ焼夷弾を無差別に大量投下、結果、宮城を除く都市部では、十六万人もの犠牲者を瞬時に出した大量殺戮を嬉々として体を震わせた彼等選良民、不条理なる戦争とは謂え、或いは、計略にまんまと嵌り已むごと無く引き込まれた戦争であったとは謂え、戦争法と云う国際法を無視した米英両国の手で三百二十万もの日本民族をして死の世界へと追い遣られた先の大戦大東亜戦争)、今、其の米英の、特に、アメリカ合衆国の奴隷として納得、見せ掛けの平和を享受し様とは誰が想像し得たろうか。あの日本を駄目にした藤原一族本宗家以外に、斯かる不条理に基づく確信を以って、或いは、洗脳や教唆を敢えて受け容れて納得する、日本人は誰一人として居まい。

 大統領の座に就き、クレムリン宮殿に入ったウラジミール プーチンは、賢人で在る事の証左として、内外に亘る歴史の事実を知るのと同時に、史実の真相にも迫り、自国ロシアの歩んだ歴史に対しても、決して贔屓目に見る事なく、基より、偏見や予断を挟む事なく、あの大きく鋭い鷲のような目で管掌内権限を存分に活かし、内外に跨るロシア国家外交資料等々を隈なく調査、解読し解析、検証下に付して来た事ではあろう。勿論、帝政時代に遡る内政や外交の成立過程から始まり、近隣史外交等々に付いても触れ、知られざる多くの事実を学び、また、帝政崩壊の実態から、作られし共産主義社会体制への移行を、身近に置く門外不出の情報資料等々からも学び、共産主義社会体制の崩壊から現民主自由資本主義社会体制への移行へと繋がる、所謂、政体変革に関わる起爆剤等の持ち込み者、或いは、仕掛け者等々にも突き当たる、多くは無いが一級資料にも同様の炯眼の目を向け、自国史の実相として理解、認識を深めていた事ではあろう。

 喩えて言えば、1904年の「日露戦争」と1917年に起きた「ロシア革命」の、所謂、水面下に潜り隠れ共通する主たる動力源が其れ、即ち、帝政ロシアを圧して日露戦争へと誘わせ、日本帝国をして日露戦争へと駆り出させた陰の立役者(資金、情報)、或いは、ロシア革命を遂には成し遂げ、帝政の血脈を抹消した、これまた陰の立役者が、如何なる人物で、どの様な組織体に係属する民族群であったかは、KGBに籍を置き、東ドイツに於いて久しく防諜関係に務めていたウラジミール プーチンであれば、様々な丸秘資料の閲覧からも可能とした筈、基より、日露戦争に於けるロシア国の敗戦と云う結果が無く、よしんば、勝利と云う帰結に帝政ロシア国が至ったにせよ、帝政ロシアは、紛うことなく倒壊の憂き目に遭い、血脈の途絶えもまた余儀なくされていたであろう事も、斯かる内部資料等の閲覧解析等々から分析し得ていたからではある。

 また、日本との外交関係に於いては、上述した帝政ロシアに対する、日露戦争への強引なる引き込みと、日本帝国に対する戦争遂行資金や情報の提供が、当時の欧米の政治経済を実体的に掌握し席巻する特定の集団、所謂、特定の異民族群に突き当たる事もウラジミール プーチンは略解明し、認識もしていたのだが、同時に、日本民族の条理を以って突き進む、戦場での勇気ある兵士の気骨、所謂、狂気と表裏一体にすら見える強靭なる精神を持つ日本民族と云うものも、当該日露戦争、並びに、ノモンハン事件等の日露交戦から、自国ロシアの丸秘文書等を通して、日本そのものを学び理解し、はたまた、大東亜戦争下(太平洋戦争)に於ける終戦間際の、ヤルタ会談に於ける三国の秘密協定の締結と順守が、日ソ中立協定を破棄して対日宣戦を布告すべしとするスターリン政権に対する後押しと、米英からの強力にするスターリンへの依頼、其れがともに、上記した特定の集団、即ち、隠れた選良民としても名高い異民族に突き当たる事も、ウラジミール プーチンは明確に認識していたのである。

 更に言えば、朝鮮戦争に於ける共産党毛沢東軍に対するソ連からの命令、即ち、蒋介石一群が逃げ込んだ台湾群島を討伐する以前に、毛沢東軍は朝鮮半島に入って北の後押しをせよとの命令と、其の通りに動く毛沢東軍に潜む、所謂、ソ連邦指揮者の後ろに隠れた影が、其れこそ明確に、クレムリン宮殿に入りしウラジミール プーチンには、既に認識し得てもいたのである。