日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆永らく首相を務めたから賢人で在るとは限らない。

 身の毛も逆立つおぞましき事件が途切れる事無く日本社会に覆われ始めて来ている事実は、一にも二にも世相が教えている所ではあるが、其のおぞましい世相をして作り上げて来ているのが誰在ろう、他ならぬ国家社会をして動かす三権の府の指導者層であり、強いて言えば、行政府をして動かし牽引する、異邦人傀儡子宰相安倍晋三を一とする、与党自民党の国家権力者一群では在るのだろう。基より、政権与党自民党(員)とともに行政をして執行、差配もする国家高級官僚群と云う事にはなる。暗雲垂れ込める社会体制を、何としてでも浄化しなければ、日本社会は早晩耐え切れずに斃れるのであろう。

 経済的弱者や精神的疾患者、乃至は、其れ等をして複合的に抱え込む一部の人々に因る、児や弱き者に対する虐めや虐待排除に始まり、年端も行かず判断力すら儘ならずのさ迷い真っ只中に在る子等への、まだまだ野放し状態に置かれるSNS等を利用した誘拐や監禁事件、乃至は、作為性を含む殺人幇助等々、まさしく猟奇的とでも言える犯罪態様は止まる所を知らず、あろう事か、急速に其の数を伸ばしつつある現状の日本社会ではあるのだろう。基より、司法府に拠る回答はと言えば、全体数としての犯罪件数そのものは漸減しているとの実数を以って示し、上述せし不安をして一笑して見せるが、日本社会に在って、毎年何百万件にも及んでいた”交通事故や犯罪事件数”が一向に減らずとすれば、此れまた問題有りは言わずもがなのもの、司法府のみならず三権の府そのものが、与えられし条理在る仕事を全くせず、社会的不具合の改善に取り組んだり、不条理事案を無くすべく励んでもいないと云う事になり、場合に因っては、政権そのものが社会の不安定下にたじろぎ、条理在る政策が中々にして打てず、四六時中選挙の事ばかり考えて本来に於いて遣るべき仕事(政策や法の制定、予算の執行等)が全く出来ていないと云う事を示唆するもの、然らば、事故や事件数が減るのは対処療法さえ整えて出来ていれば、減って当然と云う事にはなるのである。

 だが、上述せし新たなる態様の事件や犯罪の増加に照らして言えば、対策も措置も未だ取られていないと云う事を意味し、示しさえしてもいるもので、即ち、国家政策や法をして制定し運用すべき機関たる行政府や立法府、或いは、司法府等が、俊敏に反応し、条理に従い機能していない事をも意味するもの、適切なる対策や措置を取る所か、現状は成るが侭に任せて(対策や法制定等の)時節の到来を待つのみと云う、言わば、悠長なる判断、待ちの姿勢に、急ぐべき対応をして放置した侭に措いて良しとさえするのが、長期政権でもある現下の安倍政権の、不条理なる政治の特徴と云う事なのであろう。勿論、一般社会は、国家権力者の為す斯かる条理無き後姿を見、且つ、其れを良しとして模倣さえするもの、其の意味での社会秩序の維持と責任、其の崩壊へと至る責めは、八年間をして国権を掌握し続ける国家権力者として免れるものでは無いと云う事にもなる。

 嘘は吐く、白は切る、前言は翻して見せる等々の不条理なる所作に付け加え、きちんと説明責任を果たすと云い乍ら果たした例は一度として無く、其ればかりか、始末や具合の悪い事態が起きると、サッサと其の場から逃げて答えずに措くと云う、此れが、立憲君主制国体下に於ける民主自由資本主義社会下の議会制民主主義に基づいて選ばれし、行政府の長の遣る事かと疑いたくもなるが、其れでも尚”良し”としているのが誰在ろう、日本民族が其の過半数以上を占める与党第一党の自民党で在るとは実に信じ難き事であり、赦されざる事、まさに、D.トランプの唯我独尊的政治態様をして野放しに放置し、黙認し続ける米国の政権与党共和党(員)にも(日本の自民党に似て)非は在するもの、基より、其れは奇妙奇天烈なる合衆国選挙制度(下院も上院も)へと繋がっているのである。

 永らく政界をして牽引して来た、清濁併せ呑む政権与党自民党に、潔さであるとか、社会正義の顕現であるとかを望む事など無理なる相談と云うものだが、政府主催の「桜を見る会」で改めて判明した、所謂、此処まで大っぴらに、而も、国税を使っての「政府主催の会」に、即ち、国家社会に対して貢献せし人々を労うべく、花見会と称して招いた接遇や宴会の場に、安倍晋三菅義偉を一とする閣僚陣が招待枠を設けて人選、反社会勢力やハングレ(半分愚連隊?)と称される反社会的分子をも呼び寄せ(招き入れ)ると云う、云わば、時代錯誤の接遇や供応が、招かれし善良なる市民等とともに現実的に為されていたとは想像さえ付かなかった事、此処まで政権与党である自民党安倍晋三政権が腐って終っていたとは、実にお笑い種ではあるのだろう。

 安倍晋三にしても菅義偉にしても、或いは、高級官僚群にしても、国家国民の為に理性在る条理を以って働く、元々が並外れて優秀で有能なる人材には非ずのもの、己の欲望充足の為にのみ”働く”小賢しい人物でしか無いのだろう。