日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆虚々実々、日本国を牽引する政党

 嘘か実かは定かでは無いが、世界の総人口が72億人とも言われている世の中で、其の数0.14億人、即ち、一千四百万人と云う、全体から見れば僅か0.2%にも満たずの民族が、英米欧の政治経済上の主たる営みを、乃至は、其れに関わる国際(的)機関の設置や運営を、或いは、メディア、情報、映画、教育等のあらゆる分野に至るまでの建設指揮等の采配を為し、関連組織を敷設しては運営もし、基より、ルール作りから罰則の付加、変更修正に至る微調整迄をも加え、人員の徴用や配備は勿論の事、行動目論見等に至る須らくの機能や権能を具備し続ける支配的人種が、斯かる0.2%にしか過ぎぬ民族に因って、言葉こそ悪いが、掌握され続けている実態を知れば、知らぬものは一様に驚くと云うよりも寧ろ、其の、非凡にして異例なる思考回路の、特殊性に唯々驚嘆するばかりでしか無い、と云う事にはなるのだろう。

 単一民族として見れば、一千四百万人と云う数字は決して少なくは無いが、世界全体から見ればそうそう多い数字とは言えずのもの、当該数字を煮詰めて行くと、上記に云う、主導性や創造性、或いは、オールマイティーとでも云うべき権能を完璧に具備する人々の総数は、家族を除けば、精々が数万人規模のもの、J.コールマン博士の云う様に、更に突き詰めて行けば、当該数万人規模の組織的民族の最高頂点に立つ人数は、現に「三百人委員会」を構成する三百数十名前後にはなるのだろう、と云う事にはなる。即ち、英米欧の政治経済を其の手で実体的に差配、と云う事は、国際社会の政治経済をも其の手で動かし、文化、文明にまで注文を付けて動かすのは、当該三百名前後の民族、と云う事にはなるので在って、恐らく、此れから先も尚、人類が滅亡する間際に至る迄の間は、此の仕組みと云うべきか体制と云うべきかは別として、彼等の発する命令や号令の仕掛けに由って、世界史が継続されていく事ではあるのだろう。

 世界の一本化(ワンワールド)構想が彼等に因って目論まれ、図式化した場合の、其のヒエラルキーの頂点に立つものは、当然に、0.2%の彼等なる民族であり、其の下に来るものは、純粋なる意味でのコーカソイドとは異なるが、英米欧の白色人種群と、それに付け加えてのカナダ国でありオーストラリア国でありニュージーランド国の白色人種群、勿論、日本民族を一、有色人種群と看做される中国や南北朝鮮の黄色人種や、赤色人種、はたまた、茶色人種や黒色人種等は、居てもいなくとも構わぬその他大勢の人間家畜として取り扱われる者たち、即ち、彼等0.2%の中より這い出でし更なる選良民である”300人”からは、その様に認識され、看做されてもいると云う事である。

 基より、斯かる選良民(シオニストユダヤ系大財閥資本家群)により認識された、所謂、選良民をして支配者とする、国際社会のワンワールド化構想と、有色人種群並びに反抗的白色人種群に対する家畜人間化構想は、環境破壊が尚一層に深刻化を増す現状より以前に構想されしもので在って、まさに、何千年後か何万年後、若しくは、左程に遠くは無い、何百年後かには遣って来そうな、即ち、人間、若しくは動物として住まうには余りにも地球環境の劣化が押し進み、且つ、食料も去る事ながら、飲料水の供給にも事欠く有様の地球は、突出した選良民が構想していようが居まいが、其の方向に進んでいると彼等0.2%の選良の民が考えていたとしても不思議な事では無いのである。

 今、安倍晋三率いる自民党海江田万里率いる民主党も、中間層的社会生活レベルの維持を将来的にも期する為に、此れ以上の少子化の進行だけはくい止めたいとし、阻止乃至改善を図る対策を打つべく、政治力を駆使しては金のばら撒きを図って来たが、それでも尚、改善策は未だ見えず、勿論、現状と将来の行方を見定め、条理在る社会生活を求める日本民族にとって、何を為すべきが最良なる方策となるかに関し、現実的に見て、無理でもある事を理解し得ている人物は、口が裂けても言わずのもの、基より、シオニストユダヤ系大財閥資本家群の傀儡子となって国権を差配し、平然として演技する人物群にとっては、敢えて、少子化傾向の食い止めをこそ強調して言うのだが、黙っている方、為し得もしない事を口に出して言う方の何れが理に適い、将来を見極め得る根拠と判断になるかは言わずもがな、少子化傾向は、何れ、つるべ落としの如くに続くと見るのが正解、左すれば、経済的発展に次ぐ発展を遂げ、出来る限りの利益の生み出しを図る経済政策を、此れからの四年間に於ける中心的政策課題として打ち出すとしている安倍晋三率いる自民党も、海江田万里率いる民主党もともに、誤謬的政策を国民に押し付けるだけのものとなり、即ち、目前の欲に国民の目を惹き付け、将来に於ける必然的不安到来の現出からは目を遠ざけさせるもの、我が日本民族をして理性的条理に牽引し得る様な、彼等は人物や政党には非ず、日本民族の主導者として相応しいのは、今の所、小澤一郎しか見当たらないのだが、如何せん、国権を掌握し差配して貰うには、前提となるべき議員の数、即ち、玉不足の観は否めずのもの、今次の立候補予定数に於いても僅か14名と在れば既に勝負あり、基より、ゼロよりは益しだが、詐欺師やペテン師軍団と闘い、悪辣なる国権保持者と闘い、条理未覚醒マスメディア群に喝を入れて覚醒させるには到底足りずのもの、左すれば、投票に向かう事すら躊躇わせる原因ともなるが、気力体力在る間は投票に駆け付けなければならない。

 議員志望の、単なる欲深き自民党員や公明党員の今次に於ける当選予定者が、晴れて登壇せし後に、小澤一郎が抱き続ける国家社会条理に共鳴、示される政治的活動の事実を以って覚醒、自民党公明党を離党し、生活の党への参加申し込み、乃至は、共同政策作りに向かうとは到底思えぬものの、期待だけはしなければならない現下の日本国家社会、即ち、此の侭に行けば、行政府を現に率い、自民党公明党を束ねて牽引する安倍晋三の独り勝ちになると云う事実は覆らずのもの、左すれば、シオニストユダヤ系大財閥資本家群に因る日本民族国家社会への手の突込みはあからさまに為される事と相成り、一方、敗戦国の苦汁こそ舐め続けはしたものの、形だけとは言え、辛うじて、国家政体こそ<立憲君主制>だけは維持された我等列島や島嶼群に住まう日本民族、斯かる政体に異変が全く生じ無いとは断定し切れずのもの、自らの存在をして、排他的地位とでも云うべき最上位に置き続ける事で、王国、皇室、王室等の存在そのものを好まず、十九世から二十世紀中葉にかけては、悉くに潰し、廃絶して来たのが彼等シオニストユダヤ系大財閥資本家群、基より、其の彼等に因って仕掛けられた大東亜戦争第二次世界大戦)に於いても、被占領下の悲惨なる八千万の民として措かれた其の日本民族から、現下の政体である<立憲君主制>の内の君主制が外されそうになった事は、数多の史書が示す所ではあったのである。

 斯かる政体の完全変更は、日本民族の総意を以って阻止されはしたが、今、何処と無く漂い始めた新たなる不穏にする動き、基より、現政権が惹き出してのものかどうかは定かでは無いが、少なくとも、小澤一郎率いる「生活の党」には、斯かる不穏分子(シオニストユダヤ系のエージェント)は一人として含まれてはいない。