日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆国家権力の濫用が実に目に余る安倍晋三政権。

 国家宰相安倍晋三と合衆国大統領D.トランプ、何れが貧乏神で疫病神か、或いは、何れが悪党で悪人で在るかは、安倍晋三とD.トランプの織り成し示す各種の政治事象、或いは、宰相安倍晋三と大統領D.トランプに付いて回る政治的結果事象を見れば明瞭には成ろうと云うもの、差し詰め、思い通りに願い事が叶ったかどうかは別として、直接的に其れも悪びれる事も無く大胆に、国権を翳し不法行為を遣らかして終うと言う点では、疫病神が先に進み悪党の汚名を着るには十分なる米国大統領のD.トランプで在り、他方、直接的に動くのは政治的にも問題ありとして動かず、但し、政治的地位や高名にする自身の名前を暗に利用しては借り、其処から生み出される、部下たる第三者が勝手に作り出す「慮りや忖度」を巧みに流用、また、依頼主からの直接的金銭の授受等は専らにして避け、若しくは、先延ばしにする形かどうかは判定の仕様こそ無いが、押し止めて今は遣らず、唯々、鶴の一声を以って、間接的に国権を流用、不当不正に依頼事案をして成功裏に導くと言う点では、即ち、貧乏神をして後背に置き、個人的に現す悪人役を独り演ずると言う点では、日本国宰相安倍晋三に軍配が上がる、と言うことにはなるのだろう。

 地位を悪用、証拠となる手足の付かぬ手法たる、所謂、忖度をさせては国家の財宝を奪い取る、作為的手法では其の右に出る者のいない渦中の安倍晋三が、今上天皇の御退任御所望時に於いて、閣僚陣に向けて発言したのかかどうかは定かで無いが、確かに発言をしたとのメディア情報に因れば、「天皇家」の在り方に付いても安倍晋三が触れて見せ、「女性宮家」は不要であると断言された様で、何となれば、宰相たる安倍晋三にとっては、「天皇家」の御世継ぎを律している法制、所謂、天皇家の御法典たる皇室典範に記載されている条項、即ち、第1条に記載された「皇位継承」を定める件たる、「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。」との、「万世一系(男系)」の改変だけは断じて譲れない所と言い、即ち、「天皇家」の長は、恒久的に”男系”でなければならず、此ればかりは守り通さなければならないと、現に座る国家宰相の地位を以って、彼安倍晋三は断言したとの事である。

 基より、日本国は、第二次世界大戦(1941〜1945)に於ける、アジア域内に於ける敗戦国としての不名誉を託ち、体制も崩壊の憂き目に遭い国体ともども再出発を余儀なくされたのだが、幸か不幸かを別とすれば、戦勝国たるアメリカ合衆国に、民主自由資本主義社会体制の、柔軟にする骨格を移殖して貰い、且つ、其の大本ともなる、在って然るべき理想的社会制度の採用並びに運用を、列島に住まう、「天皇家」をして長とし、且つ、八千万日本民族を以って赤子とする、「日本国家国民」に提示、其れを受け容れる事で、「日本」を国名に冠して、爾来、体制破綻の危機こそ何度か到来したが、千四百年余りに亘り「立憲君主制」が無事に守護され、今も尚良質裡に続く、「天皇家」をして長に措く日本国家社会体制を形成して来ているのである。基より、敗戦の憂き目にこそ遭い、「天皇家」の御存在、並びに、国家社会的地位に関しても、部分的にこそ国家組織的変更こそ見たが、実体として、日本国家国民の長に在らせられる事に一つとしての変更は無きもの、況してや、一つとして変えてもならぬのが、「天皇家」の日本民族内に於ける地位で在り、且つ、実体的国家の長として示す、理性的条理を以って唱道する権威そのものですら在るもの、左すれば、国家社会運営に直結する三権そのものは「赤子」にこそ移管されたにせよ、「天皇家」そのものを護持する「律」、並びに、「天皇家」そのものを主導する「令」はともに「天皇家」に措いて決定されて行くべきが、日本民族が求めて已まない道であり、正論と言うもの、基より、行政府の長ではあるが一介の市民にしか過ぎない宰相の安倍晋三等が、予算権と人事権を有する事から錯覚のみし、現に座る己の椅子と地位に在る事を誇る序に勘違い、民意すら得る事無く単独で、”万世一系の改変だけは断じて譲れない”何ぞの、見下しに因る言い分は、不謹慎にして不遜、暴言を撤回して謝罪、割腹でもして詫びるべきではあるのだろう。

 斯かる不謹慎にしてぞんざい、傲慢にしてガサツなる人物が、愚民の手を借りて国家宰相の地位にまで上り詰め、而も、五年も六年も其の地位を保ち続けているとは世も末、自民党の先も見えたと言う事でしか無いのだろう。

 二十世紀初頭には既に、欧州域で政治経済的萌芽を確実に見ていた<シオニストユダヤ系大財閥資本家群>、特に、仏国ではロートシールト一族と称され、英米両国に在ってはロスチャイルド一族とも称される、国際的政治経済や紛争等に深く関与しては現に多国をして唱道する、シオニストユダヤ系大財閥資本家群は、其の生い立ちから、自らの帰属する民族をして蔑み、且つ、貶め続けて来たと断定される、所謂、帝政ロシア等を含む欧州域内の、貴族や皇族、若しくは、王族等が支配する国家群に、極めて強い不信感や猜疑心を抱き続け、基より、爾来、今日に至るまで、内面に於いては彼等と戦い続け乍ら、第二次世界大戦の結果を含めて、王侯貴族等の既存国家群を排除し、また、彼等シオニスト一群の力の及ばぬ王侯貴族国家群のみが、実権の低減を以って体制廃棄が免れ存続が承認、継続的体制維持を赦すと言う特枠をすら、執って来てもいるのである。

 其の、シオニストユダヤ系大財閥資本家群の政治的前衛とでも言うべき、民族こそ異なるが、宰相の地位に在り続ける安倍晋三が、自らが自負する民族出自を以って、<主>たるシオニストユダヤ系大財閥資本家群と同様に、王侯貴族を無用のものと看做し、「天皇家」に関わる此の侭の法制を不磨の大典として触れず、且つ、変えずに措けば、”血”の為さしめる業に因り、万世一系たる男系が途絶える、高い可能性を認識、其れを以って<主>の意向に沿う事も叶うとでも読んだのかは、”忖度や慮り”の域こそ出ないが、彼安倍晋三の現に立脚する立ち位置に鑑みれば、概ね、的は射ていると言っても過言では無かろう。

 ”無知に勝るテロル無し”なる、口伝を借りては多用する当欄ではあるが、此れ程に、「天皇家」をして軽視する「内閣」は、現在は財務大臣職を務める元宰相麻生太郎内閣を別とすれば、安倍晋三現宰相を措いては他に見当たらずのもの、あの、在りし日に於いては泣く泣く、故橋本龍太郎自民党総裁とタッグを組んでは宰相の座に就けられた、今は無き元日本社会党々首の村山富市ですら、首相職に就任せし期間に在っては、「天皇家」をして、ぞんざいに措く事は一つとして無く、当たり前の事だが、日本民族の一人として、日本民族の長に在られる事を表象する「天皇家」には、最大の敬意を払い、国事行為に於ける政治的御接触に関しても、十二分にする配慮を以って為されしもの、其れに比べれば、現職の宰相たる安倍晋三の様に、自らをして、国家最高の長として錯覚し措き、且つ、頑迷固陋に振る舞い続け、深謀遠慮を以って発する発言や目配せ一つで何事も為し得て可能で在ると、また、為し得たと、独り思い描いて得心する行政府の長もまた珍しく、且つ、奇怪なる存在とはなるのであろう。

 国家行政府の人事権と予算権を己の政権執行時代に確立したと言われている安倍晋三内閣、其れが原点に布かれてからでは在るのだろう、即ち、各省庁、若しくは、各国家機関や政府機関等に在っては、それぞれの公僕が立身出世に強く差し掛かる段階を以って、繰り広げられる事となる諸々の競争に尚一層の拍車が掛かり、猟官運動ならぬ、覚え目出度き出世活動に身を措くべく、国民を騙してでも敢えて危険を冒し、行政府権力者群の心中を推し量っては目を惹き、立身出世者群が現に執行する特別業務、乃至は、行政府権力者群が暗に求める格別なる事案に的を絞り、望むべくの方向へと知恵を絞り、便法を駆使、手渡しの成功へ導くと言う、為せば成る不法行為の悪知恵を借りて、国家国民に共有すべき有形無形の財産を、只同然、若しくは、付加価値すら付けて、慮りを求めて動き回る主の手へと、順次に、引き渡される事と相成るのである。

 此れはまさに、国家権力者(群)に因る、国家財産簒奪の為のテロル実践行為、証拠至上主義に基づく「証拠」こそ残さないが、明らかな、(国家)権力濫用(罪)では有るのだろう。