日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆国政を含む<野党陣営>の転換点ともなる今次の統一地方選。

 統一地方選挙等の、所謂、税と言う対価の支払いを以って迄為す政治的指導者選びは、白熱を帯びるどころか淡々とした流れの中で前半戦は終了、政党別に関わる占有率から推し量り、残されし後半戦を見れば、大凡の大勢と言うべきか政党の趨勢は見えて来ようと言うもの、勿論、反権力的風土社会に在ると見られてもいた北海道知事選では、野党陣営が挙って推す候補者が敗退、財政破綻を来たした夕張市を若者(新人)の市長が元に戻した(再生など為し得てはいない)と評価されたのであろう、仕事(清算と復興)を残した侭に途中退任し、知事選に走って拍手喝采を得るとの、何とも間尺に合わない道民気質を見た様な気にもなるが、何のなんの、道知事として(反権力志向の強い道民に)票を集めて選ばれし候補者は、言っては何だが、票を貰えなかった候補者よりは益しで、知事職をして熟し、且つ、遣り遂げては呉れる人物に相違ないとして見られたからが故のもの、野党が挙って押し上げたからと言って無定見に同意する事も無い、道民意識すら強く見させられた思いこそするもの、反権力等では無くまともなる道民意識として成長、唯単なる政党のみでは決して動く事の無い、<民主自由資本主義>一歩手前の「人本主義」が優勢を占めた北海道知事選では在ったと言うだけの事なのだろう。

 また、大阪府知事選や大阪市長選に於いても似通いし選挙傾向は続き、政党大阪維新の会?率いる前府知事、乃至、前市長が相互に職場を替えて為す選挙でともに当選を見、また、市議選も府議選も同政党が第一党?を確保、国家的規模の政党たる自由民主党を凌ぐ勢いで、関西圏では勢力を維持し拡大すら見た様だが、其れもその筈、此処ぞとばかりに擁立した自民党候補者はと言えば、見るからに権力者然とした悪びれし風貌の持ち主で、況してや、普段は一触即発下に在って然るべき存在の、主要なる野党陣営迄もが自前の候補者を立てる所か、当該自民党の推す候補者に馳せ参じては”ガンバレよ!”なる連呼を繰り返し、えげつなくも、敵の敵は友なる姿勢を身を以ってひけらかせば、如何な天真爛漫にする大阪人とて不愉快になるのは道理と言うもので、”大阪人をして甘く見たり、馬鹿にしたり等しなさんなよ!”と(野党陣営に)言いたくもなろうと言うもの、大阪維新の会への応援もまた、安倍第二政党と言われる維新をして大阪人が熱烈に応援した訳では無く、機を見て維新に投票せざるを得なかっただけの話しと言うもの、との推察は成立するのである。

 斯くして、前半戦をして終了せし選挙戦を俯瞰、押し並べて言えば、政権与党(自民党公明党等)VS 野党勢力たる四年前の政党占有図式は一つとして変わるものでは無く、基より、旧民主党政権が崩壊した事に因る分党こそ新た事実として現れもしたが、其れ等の新党をして一括りにして崩壊せし野党の旧民主党と捉えれば、殆ど変わる事の無き、与野党の政党形態にはなるもの、即ち、与党を除く、所謂、僅かで在ろうとも、台頭して然るべき存在の政党でもある「日本共産党」や「社民党」、乃至は「自由党」が、全くと言って良いほどに伸びずに停滞、与党たる自民党公明党に国家権力をして維持させ続ける様は、日本国民の気性からすれば大いに疑義を抱かせるもの、即ち、単純に”現状の侭で良いのだろう”なる理由を以ってしてでは無く、あちらでは野党陣営が共闘して選挙戦に臨みながら、こちらでは主要なる野党陣営が候補者も立てずに与党陣営に馳せ参じて応援すると言う、何とも、政治的に見て節操の無い選挙戦を繰り広げると言う、所謂、新たな選挙手法の採り入れかどうかは知らないが、腑に落ちる事など先ずは無いのである。また、野党が共同戦線を張って戦う地域も在れば、野党共闘が得られずに分散して、其々を敵として戦うと言う、まあ、中途半端で見え難い遣り方は、論理的に成立する事は在っても、情報が瞬時にして沖縄県から北海道に至るまで飛び交う、37万平方キロ米日本列島に住まう一億二千六百万日本国民の時代に在っては、通じる事など在り得ずのもの、上述せし大阪人の言葉が、日本国民の声として敷衍すら出来るのである。即ち、”野党陣営よ、我等日本国民をして甘く見たり、馬鹿にしたり等しなさんなよ!”との溜息が聞こえて来そうである。

 恐らく、統一地方選の後半戦もまた、前半戦同様の傾向を引き継ぐ政党別得票率の結果が想定されもので、与党陣営の大勝に対する野党陣営の伸び悩み、乃至は、伸び悩み傾向と言う図式が見て取れるもの、本来、野党陣営に於いて伸びて然るべき、或いは、伸びなければならない政党の地位に在る筈の<立憲民主党>や<日本共産党>、<自由党>や<社民党>が低迷の危機を脱しては居らず、唯々数合わせのみで部分共闘を図り、危機意識として遣っては見せるが、上述せし部分共闘や、与党との間に一部合流を見たり、選挙区の過半に在っては野党同士が相反目して戦うと言う、言わば、日本国民には到底受け容れ難い、一種独特とでもいうべきか、短絡的とでも言うべきかの、中途半端なる選挙手法を展開する等、本来は在ってもならずの選挙戦略?を採用、票が分散するか、与党に流れるか、左も無ければ、投票棄権をして選択させて終う等へと、国民をして追い遣る結果を招くのは必然のもので有り、好ましからざるもの、若し共闘を組むのであれば徹底的に、且つ、全国で組むべきが筋と言うもの、日本国民をして納得させるには、選挙区に因って協力を違える何ぞは、在り得ぬ手法で在る事をこそ、少なくとも、<立憲民主党>や<日本共産党>ぐらいは特に認識して措くべき条理である。

 序に一言いわせて頂けば、創設して間も無く、左すれば、政治資金も左程に潤沢では無く、知名度も実績もどちらかと言えば未だ突出せしものが無く、旧民主党政権時代には確かに政府与党の代表として、三名もの宰相職を送り込んで国政を務めさせ乍ら、対応の仕方一つで避けられもした東電原発に関わる水爆事故をも惹起させ、福島県民をして悲嘆のどん底に貶め乍ら、福島県民に対して謝罪の言葉一つすら為さず、今では政党の最高顧問に就いては国税の禄を食む人物をして、党の顔として抱え続ける<立憲民主党>には、何を言っても聞く耳持たずとして受け取られるので言わぬ事とするが、野党陣営で、国民的政党に成り得る唯一の政治的人材と可能性を有する<日本共産党>には、一言苦言を呈して措かなくてはならないのだろう。

 即ち、元々が、国体に於ける国家(政党)理念展開の上に於いて、<日本共産党>とは齟齬を生じて一線を画し、基より、誤解すら生じさせた上での其れこそが一線の画し、所謂、政党自体の無視そのものでも在ったのだが、斯かる<日本共産党>が、政党代表者(委員長)の席に志位和夫氏を向かえる様になってからでは在るのだろう、「天皇家」の御存在をして、日本共産党としても、認めると言う初の政治的判断を行動で示し、即ち、国会開会式に伴う「天皇陛下」の御臨席を仰いでの式典に、日本共産党所属国会議員として出席、即ち、日本国政体たる【立憲君主制】に措く国体をして、曲がりなりにも認め措くと言う形を日本共産党が取った事は、一億人日本民族としての評価は受け容れ可能である事を日本国民に教えたもの、勿論、何れの日にかは、当該評価の成り行きに関して、詳細を語る積もりではいるが、差し詰め此処は推奨するだけに留め置くもの、即ち、異邦人傀儡子宰相たる安倍晋三自民党員をして、行政府のトップや立法府の挙手起立要員に数多く抱え続けるだけの現行政権与党自民党であれば、其の豊富な政治知識や政治能力溢れる人材の多さからは、日本共産党に政権を委ねても問題は無きものである事が観察される所、勿論、早急に、日本国民に向けて、次なる声明をこそ日本共産党は出すべきでは在るのだろう。

 一、政党名は何れ近い将来に於いて一新し変える事。
 一、政党理念は、立憲君主制を維持する中で、民主自由資本主義を基調とする新たなものを創造、指し示す事。
 一、旧来に措く伝習や柵は取捨選択、不要なるものは破棄する事。
以上