日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆不法行為を認めながら撤回はせずに措く安倍晋三、法治主義に悖る。

 此処まで愚かでガサツ、且つ、嘘は吐き放題、白は切り放題、稚拙で身勝手なセリフ(ヤジ)だけは即興で演じて見せる等々の、全く箸にも棒にも掛からない致し様を知らぬ鈍らな人物をして、国家権力者のトップに抱えては君臨させる日本国家社会、基より、法律は守らず所か解釈をして勝手に変更し、三権の府の人事権、予算権をすら掌中にして終う事で、国家権力者たる異邦人傀儡子宰相たる<安倍晋三>が、作為性を以って、黒を白、或いは、白を黒と言い変えても、結局は、傀儡子宰相の言い分が正しい言い分であるとして、罷り通って終う社会とした観も有る日本国家社会、此れでは貧乏神も疫病神も跳梁跋扈せぬ由は無きもの、斯かる不条理にする異端児安倍晋三をして、”わが党の長”として小躍り、持て囃しては抱き続ける、日本民族をして大量に含む反社会組織自由民主党、理性在る条理を全く含まぬ此の愚か過ぎる政治集団では、早晩にして、在るべき日本国家社会は遠のき、崩壊の憂き目に遭っても可笑しくは無いのだろう。残念乍ら、新型コロナウイルスの日本社会での流入に因る発症が、間接的にトリガーを引く事と相成り、国家社会体制崩壊に至る一因になるのかも知れない。

 古代史に燦然と輝いていて然るべき筈の「東北王朝(史)」をして、桓武天皇の下でキッチリと片が付けられ、坂上田村麻呂軍に因って不覚にも壊滅させられた、世が世であれば、「東北王朝」の雄たる蝦夷一族、中でも、今も尚その名を世に引き継ぐ、「秋田家、安東家、安倍家等」の、特殊、且つ、華麗なる一部の人々にとっては、至極無念の思いには在る事なのだろう。基より、八百年早々に於いて、日本国に和合吸収されし後は、日本国民の一員として、遺りし多くの蝦夷一族は倭人等に合流させられては同化、戦国時代等には名だたる武将等を破り、新たなる勢力たる戦国大名を打ち立てたり、明治維新等への参画をも成す等、更に、昭和や平成、或いは、令和に在っては、上述せし蝦夷一族と血こそ繋がりもするが、三名もの行政府の長を国家として輩出、剰え、間接的にする血の関与を含めれば、二桁をして優に超すで在ろう高度にして稀有なる存在(「天皇家」に次ぐ)の人材をして、上述せし「秋田家、安東家、安倍家」からは輩出されてもいるのである。

 其の様な、言わば、由緒正しき、且つ、希少なる存在をして、誇りこそすれど卑下したり苦痛に感じる事すら何一つとして無い、蝦夷一族の血を引くで在ろう彼等が、何故に此処迄して、日本民族に敵愾心を抱き続けたり、一億総日本民族の長たる「天皇家」をして、赦されざる存在であると邪推し、貶めを謀り続けるのかは、凡人たる一日本国民には理解不能なる所、特に、現役宰相たる傀儡子政治屋安倍晋三に因る、八年もの間、国家理念も政治理念も何一つ無く、況してや、国家権力をして唯一己に与えられし排他的指揮権と錯覚、斯かる国家行政府の長を長々として務め乍ら、また、自らの周囲に常に寄り添う件の、アメリカ合衆国から派遣されし<B&A群>に因る指揮命令のインストラクションには、”精根は尽くしても”、日本国家社会の為にはならずとも働き続けるのは、偏に、傀儡宰相たる安倍晋三本人には日本民族の誇りたる自覚も無ければ、意識一つさえ無く、在るのは唯々、古に於ける(桓武天皇の御代に於いて、蝦夷一族王朝が壊滅の憂き目に遭い、且つ、倭民族に制せられし事に因る)怨念が在るのみで、日本国の”日”の字一つすら頭に無ければのもの、基より、日本民族が此の先どうなろうと彼安倍晋三にとってはどうでも良い事、与り知らぬ事なのである。

 国家権力をして自由自在に解釈し、”振舞って見せる”と言う事が一体どういうことなのかは、安倍晋三政権真っ只中に在る現状では、誰もが正しく答えられずに措くもの、即ち、行政府、立法府、司法府其々の、等距離関係に於ける、『侵さず且つ侵されず、相互に尊重し合い、須らくは<法と正しき法解釈並びに運用>を以って全きと為す』等の不可侵性を盾に相互存立を図り、立憲君主制下に於ける国家社会をして、不条理性の介在無き事を前提として、相互に国家社会をして創り上げても行く事を是としているのが、此の日本国家社会の仕組の筈なのだが、反社会組織に成り下がった観の有る、自民党総裁安倍晋三が政権をして担ってからと言うもの、上述せし理念は立ち処にして壊されたばかりか、行政府の長に君臨する事を良い事に、勝手に「三権分立/民主自由国家社会理念」をして解釈、三権須らくの人事権並びに予算権に手を突っ込んでは差配し掌握、剰え、法に則る所か無視すらし、遣りたい放題に措く異邦人傀儡子宰相安倍晋三は、今般、司法府に於ける内部人事にまで手を広げては突っ込み、論功行賞なる己の造りし仕組みと手法を使って、勝手に人事操作をし始めたのである。基より、何の為の論功行賞であるかは言わずもがなには措くのだろう。(森友問題か、加計問題か、はたまた、強姦犯見逃し問題の功績としてか、其れとも其れ等須らくに対する論功行賞としてかは、本人達のみぞ知る所)。

 斯かる内閣府に因る不法行為の履行をアッサリと認める方も認める方だが、法に則って正そう等とはせず、不法行為である事を認めた上で、「其れの何が悪い!」と言わんばかりの居直りの答弁を法務大臣に為さしめ、壇上に立った傀儡子宰相安倍晋三は、私が解釈変更をしたもの、(国権保持者が解釈変更を遣ったのだから)問題は無い、と迄言い切ったのである。此処まで来ると二ノ口すら吐けず、其の傍若無人性と言うべきか、法を無視しては蹂躙する暴力的発言とでも言うべきかは判らぬが、恐らくは其の何れにも該当するのであろう、斯かる安倍晋三に因る不法行為に待ったを掛けられない司法府そのものも問題だが、唯々諾々として宰相安倍晋三発言に聞き入るしか能の無い政権与党自民党員もまた、狂った存在でしか無い、と言う事なのだろう。日本国家社会は、大変な時代へと迷い込んで終ったのかも知れない。