日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆米国大統領の来日をして、笑って観ている余裕など在りません。

 確かに、1945年に日本帝国は、大東亜戦争(太平洋戦争)に於いて、結果として米国を主とする連合国軍に負けるべくして負け、種類の異なる二基の原爆を、国際法たる戦争法で定められた、所謂、爆弾投下禁止区域でもある「民間人居住区域(広島市長崎市)」に投下、而も、わざわざ大量殺戮を伴う日本の居住空間目掛けて落とす様に企図、米軍幹部の言うが侭の原爆投下に従った米国大統領H.トルーマンユダヤ民族系米国人)、戦後暫くをして大統領の座に就き乍ら、旧日本帝国に対する訪日は一度として無かった彼H.トルーマンでもあるが、基より、無差別絨毯爆撃を以って既に都市と言う都市部の多くが焼き尽くされ、廃墟とすら化し、非日常化に措かれた中での当時は日本帝国、斯かる、有色人種から成る日本帝国では在っても、遣ってはならない大量殺戮兵器たる(完成して間もない)「原子爆弾」を、人体実験用モルモットに日本民族をして置き換え、而も、当時の天候(気象条件)に因って、広島市長崎市が急遽原爆の投下目標として設定された訳だが、其の様な阿鼻叫喚地獄絵図の様相を呈する日本列島を訪問、斯かる、己の為した作為的大惨事をして直接に目にするには、如何に非人間的大統領とは言え、精神的にも勇気が湧かず、気も引けたのであろう、一度として来る事は無かったのである。

 戦後にのみ絞って、訪日せし米国大統領を取り上げてみれば、共和党フォード大統領(!度)、民主党カーター大統領(2度)、共和党レーガン大統領(2度)、共和党ブッシュ大統領(2度)、民主党クリントン大統領(5度)、共和党Jr.ブッシュ大統領(4度)、民主党オバマ大統領(4度)と続く訪日数となり、夫々に意味も在ったのだろうが、今次の共和党D.トランプ大統領の訪日行為はと言えば、まさに、日米両国民にとっては意味も価値も全くと言って良い程に無きもので、其れこそが勝手気儘に遣りたい事を遣り続ける”遊び人”と、米国大統領の太鼓持ちとして一心不乱に働き、剰え、傳き(かしずき)生きる事に悦びすら感じている傀儡子宰相安倍晋三ですらあれば、新元号「令和」を以って為す「天皇陛下」に措かれての初の謁見の儀に、米国大統領(令)を以って大和朝廷(和)に先んじ宛てる何ぞは不謹慎の誹りを免れる筈も無いが、換言すれば、傀儡子宰相安倍晋三ならではの巧妙にして可能なる、日本国家をして米国の被支配国、即ち、隷属国として現に在る日本民族に対する、奴隷下に措かれている事を再認識させるべくの、其れこそが深謀遠慮そのものかも知れないのである。

 戦後に始まるH.トルーマンやD.アイゼンハワー大統領、J.ケネディー等の大統領こそ、日本民族に因る反米心に火が点くのを恐れたか、恐れる前に、暗殺に因って命を失ったのであろう、来日は適わなかったものの、其の後に来日せし米国大統領の多くが、恐るおそる日本国に遣って来たとの印象、若しくは、日本民族の顔色をして窺うかの様に、米国大統領の両ブッシュ氏迄が訪日を決断したとの理解にはあるのだが、2017年に訪日を果たした現職大統領D.トランプに在っては、来賓待遇でこそ無かったが、「天皇陛下」に対する謁見は果たし得たものの早々の儀礼的に済ませて切り上げ、勿論、真の日米外交課題が何で在るかなど、訪日する側のD.トランプ大統領も、訪日をして受け容れる側の傀儡子宰相たる安倍晋三(政府)側もまた、頭の中に入ってすらいなければ、日米国家首脳同士で話し合う事など一切無く、ゴルフ場に転じては、宰相安倍晋三太鼓持ち振りを演じて見せ、バンカーの淵からバンカー内に転げ落ちて見せると言う、笑いを取る演出すら遣って見せるに留めたのである。

 一方は、元日本帝国に対する支配者気取りをして実践的に演技し、米国市民、日本国市民双方にアッピールする為に来日する、大統領D.トランプと、まさに、一方の安倍晋三はと言えば、2021年後の政権続投すら頭に描き、何としてでも、己が有する二つの目的遂行(日本民族に対する決定的見返し行為の遂行と実践、並びに、歴代国権保有取得期間最長の達成)をして果たすべき事を念じ、基より、日本国の象徴たる文明文化の破壊に向けての訪日ともさせるのであろう。

 自民党安倍政権に拠る、2019年度の巨額浪費外交がまたもや始まる。積み上げるだけ借金を積み上げ、後は野となれ山となれの悲惨さに措かれ、放置される日本国社会、笑って観ている場合等では無いのです。