日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆アメリカ文化をして日本文化と勘違いした戦後世代、誠に迂闊ではあった。

 米国型政治経済システムの須らくに如何ともし難い拒絶感や嫌悪感が生じたり、或いはまた、米国社会文化そのものが吾が身に合わず、吐き気を伴う程に拒否感を抱く等と言う事は全く無く、其れこそ母方の実家が在った疎開中の福島県会津地方で無計画に生まれ落ち(昭和二十二年)乍ら、更には、家族に取り、東京に舞い戻った昭和三十一年頃には、”ものごころ”も大分に於いて付き、其れからと言うもの、ラジオであるとかテレビで在るとかに、家庭学習など一切した事が無い中で、数多く接していく事にはなるのだが、メディアが発する興味ある内容の中には、アメリカンポップスの番組であるとか、アメリカンファミリーもののテレビドラマ化、乃至は、ヒッチコック劇場であるとかの配信が数多くにもたらされ、所謂、米国文化の一部とは言え、若年となりし吾の耳を通じ目を通して、毎日々々興味あるものとして脳内を駆け巡っては入り、堆積すらしていった事を思えば、米国文化をして腐す事など考えた事も無いのである。勿論、日本人等に拠る歌謡曲や漫才、TV劇等も耳目に飛び込んでは来ていたが、ポールアンカやニールセダカ、E.プレスリーやコニーフランシス、デル シャノン等に、或いはまた、「ビーバーちゃん」や「パパ大好き」、「うちのママは世界一」や「拳銃無宿」、「ローハイド」等をして、日本人側が凌駕し得る筈も無く、米国文化は吾ら戦後世代を席巻しては花開き、基より、ラジオやTV以外にも、新聞を読む様になってからでさえ、米国を主体とする政治経済絡みの(仔細迄は理解出来ないでいたが)記事にも触れ、判らない字が在れば、取り敢えずは、周りの家族に聞いて見る事をしたものである。

 基より、小学生や中学生に於ける年齢時の常態にする社会生活は、当時に於いてすら考えた事は無く、今にして思い起こせば、戦後日本文化(?)の中に育まれて来たかにも見えるが、何の事は無い、戦前から有る年中行事や祭り事、徐々に付け加わりし祝祭日等の消化以外の社会の動きには、相当の割合に於いて米国文化が顔を出し、戦後生まれの者達にとっては極自然の社会ルール(罰則付き)として受け容れて来たもの、基より、戦前生まれの両親や祖父や祖父母等に因る、斯かる米国文化の流入に際してすら不平不満等吐かれた事も、聞いた事すら無ければ、大凡、戦後十年(1955年)や十五年を過ぎし日本社会は米国文化をして受け容れ、違和感など何一つとして起きず、75年近くにも及ぶ間、至極当然の日本独自の社会文化として消化され、且つ、認識されても来たのだろう。

 戦勝国たる米国に押し付けられ、制定された「日本国憲法」であるとの事由のみで、安倍晋三率いる自民党政権は自国日本の憲法に在らずと難癖を付け続け、憲法九条の改定に因る自衛隊の存在価値に因る編入と記名を、党是として挿入すべしと主張、来る2020年度迄には、何としてでも改憲を遂行し、同時に戦後史に幕引きをしなければならないと主張する異邦人傀儡子宰相安倍晋三政権、基より、異邦人傀儡子宰相たる安倍晋三独りか、勝手に、異国たる米国が創った憲法であるとか、押し付けられたものであるとかを強調して見せる者多いが、憲法制定時に当たっては、当然の如くに日本人憲法学者等を交えてのもので、米国を一とする戦勝国群のみで創られ、且つ、押し付けられた日本国憲法などでは無きもの、況してや、元の憲法ともなる日本帝国憲法ですら、其の制定に於いては、欧州国の憲法や内容仔細等を勘案、日本帝国に合う様に修正採用等をしたものであれば、現行憲法に在ってすら、何一つとして恥じ入る事など無用と言うもの、例えて言えば、日本人は須らく着物等を着用し下駄や草履等を生活文化に舞い戻すべしとする様なもの、今時、良質にする慣れ親しんだ生活慣習や文化としての流れをして”変えるべき”何ぞは、到底受け入れられる筈は無きもの、況してや、国家自衛隊の存在は、実体的に、国家国民の中に国防実務を含む存在として認められてはいるもの、此れ以上自衛隊に必要とされる実力行使等の権利付与など必要とするものでは無いのである。

 異邦人傀儡子宰相たる安倍晋三政権は、其の深くに根差す政治的性格から、国家自衛隊をして【米国の為に】利用したいと考えているのであろうが、日本国は自発的、且つ、作為的にする戦争は一つとして犯さぬ事を国家憲法に記し宣している国家で在り、其の程度の事は、日本民族ならずとも日本国民で在れば殆どと云って良いほどに認識し熟知、理解下には措くもので、馬鹿の一つ覚えの如くに憲法改正を考えては主張し続ける安倍晋三、並びに、自民党は、努々数多くの日本民族をして見縊ってはならないのだろう。

 余談にこそなって終ったが、アメリカ合衆国の須らくが間尺に合わずに嫌いな訳では無く、換言すれば、物心の付きし時より今に至るまで、ハーバード大学やイェール大学にこそ知識不足と資金不足が災い、留学する事すら叶わなかったが、其れでも尚、進行方向の全てをしてアメリカ文化優先で育ち、生きて来た所から推し量れば、アメリカ文化をして須らく日本文化と錯覚、受け容れて終う事すら不思議とせずは、二十年以上前に立ち返っても断定し、且つ、言う事もまた可能なのである。

 米国政治経済社会(文化)を通じて日本文化と勘違いし錯覚、且つ、無条件に受容、新たに生み出されし日本文化として消化され発展して来ている中で、仔細こそ省くが、作為か不作為を以ってかは別にして、日本国家社会に文化を植え付けしアメリカ合衆国の何が、或いは、何処が嫌いで、今に在っては薄気味が悪いかと言えば、其れは言う迄も無く、民主自由資本主義共和制を国体に措く米国の、連邦制選挙制度に於いて、大統領をして直接に選ぶ、所謂、代議員資格の多寡を以って代議員そのものの総取りを州単位に拠って為す、イカ様染みた選挙制度の存続や、上院議員や下院議員を選ぶ中での、余りにも短過ぎる下院議員の任期等、所謂、百年も二百年も前に設置された「連邦制選挙制度」をして其の侭に使用し踏襲している事実が、我等、米国文化をして受け継いで来ている者にとっては、薄気味悪過ぎてまったく受け容れる事が出来ないであるとか、更に言えば、その様な、薄気味の悪く、問題のみ多き米国連邦選挙制度の中で、合衆国市民から、時代錯誤の其れは制度、即時に改定すべし!なる正論と叫び声が、此れまた一つとして聞かれず、其の結果、偏屈で病的、且つ、精神疾患著しい暴力的大統領をして、アメリカ合衆国大統領の地位に就かせ、剰え、見ているしか為す術知らずの(合衆国市民)状態に措く米国が形成されしもの、端的に言えば、此の二点が米国社会とは相容れず、且つ、非共鳴下に措く因ともなり、米国文化をして日本文化と勘違い、且つ、今も尚踏襲し乍ら、容を代えては現在に至る我等戦後生まれの日本人等にとっても、全く受け容れられずのものとはなっているのである。

 合衆国有権者数に於いて、三百万票の大差を付けて負けてい乍ら、薄気味悪い合衆国選挙制度の所為で、負けた筈のD、トランプが、今やW.Hの主として遣りたい放題、即ち、ルールも社会正義の順守もへったくれも彼には無く、国際政治経済のルールや慣行は無視するは、打ち破るはの悪行三昧、況してや、特別検察官に拠る、自身に科せられし犯罪疑惑捜査報告書は、司法省をして動かし国権を濫用、司法省の代替報告書に替えて連邦議会に提出(ムラ―特別検察官報告書)させると言う、在ってもならない行動すら、狂人大統領D.トランプは執っているのである。

 この様な悪態を演ずる、即ち、米国自体どころか傀儡国日本国や欧州諸国(EU等)、中東諸国や南米諸国、或いは、ロシア連邦等を含む国際社会をして、ズタズタの渦中に引き摺り込もうとしている、精神疾患著しいアメリカ合衆国大統領D.トランプをして、何故に受け容れられ様ぞ、受け容れられない。