日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆傀儡子宰相よ、いい加減に元首気取りは辞め、国税の無駄遣いは正せ。

 異邦人傀儡子宰相たる安倍晋三も、今次の中東歴訪(外交政治的意思疎通の為の訪問ではあったろう)に関しては、国税を消費する以上真面目に、而も、厳しさのみ増す日本国家経済の為にも、コストを切り詰めた形でのシンプルな外国訪問としたのかなと思っていたら、何のなんのそうでは無く、従前同様に相も変わらずの物見遊山に措く形態は変わらず、其れこそが、伴侶昭恵(無任所大臣?)夫人を(今次は密かに?)帯同させての、外交の実践と言う事であり、日本の大地から政府専用機へと搭乗し機影の人と消え去る迄、ヘジャブーならぬスカーフを被らせて(C.ゴーンは楽器入れ容器の中に隠れたらしい)政府専用機に(その様にも見えた)乗り込んで行ったとは、数日間に亘って斯かるニュースの場面を見ても、目を凝らしていなければ到底(ご婦人の同行に)気付き得ぬ、其れこそがワンシーンでは在ったろう。勿論、首相夫人としての物見遊山外交への帯同は、已然、戦後最多の同行回数記録を更新するとともに、訪問国数も、消費せし経費費用ともども歴代総理夫人をして相当にうわまわるもの、此処中東三ヶ国訪問でもまた、億円単位の経費は確かなムダ金として、国税として消費記録されるのであろう。いやっ、経費記録等は非公開に措かれるか、若しくは、破棄されるかして、国民の目に晒される事は無いのであろう。此の政権が続く限りは、外交折衝内容ともども国民の目に晒される事は無いのだろう。

 現下の世間では、理由はともあれ、金も資産もスッカラカンに無くなった事から、今を生きるのにも困窮を極める日本国民が徐々にして増えてもいる中で、また、上手く行かなかった自己責任社会に対して恨み辛みを残しつつ、最後の手段たる自死を選択、一人で、或いは、身体の不自由な伴侶や子や孫をして道ずれにし、自宅に火まで放っては地獄に落ちる事すら厭わない世を儚んだ国民が、急激に増えて来ている様にも見える現状社会に在って、遣りたい放題に権力を揮うおのれ等は、身を隠すための変装までし、外交政治目的訪問とすべき所を、無駄の権現とでも言うべき物見遊山外交とさえして楽しむ様は世も末のもの、文在寅韓国大統領から軽く見続けられるのも斯かる故在ればこそのもの、異邦人傀儡子宰相をして無放任に措く、反社会組織自民党政治をして恨む事は在っても、認める事などどうして出来様ぞ、日本国民をして舐めてはならないと、つくづく言いたくもなる。

 昨年から今年にかけ、あちらこちらで自死を伴う放火による火災が目立つ様になった日本社会、其れはまた、老齢者や経済的弱者を殆どに含む死傷者(変死)を出す日本社会と言う事にもなるのだが、放火に因る自死の選択のみに限らず、弱きものを徹底的に叩きのめしては自らの利のみを追い求めようとする、所謂、指導的立場にある国権をして保持する政治家群の影響力は強く、基より、極めて悪質で異常事態をすら想起させるもの、また、広く国民に影響を及ぼさぬ訳は無きもの、其れだけ日本国民の質も内容も低下していると言う事であり、自制心が効き難くなったと言う事をも現わすのだろうが、感情に任せて安易に走る与党政治家群の様は特に酷きもの、反社会組織自民党が永年に亘って宰相職の座に担ぐ、異邦人傀儡子宰相安倍晋三の専売特許たる、文句を言わさずに為さしめる其れこそが業の模倣とでも言うべきもの、愈々にして、日本民族に対する「奴隷看做し」を基本とする政治は、最終章をして向かえたと言う事の様で在る。

 話しを元に戻せば、ご婦人を外し、異邦人傀儡子宰相安倍晋三単独で中東三ヶ国訪問を為した場合、外交政策遂行上不都合が生じるかと言えば、恐らくはノーで在って、政治的協議を為す相手国もまた、ご婦人同伴の有無に関わらず、政治目的は達して呉れる筈ではあるのだろう。基より、宰相安倍晋三は日本国家の元首何ぞでは無く、飽く迄も国家元首の代行たる地位に在るもの、勘違いすらしているきらいも在れば、須らくの面での是正は必要となる筈である。基より、安倍晋三が率先して為すご婦人の同伴(帯同)は、勿論、了承されるのではあろうが、国会の承認すら必要とすると言う事なのだろう。

 ご夫人をして同行させる事に因る、所謂、直接間接的経費が、取り止めに因って出費されずに措けば、総てが全てと迄は行かないが、上述せし自死者等も世を儚まずにして済む(救助できる)可能性をすら残すし、また、他人に迷惑をも掛けず、且つ、重大なる犯罪者ともならずに済み、天寿をして全う、細々乍らも、生き延びる可能性すら与えられていたかも知れないので在る。勿論、其の様な経済社会的圧迫下に措かれている弱者(困窮者)が居る事など、知ってはいても知ろうとしない冷徹裡にする不条理行政的社会体制に日本国が現前に在れば、態々、敗者と称される弱者をして救っていては国家財政が成り立つ由も無くと捨て措かれ、況してや、怠けものが尚一層増えるだけで、良質にする社会建設など出来ぬ、とでも言われるのが精々では在るのだろう。高級官僚群を含む与党政治家等の、所謂、国家権力者群等の遣りたい放題には目を瞑っても、其の様にして、名も無く貧しく美しくも無い人々が少なからずに住まう、唾棄され棄却されるのが精々の、醜い世の中の実態に日本国は(既に)措かれているのかも知れない。

 何時の頃からか、恐らくは、第一次安倍政権を担った頃から、既に、日本社会の良質性は損なわれても来ていたのだろう。即ち、宰相の地位に就いた安倍晋三自身は、日本国家社会の為に身を粉にして働く事など一切念頭に措いた事など一度として無く、日本国民の仮面を被る自身の為に、或いは身内の為に、更に言えば、己の<主>として尊崇し崇拝する、シオニストユダヤ系大財閥資本家群が支配し差配すらする米国の為に、国権は流用するものぐらいの軽いノリしか持たなかった、いやっ、持てなかったのでは在るのだろう。傀儡子宰相たる彼を選んだ日本国民に結果責任は負って貰いたい所だが、其処が<B&A群>が知らしめる、戦後延々として(日本国家の)裏統治をして継続する彼等の絶妙にして巧妙なる所、山口県民(安倍晋三の政治地盤)や福岡県民(麻生太郎の政治地盤)の多くには、政治的不満をして抱かせぬ様、他の自治体に比べて、最大限の配慮は経済的にも為さしめてはいるのだろう。両県民をして、羨ましいとは一度として思った事もないが。